元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

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この解決方法は、アリか? ナシか?

僕は白檀の匂いが好きで、ときどきお香を焚きます。
でも先日は、お香立てが見つからなかったのです。
家中、何か代わりになるものはないかと探し回りました。
できるだけ全部使い切りたいから、コップなどに入れるのは論外です。何か、何か……
で、結局、恐ろしくダサい解決方法を見つけてしまいました。これです↓

ダサすぎるお香立て

……ビジュアルがどうしようもなさすぎで、いろんなモチベーションがダダ下がりします……
いや、匂いがかげればいいんだ。見た目なんてどうでもいいじゃないか……

via: ダサすぎるお香立て:小鳥ピヨピヨ

こういうものを見て…
機能的に問題はないし、その場にあるものを活用して型に拘ることなく楽しむという前向きかつ柔軟な発想だと思うか。
匂いがかげればいいんじゃない。型式美を含めての香なのだと思うか。

自分なりの基準を持って判断する限りは、どちらが正しいということもない。

一貫した自分の考えがなく、他者の評価や視線に判断を左右されることが一番ダサい。

そう思う。

ホンマか^^;

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
アンパンマンの手作りは難しい!?

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父親に何か恨みでも!?

「父」「親」「毛」「少」

むちゅめの宿題プリントから悪意を感じる

via: Twitter / meily_xx

とても偶然とは
思えません
(`Д´)ノ

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
コレ やってみ~たい!!

コメント:0 | TB:0 【なに?コレ?】  文字 偶然 父親 意思  

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受け手にとってのメッセージ

昨日の記事 「弱いメッセージ」 で
こんなことを書いていた。

 
穏やかに降り注ぐ日の光…
どこからともなく聞こえてくる虫の声…
空気の澱みや 爽やかな風…
刈ったばかりの草の香り…

そんな些細な自然の営みに 心が惹かれる。

 
うん。そう。

現代社会、特に都市部で生活していると
こういう風に感じてしまうことは少なくない。

なるほど 確かに
目を凝らし 耳を澄ませ 鼻を利かせて
五感も六感も駆使し全身全霊を傾けて
なぜか、そのすべてを捉えて満喫したくなる。

大きく強く刺激的なメッセージよりも
微かな弱いメッセージの方が
より伝わってくると感じることは多い。

しかし・・・

 
確かに、人のメッセージにも
そういうことが当てはまっているのかも知れない。

ほんの一瞬、
驚きや目眩ましに気が逸れることはあるけれど、
それらは本当に触れたいこと、知りたいことじゃない。

本物のメッセージを求めているんだと思う。

そこに、メッセージがあるかどうかがカギ。

 
うん。そういうこと。
人のメッセージについては、そういうことなんだけど…

そういうことなんだけど、
「自然の営み」には どんなメッセージがあるのか?

「自然の営み」に触れて
どんな本物のメッセージを受け取っているのか?

 
自然は、それ自体に意味はない。
ただ、ありのままに そこに在るだけ。

本物はおろか、嘘のメッセージも発していない。

 
昨日の この記事は、
わりとイイ評価や感想をいただいていて
ちょっとイイ気分だったのだけれど…(^^ゞ

本人としては
書いた後で、 いや、書いている最中から
実は、その点について違和感を覚えていた。

 
だって、おかしいでしょ。

自然っていうのは
ありのままそこに在るから自然なのであって
主張や警告や慰めなんてするわけはなく、
そこにメッセージはない  ということ。

 
だったら、どうして
こんな勘違いな引き合いをしてしまったのだろう?

おそらく、
メッセージの強弱の問題と、
メッセージの有無の問題を
ごっちゃにしてしまった結果なのだと思う。

 
受け手にとってメッセージとは
誰かが発していようが いまいが
受け手が、それをメッセージだと捉えた時はじめて、
そこに「メッセージがある」という状況になる...
ということなのではないか?

 
誰かがボクに向けてメッセージを発する。
それをボクが察知した時、
確かに、そこにはメッセージが存在する。

それを察知できない時、
あったはずのメッセージは そこにない。

ただ、察知した場合であっても
発した本人の意図する通りのメッセージとは限らない。

あるいは、
自然はメッセージを発していないだろうけれど、
ボクが自然に触れて何かを感じた時、
それが自然からのメッセージだと思った時、
そこには ないはずのメッセージが存在する。

受け手にとってのメッセージとは、
受け手が捉えたものであって、
受け手自身の手によるものなのだと思う。

 
花を見て 美しいと思う人もいれば
何も感じない人もいる
つまり 花が美しいのではない
花を美しいと思う人の心が美しいのだ

受け手にとってのメッセージも また然り。

 
だとしたら…
メッセージとは正確に伝わることはないのか?
あるいは、共感とは本当にあり得るのだろうか?
そんな疑問が湧いて出る。

いや、もちろん、
意思の疎通や共感は間違いなくあると思っているのだけれど
その辺りとの絡みについては、 また いつか たぶん…

 
では、お気楽に...(^^)/~~~

 

 

●1年前の今日:気合いさえあれば…2

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弱いメッセージ

強いメッセージは強い反動を呼び、互いに打ち消しあって遠くまで届かない。
残るのは、非暴力のような弱いメッセージだ。弱いメッセージは打ち消しようがない。打ち消しようがないがないから、ゆっくり広まっても結局は世界中に広まる。

via: ダライ・ラマから学ぶWEB2.0時代のマーケティング

 
引用元は、とても示唆に富んだ興味深い記事なのだけれど、
この際、難しいことは さておき ^^;  感じること・・・

 
真夜中だというのに、
パチンコ屋や、24時間営業のコンビニ、スーバーなんかが
煌々と眩いばかりの照明の明るさを競い合っていて、
目立つどころか、目を塞ぎたくなるような景色が広がり、

ショッピングモールなんかに行ってみると、
各店舗が勝手に選んだ音楽を大音量で流している上に
通路や共有スペースでも施設のBGMが流れていて、
それらが渾然一体となって怒涛の如く混じり合う
耳を塞ぎたくなるような空間が そこここに見られる。

テレビCMは、同じ商品ばかりが繰り返し放送され、
政治家は、絵空事の理屈や批判ばかりを声高に繰り返す。

ビジネスブログやメルマガ、SNSなどでも
まるで新興宗教のように洗脳ワードをまき散らしている。

 
もう とっくに
そんなものには うんざりしているから…

 
穏やかに降り注ぐ日の光…
どこからともなく聞こえてくる虫の声…
空気の澱みや 爽やかな風…
刈ったばかりの草の香り…

そんな些細な自然の営みに 心が惹かれる。

小さければ 小さいほど
弱ければ 弱いほど
目を凝らし 耳を澄ませ 鼻を利かせて
五感も六感も駆使し全身全霊を傾けて
なぜか、そのすべてを捉えて満喫したくなる。

 
確かに、人のメッセージにも
そういうことが当てはまっているのかも知れない。

ほんの一瞬、
驚きや目眩ましに気が逸れることはあるけれど、
それらは本当に触れたいこと、知りたいことじゃない。

本物のメッセージを求めているんだと思う。

 
もちろん、だからと言って
小さければイイ、弱ければイイということではない。

そこに、メッセージがあるかどうかがカギ。

 
さて、
自分が何気なく発しているコトバや仕種、
弱く拙い表現や表情などには
メッセージが込められているだろうか?

反省しきり・・・(^^ゞ

 
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

 

 

●1年前の今日:信 即 真

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色つき言葉

文章を読んでいると感情をざわっとさせる言葉が出てくることがある。たとえば「しょせん(所詮)」とか、すでに価値判断っぽい内容が含まれている言葉。ちょっと切り口は違うけれど、配布を「ばらまき」と書くのも同じ。ネガティブ方面だけではなくて、繁栄とか、平等とか、水戸黄門の印籠みたいに、内容の詳細はわからないけど漠然と良いイメージの言葉も同じ。要は、色のついている言葉。文章の中にこの「色つき言葉」がどのくらい、どういう配分で出ているかによって読者の印象や、文章に対する意見が変わってきそう。自動的にバババッと、それこそ単語に色をつけてくれるプログラムとかあったらおもしろいだろうなと思う。

via: 色つき言葉 - kokokubeta

 
自分でも 知らず知らずのうちに
こういう「色つき言葉」を
使ってしまっているような気がする。

隠そうとしても、出てしまう。
押し付けないつもりが、主張してしまう。

黙っているつもりでも
雄弁に語っている「色つき言葉」。

気をつけなきゃ 恥ずかしい。

恥ずかしいくらいなら いいけれど、
不本意に誰かを傷つけてしまうのは嫌だ。

同じコトバでも
抑揚や表情によって
意味が変わったり
別の意味が加わったりするように、
同じ調子で書いていても
表現や言葉遣いによって
意味が変わったり
別の意味が加わったりする。

そのことを知っておくことは
今さらながら^^;
とっても大事なことなんだなと思う。

そのことを知っておくことで
コミュニケーション上の問題を
避けられる可能性が高まるのは もちろんのこと、
そのことを活用して
より良いコミュニケーションを図ることも
できるようになるのだと思う。

顔や声の見えにくい書類やネット上で、
手書きの文字じゃなく PCのフォントで
画一的に書かれたコトバでさえも、
「色つき言葉」のチカラを借りることで
とっても表現力豊かな情緒的な文章に
仕上げることができるような気がする。

 
・・・などと、
思ったり... 思わなかったり...

では、お気楽に..(^^)/~~~

色つき言葉

 

●1年前の今日:実際にできるかどうか

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有益な行為のフリをすること

私は数日前に驚くべきことを悟った。時間の問題も、お金とよく似ているのだ。時間を失う最も危険な方法は、娯楽に費やすことではなく、偽の仕事に費やすことなのだ。時間を娯楽に費やしているときは、自分が遊んでいるとわかっている。アラームが「さっさとやめろ」と鳴りはじめるだろう。ある朝に目覚め、ソファーに座って一日中テレビを見ていたら、すごくマズいと思うだろう。そう考えただけで怖くなる。テレビを見ながらソファーに座っていたら、2時間でもそわそわするし、まる一日だったらなおさらだ。

だが一日中テレビの前に座っていたほうがマシだった、という日も確かにある。一日を過ごした後で、「自分は何をしただろうか?」と自問した時、答えが「特になにも」になるような日だ。そんな日の後でも残念には感じるだろうが、テレビ前のソファーでまる一日を過ごしたほどの罪悪感はない。丸一日をテレビに費やしたら、自分が堕落していると感じるだろう。だが同じアラームが「実際には何もなしとげられなかった日」には鳴ろうとしない。表面上は働いてるように見えるからだ。たとえばメールへの返信だ。机に向かいながらメールを書く。退屈だ。だからこれは仕事に違いない。

時間もお金と同じく「快楽を避ければ十分」ではないのだ。狩りをしていたころや工業化社会以前だったら、おそらくそれで十分だった。本能と環境の両方が、私たちに贅沢をさせないようにしていた。だが世界は、より複雑になった。現在、最も危険な落とし穴は、有益な行為のフリをすることで、贅沢に対するアラームを無効化してしまう新しい種類の行動パターンだ。そして最悪なことに、有益な行為のフリは楽しくすらないのだ。

via: らいおんの隠れ家
ポール・グレアム「時間とお金をなくすには」

 
これまた耳が痛い...(>_<)

一見すると有用に感じることに
お金や時間を費やしていることは
冷静に考えれば考えるほど、たくさん思いつく。

 
確かに!
自ら意識して娯楽にお金や時間を費やしている時は
ちゃんとケジメをつけなきゃな、と思っているし
お金や時間を使っているんだという感覚も強い。

これは、ある意味で
お金や時間の浪費ではないのかも知れない。

そして、本当の浪費とは
一見すると有用に感じることに
なんとなく当たり前に使い続けていること。

 
このとき、
有益な行為のフリをするということは、
果たして、自分の意思でやっているのだろうか?

これは最重要ではないにせよ必要なことだから、
というような判断をして、意識的にやっているだろうか?

娯楽とか骨休めとか、生産性の停止が明確なことを避けて、
とりあえず良さそうで、できそうなことからやる...
みたいな選択的な行動をとっているのだろうか?

いや そこは、どうも怪しい気がする。。。

 
最悪と思えるところを避けていることはあったとしても
きっと、ベターを選択しようとしている意思はない。

とりあえず、最悪と思われないようにしておけば
あとは、なんとなく無難にいけるんじゃないか、という程度で、
実は、生産性や有益性を比較検討して
その結果を判断した上での行動をしているわけじゃない。

つまり、意思や考えなしに なんとなくやっている。

無益と思える行為を避けているだけで
本当に有益な行為かどうかを判断せず、
しかも、無意識に近い行動をするということが、
「有益な行為のフリをする」という
とっても危険な行動パターンだということ。。。

 
という具合に、自分なりに自分の危うさを反省^^;

それと同時に、
意識的に娯楽にお金や時間を費やしているとき
浪費を感じつつ、充実感を持てるということは
なるほど自然なことなんだな...と理解できた。

やっぱり!
意識的な行動は、結果を問わず楽しいことが多いが、
有益な行為のフリは楽しくすらないのだ。   うん。

有益な行為のフリをすること

 

●1年前の今日:伝える意志 届ける意志

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  行動パターン 時間 意思 自主自立 

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ぐでんぐでんに酔っぱらっても…

先日ご一緒した方は少々多めにお酒を召し上がったらしく
なかなかのはっちゃけぶりで楽しかった。

まあいわゆる「ぐでんぐでん」の状態で
帰りのタクシーの中でもうわごとのようなことを口にされていた。

先ほどその方のブログを見ると、
まさにそのタクシーの中で出てきた考えがそのまま書かれていた。
もう一語一句同じじゃないかと思えるほどの再現性で。

最初は「あ、同じこと言ってる」と思っただけなんだけど
これはすごいことじゃないだろうか。

酔ってうわごとを言うときと冷静にブログを書くときで同じ言葉が出る人
via:頭ん中 さん

いや これは
本当に スゴイことだと思う。

確かに!
酔っで出たうわごとと
冷静な状態で書いた記事で
同じ考えを語るということは、
よほど しっかりとした軸があるのだろう。

裏表のないことの「証」だとも言える。

 
…で、手前味噌ながら
「寝言でも、いつもと同じことを喋ってた」
と言われたことがあったのだけど…

酔ったときもしっかりした考えがあるのか
普段から酔ったようなことを仰っているのか知らないけど、
ともかくこれがこの人の魅力かもしれないな、と思った。

いつも思いつきばかり書いてるので見習いたい。

(via:同上)

こういう視点で見られてると思うと
単純に喜んでいいのかどうか… ん~~

わかったような… わからないような…(^^ゞ

 
ま イイか!

では、お気楽に... (^^)/~~~

ぐでんぐでん 萩原健一

 

●1年前の今日:夏の訪れ…

コメント:1 | TB:0 【しあわせメモ♪】  本気 コトバ 意思  視点 

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男前なインフルエンザ対応

ちまた、特に関西では…
新型インフルエンザ騒動で
イベントの中止や休校が相次ぎました。

しかし、
そろそろホトボリも冷めてきたのか...
昨日あたりから学校も再開、
ゆきちゃんも昨日から幼稚園に通っています。

今日は、温水プール保育も実施です。

先週までの過剰反応に比べて
今度は、あまりにも油断しすぎてな~い?

 
ところが
そんな騒ぎや、行政の要請に対して
まったく慌てたりブレたりすることなく
キャンパスを開放し続けている学校があります。

それは、京都大学です。

 

京都市内において新型インフルエンザの感染が確認されたところです。また、京都市、京都府から休校も要請されているところでもあります。

本学においては、今回の新型インフルエンザへの対応のため、感染症対策会議およびインフルエンザ対応専門家グループを設置し、医学的、生物学的見地をふまえ対応方針(最新の方針は平成21年5月20日付け第4版)を決定してきたところです。

今回の、京都市内においての感染確認をふまえ、上記対策会議等で検討の結果、本学においては、現時点においては、通常どおりの授業を行うこととします。

なお、今後、流行範囲および規模、病原体の毒性の程度、学内感染の有無等の状況により、現在までの取扱いと同様に専門家の意見をふまえたうえで総合的に評価を行い、状況によっては全学一斉休校、もしくは特定のキャンパスや研究室等を単位として、部分的な授業休止等を行う場合がありますので、本学ホームページ等により情報収集に努めてください。

【重要】新型インフルエンザに対する本学の方針について(第4版)
【5月26日更新!】京都大学

自分の大学が誇る専門家で協議したところ、いまの状況では休校の必要はない、と判断したようです。

一斉の休校は過剰反応で、医学的、生物学的に考えたら、まだ休校するような状況じゃないよ!といったところでしょうか。

もちろん、何が何でも授業をやるわけではなく、一定の条件で休校もしくは部分的な授業停止を考えているようです。

---

大学全体の休校は最終手段で、特定の範囲の問題ならば部分休校という措置をとるようです。

てっく煮ブログ
「新型インフルに対する京都大学の対応がかっこよすぎる」

 
そして、
てっく煮ブログさんによりますと…

そんなかっこいい京都大学ですが、
京都大学保健管理センターが出している
新型インフルエンザに関する緊急情報
またかっこいいです。

…とのことです。

 

不幸中の幸いというべきか、毒性は強くありません。しかし、持病のある場合や妊婦では重症化するおそれもあります。また、秋以降に強毒化する可能性も懸念されています。

このインフルエンザに効くワクチンは当分ありません。発症してしまった人はちょっと辛いのですが、これで免疫を獲得して今後同じタイプのインフルエンザにはかかりにくくなることが期待できますし、公衆衛生的観点からは集団免疫の成立にも貢献することになります。賢く行動してやり過ごしましょう。

保健管理センター:
新型インフルエンザに関する緊急情報(第2報)京都大学

 
現在のところ毒性は強くない、
感染しても騒ぐ状況ではない、
なあに、かえって免疫力がつく、と
言い切ってくれています

過剰反応ぎみなマスコミの報道を
一刀両断してくれています。しびれます

 
う~ん...
さすが!京都大学!!!
日本の知性!日本の良心! しびれるな~

ホンマに男前やな~

あっぱれ!京都大学!

あっぱれ!

 

●1年前の今日:サイドカー

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意思決定

私の意思決定には
データ重視のものと
直感重視のものがある。

ただ、
感情で決めることはない

(マイケル・デル)

 

●1年前の今日:但し書き

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