元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

EDIT

22年目の祈り

22年目の祈り

via: 産経フォト

22年目の1月17日。
今年も寒い朝になりました。

テレビ各局とも早朝の特別番組はなく、かろうじてBS1だけが追悼のつどいの様子を生中継していました。
神戸市中央区の東遊園地で開かれた追悼のつどいには、午後5時までに約3万人が訪れましたが、昨年と並んでこれまでで最も少ないとのことです。
SNSで繋がっている人たちは震災体験者や同年代の人も多いので、震災関連の投稿も目につきましたが、既に少数派になっている感は拭えません。

1.17は、こうして少しずつ霞んできました。
震災を目の当たりにした人にとっては実に哀しいことですし、防災面でも過去の体験を活かしていく上で風化は望ましいことではありません。

とは言え、いつまでも旧態依然とていては新たな息吹を注ぎ込んで活力ある街づくりをすることはできません。
旧きを淘汰し新しきを取り入れることは被災地の復興や活性化そのものであるとも言えます。

神戸市が昨年11月に行った調査によると、震災後に生まれたり転入してきたりした人は全市民の約44%に達しており、過半数を占める日も近いでしょう。
震災体験者や震災を知る人たちは少しずつ着実にこの世を去り、いつしか震災は伝説になっていきますが、それもまた復興の証なのです。

特別な日だったはずの1.17は、20年余の年月を経て普通の日になりつつあります。

けれども、自分にとっての1.17は、やはり特別な日であることに変わりありません。
今年も変わらず静かに祈りを捧げ誓います。
追悼のつどいで灯された灯籠の如く、たとえ微かであっても生命の光になれますように…

・・・などと、
思いを巡らせながら過ごした22年目の断食日。

●1年前の今日:
未来につなげる

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  阪神・淡路大震災 震災 生命 天命  

ページTOPへ↑

EDIT

未来につなげる

21年目を迎えた「1・17のつどい」

21年目の1月17日。
しばらく暖かい日が続いていましたが、今朝はグッと冷え込みました。

例年通り震災関連のニュースがトップ記事として取り上げられていました。

しかし話題は、今年成人を迎えた人たちはあの震災を知らないこと、被災者の高齢化や被災地への転入者が過半数を超えていること、追悼行事やその参加者が激減していることなど、風化を指摘するものばかりが目立ちました。

TwitterなどSNSへの投稿には「忘れてはならない」「語り継ごう」といった声が多く見られましたが、それは確実に風化が進んでいるからこその思いなのだとも感じます。

数年前からボクは震災の記憶が風化することに対しての考えが変わりました。
個人が感じている震災への思いと、街や社会が捉えている震災の記憶は、別に考えなければならないと思うようになりました。
あの大惨事を目の当たりにした者としては決して忘れることのできない出来事ですが、その思いを街や社会に求める必要はないと感じるようになりました。

街の復興が進むということは震災の傷跡がなくなっていこことでもあります。
精神が安定し笑顔の溢れる生活者が増えるということも復興の証の一つです。
復興は震災を知らない人たちによって更に推し進められていきます。
復興に伴うこうした傾向こそが風化を示すものでもあるのです。

だから、いずれは忘れ去られていくのです。
復興を誰よりも望んでいた被災者や関係者なら、これを嘆く必要はありません。

ただし、表向きの復興だけでは真の復興とは言えません。
震災後に抱えてしまった社会的課題は未だ残されています。
時を経て新たに表面化してきた課題も少なくありません。
個人的な感傷が当事者の減少とともに失われていくことは仕方のないことですが、社会全体の課題は簡単に風化させてはなりません。
今を生きる市民の責務として継続して取組んでいく必要があります。
そのことが犠牲者への弔いであり、新たな犠牲者を出さないための使命であるはずです。

神戸市中央区の東遊園地で行われた「1・17のつどい」では、「1・17」の形に並べられた6434本の竹灯籠に火が灯されました。
今年は市民からの応募作品から選ばれた「未来」の文字が加えられました。
21年目を象徴する印象的な追悼行事でした。

これからのキーワードは当に「未来」。
「忘れてはならない」「風化させてはならない」から、「歴史に学ぶ」「未来につなげる」へ進化させていこう! そう確信させてくれた灯籠の文字でした。

・・・などと、
思いを巡らせながら過ごした21年目のの断食日。

21年目の竹の灯籠「1.17」に加えて「未来」の文字
●1年前の今日:
経験を活かすことが最大の供養

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  阪神・淡路大震災 震災 生命 天命  

ページTOPへ↑

EDIT

経験を活かすことが最大の供養

阪神淡路大震災から20年

20年目の1月17日。
5時46分、黙祷を捧げました。

ほとんどのテレビ番組の中継は6時前に終了しました。
20年の節目という機会よりも、20年の歳月による風化を改めて感じざるをえませんでした。

都市機能は完全に回復し、震災による傷跡はほとんどなくなりましたし、震災後に誕生、転入した市民が半数を占めるようになり、当時を知る人の割合は年々小さくなっています。

被災者やその関係者からすると淋しいことではありますが、風化と再生は表裏一体であることも確かで、20年分の風化と再生、そして次世代への転換なのだと実感しています。
街や社会の新陳代謝と引き換えに個人的な感傷がフェードアウトしていくことは仕方のないことでしょう。

けれども、震災によって顕になった街や社会の課題は、震災後に生きる市民の課題として真摯に取り組んでいかなくてはならないと思います。

阪神淡路大震災による教訓がなければ、東日本大震災での被害は、さらに何倍にも膨れ上がっていたかもしれません。 防災対策や危機管理、災害ボランティアなどについては、117の教訓が活かされたところが少にからず見られたと思います。

それらとは対照的に、まったく教訓が活かされることなく課題を風化させてしまったと感じる点もあります。
その一つの現われが「復興災害」と呼ばれる現象でしょう。

災害発生直後の緊急対応としての復旧活動はもちろん大切ですが、その後10年以上にわたる本格的な復興活動はさらに重要です。

復興の期間、仮説住宅で孤独死をしたり、街の産業が衰退していくことは珍しくありません。
そんな災害後の様々な被害は「復興災害」と呼ばれていますが、これらは復興政策の間違いが引き起こしたものだとも指摘されています。

たとえば、新長田地区の再開発ビルは20年経った現在、活性化どころかシャッター街と化していますし、復興住宅における孤独死の事例は枚挙の暇がありません。

また、復興住宅の約2割は民間の借上げ住宅を利用したものですが、震災後20年となる今年、借上げ期間が満期となります。 これによって一部の復興住宅の住民は既に退去が求められています。

法の下の正論ではありますが、復興住宅の住民の多くは高齢者であり、病弱な人も少なくありません。
住み慣れた土地を捨てて移り住み、20年経ってようやく近隣との人間関係も育ってきた今、彼らにとって転居の負担はあまりにも大きいものです。

自治体は復興住宅の退去を進める理由として財政悪化を挙げているようですが、それはお門違いと言うものです。

弱者への福祉政策であるはずの復興住宅からの退去勧告は、住生活基本法や公団住宅法の理念にも反します。
そして、財政悪化を言い訳にできない最大の問題が復興費の流用です。

阪神淡路大震災に当てられ復興費は16兆3000億円。
その内、震災と直接関係しない通常事業に 23%、約3兆8000億円も使われているのです。

通常事業の大半は、本州四国連絡道路等の整備、地下鉄海岸線建設、関西空港二期埋立工事などに当てられていますが、これらが被災地の生活再建や復興に直接関係ないことは明らかです。
しかも、その大半は赤字事業として市民の足かせになっているのです。

この4兆円近い資金があれば、復興住宅からの退去に対して、もっと長期間の猶予を与えることができます。
あるいは、再開発地区においてはビルの建設にとどまらず、そこに入居する事業者への振興支援を増やすこともできるはずです。 大切な復興費を説得力のない理由を盾に既得権者のために流用することはあってはならない行政の課題です。

ところが、復興費の流用問題は東日本大震災の被災地でも起こっています。

阪神淡路大震災ではなされなかった増税までして19兆円もの資金が復興人して当てられていますが、その多くは被災地と関係のない事業にに使われています。

あの地獄絵図を目の当たりにし大切な人を失った個人の思いは、生命ある限り消えることはありませんが、当事者が少なくなるにつれて風化していきます。それは仕方のないことです。

けれども、社会全体の課題は、今を生きる市民の課題として、風化させることなく継続して取り組んでいかなくてはなりません。
そのことが犠牲者への弔いであり、新たな犠牲者を出さないための使命であるはずです。

・・・などと、
考えながら過ごした20年目のの断食日。

●1年前の今日:
人それぞれに天与の役割は違う

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】   阪神・淡路大震災 震災 生命 天命 

ページTOPへ↑

EDIT

人それぞれに天与の役割は違う

19年目の1月17日。

朝の参拝散歩を済ませて
一息いれた後テレビを点けました。

普段と違う父の行動をみて
側にいた長女が不思議そうな顔をしています。

5時46分、
画面の向こう側にいる人たちと共に
黙祷を捧げました。

ようやく娘にも
状況が把握できたようです。

けれども
彼女には黙祷する人たちの思いが
どれほどのものなのかは理解し難いでしょう。

体験していない、知らないということは
そういうことなのだと思います。

被災者とその関係者の高齢化が進み
震災後に誕生、転入した住民は増える一方です。

ウチの娘たちと同様に
震災を知らない人たちが
過半数を占める日も遠くありません。

こうして忌まわしい惨事が風化していきます。

去年もここに書きましたが
それもまた復興の姿なのだと思います。

だからもう
何もなかったように人々が暮らす様子を見て
寂しがったり心配したりすることはしない…
そう思うようになりました。

とは言うものの
為す術もなく風化に向き合うのは
やはり、切なくやるせなやいものです。

この日ばかりは思いが込み上げてきます。

先の戦争を体験した人たちは
原爆忌や終戦記念日に
同じようなやるせなさを
感じているのかもしれません。

自分たちは自分たちなりに
戦争の悲惨さと平和の尊さを
理解しているつもりでいますが
先達から見れば不充分なものかもしれません。

そう思うと複雑な気持ちになります。

自分にとって19年前のあの大惨事は
けっして忘れることのできない出来事ですが、
その思いを街や社会に求める必要はありません。

自分は自分らしく生き切ることに専念します。

各々が天命を果たすということは
きっと、そういうことなのだと思います。

19年目の1.17

 

●1年前の今日:生命ある限り…

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  阪神・淡路大震災 震災 生命 天命  

ページTOPへ↑

EDIT

思いを寄せる


天皇陛下 東日本大震災追悼式典でのお言葉(12/03/11)

 本日、東日本大震災から2周年を迎えるに当たり、ここに一同と共に、震災によりかけがえのない命を失われた多くの人々とその遺族に対し、改めて深く哀悼の意を表します。

 2年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う大津波により、2万人を超す死者、行方不明者が生じました。震災後に訪れた被災地では、永年(ながねん)にわたって人々が築いてきたふるさとが痛々しく破壊されており、被災者の悲しみはいかばかりかと察せられました。一方、この厳しい状況の中、被災地で、また、それぞれの避難の地で、気丈に困難に耐え、日々生活している被災者の姿には、常に深く心を打たれ、この人々のことを、私どもはこれからも常に見守り、この苦しみを、少しでも分かち合っていくことが大切だとの思いを新たにしています。

 この度の大震災に際して、厳しい環境の下、専心救援活動に当たった自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、多くのボランティア、そして原発事故の対応に当たった関係者の献身的な努力に対し、改めて深くねぎらいたく思います。

 諸外国からも実に多くの善意が寄せられました。物資や義援金が送られ、また、救援の人々も多数来日し、日本の救援活動を助けてくれました。また駐日外国大使など日本に住んでいる外国人を始め、災害発生後の日本を訪れる多くの外国人が、被災地に赴き、被災者を励ましてくださっていることに感謝しています。

 この度の津波災害において、私どもは災害に関し、日頃の避難訓練と津波防災教育がいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、これから育つ世代に伝えていくことが大切と思います。今後とも施設面の充実と共に、地域における過去の災害の記憶の継承、日頃からの訓練と教育などにより、今後災害の危険から少しでも多くの人々が守られることを期待しています。危険な業務に携わる人々も、この度の経験をいかし、身の安全が確保されることに工夫と訓練を重ねていくよう願っています。

 今なお多くの苦難を背負う被災地に思いを寄せるとともに、被災者一人びとりの上に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。

被災地に思いを寄せる

このこと抜きにしては
本当の意味での復興支援はあり得ません。

地震や津波、原発事故については
今なお強く印象づけられていると思いますが
私たちは被災地と被災者に対して
どれほど心を向けることができているでしょうか。

今日の追悼式典でのお言葉に接して
「被災地に思いを寄せる」ということを
改めて意識し直す機会となりました。

そして
被災地と被災者お一人お一人が
一日も早く心安らかな日常を取り戻せますように
心から祈っています。

被災地に思いを寄せる

 

●1年前の今日:思いを受け継ぐ

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  震災  生命 防災   和の心 

ページTOPへ↑

EDIT

生命ある限り…

18年目の1.17

記憶を焼きなおすために…
思い出にさせないために…
心の叫びをを届けるために…
そして 一つになるために…

18年目の今日も断食しています。

リアルタイムに生で見た地獄絵図が
今でも ありありと思い起こされます。

完全復興したかに見える街には
18年も経った今でも被災の爪あとが
少なからず残されています。

復興住宅の入居期限…
被災者の高齢化…
災害援護資金の返済残高…
そして、関係者の心に深く刻まれた傷…

また、神戸市では
震災後に誕生、転入した市民が
人口の約41%となり(2012年11月現在)
震災の風化も懸念されています。

各地で追悼行事が行われ
新聞やテレビのニュースには取上げられますが
年々その数や時間は少なくなってきています。

後の東日本大震災の衝撃が
あまりにも大きかったことも一因かもしれません。

けっして忘れない。

いや、忘れることはできない。

もちろん
それは一点の曇りもない正直な気持ちです。

しかし、紛れもなく風化は進んでいます。

数年前から それは感じていたことですが
今年、新たに気づいたことがあります。

それは、被災者や関係者など
個人が感じている震災への思いと
街や社会が捉えている震災の記憶は
別に考えなければならないということ。

あの日の惨事を目の当たりにした者としては
けっして忘れることのできない出来事ですが、
その思いを街や社会に求める必要はない…
そう感じるようになりました。

街のほとんどは震災以前の状態に戻っています。
いえ、その頃以上に良い状態に進化しています。

新しい生命が産まれ、育ち、働いて
街を活性化させ続けています。

彼らの多くは震災を知らないかもしれませんが
彼らの力で街は復興し進化し続けているのです。

そのことは震災の記憶が風化していると
言えなくもないわけですが
同時に再興の原動力であることも確かです。

忘却が進歩や生きるチカラになっていることは
多くの例が示してくれています。

だから、いずれ忘れされれていくはずです。

自分たちは
自分たちの生きている限りは
忘れてはならないものとして生きていきます。

けれども
街が進化している姿を見て
寂しがったり心配したりすることは
もう しないでおこうと思います。

いえ、もう そんな決意も要りません。

この生命のある限り、犠牲者の分まで
一所懸命、自分らしく生きていきます。


しあわせ運べるように(ふるさとバージョン)【ピアノ伴奏版】

via: 「しあわせ運べるように」公式サイト

 

●1年前の今日:東日本大震災が起こってから初めての1.17

コメント:2 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  阪神・淡路大震災 震災 生命 断食  天命 

ページTOPへ↑

EDIT

思いを受け継ぐ

あれから1年が経ちました。

いつも以上に アッという間の1年でした。

つい先日のことのような気がします。

生ききった人にとっても
生かされた人にとっても
否応なくねじ伏せられた想いを
一瞬にして奪い去られた願いを
思い出として語ることができるまでには
まだまだ時間が足りないと思います。

けれども、間違いなく1年が経過しました。

あの日までと同じように
いつも通り時間は通り過ぎていきます。

まったく何もなかったかのように…

ところが、
まだ何も変わっていないようでいても
よく注意して見てみると、
少しずつ… ほんの少しずつではありますが
動き始めているところを感じることもできます。

人は 大自然の前では
全く歯が立たない弱い存在です。

しかし、それと同時に
とてもタフな存在だと思います。

それは きっと!
この世に生まれてくるだけの価値があるから。
この世で生きていくだけの価値があるから。

2011年3月11日・東日本大震災の
すべての犠牲者と被災者の方々が
一日も早く安心できますように…
心から お祈り申し上げます。

今日は一日中、
そんな祈りや願いを込めて
特別番組が各局で放送されています。

あの日をふり返ったり
犠牲者を追悼したりすることは
節目の日としての大切なことだと思いますが
あまり今日はテレビを視る気になれませんでした。

そんな中、ふと目にとまったのが
夕方に放送されていたKHK・Eテレの番組、
シンサイミライ学校いのちを守る特別授業~
“釜石の奇跡”片田敏孝教授と子どもたち
 でした。

シンサイミライ学校

NHK大阪では
地震、津波、台風。相次ぐ自然災害から、
どのようにして命を守るのか、
いま注目される防災教育の実践と
分かりやすい解説を紹介するサイト
シンサイミライ学校
をスタートさせました。

その最初の授業は
群馬大学・片田敏孝教授による“いのちを守る特別授業”。

小中学生3000人が大津波から避難した
岩手県釜石市の“奇跡のサバイバル”を生みだした
片田教授の防災授業を和歌山県田辺市の中学校で実施。
その模様を紹介した番組です。

その中で、片田教授が特に熱く語った
「釜石で伝えた 避難3原則」が印象的でした。

  1. 想定にとらわれるな
  2. 最善をつくせ
  3. 率先避難者たれ

片田教授は防災の専門家として
これらを市民に伝える活動をしています。

大人たちがあまり興味を示さない中、
小中学校での防災授業というカタチで
多くの子どもたちに「避難3原則」を啓蒙してきました。

番組では、
非被災地の和歌山での授業でしたが
教える先生、学ぶ生徒、共に真剣そのものでした。

他の番組が、
被害の大きさや衝撃を象徴する映像や
犠牲者・被災者の辛く悲しくやるせない状況を
徹底的に再現して振り返る中にあって、
この番組は
冷静に、実直に、防災の肝を報道していました。

避難の三原則

先の震災では、
この3原則に倣って
小中学生が指示を待たずに
幼い子らに気遣いをしながら率先避難し
さらに通常の避難場所に拘ることなく
その場の状況を判断してさらに高い土地へ避難。
その結果、多くの学生・児童が死を免れました。

まさに、不幸中の幸いでした。

今後、どこで大地震が起こっても不思議ではない
日本に住む者として、今、最も大切な情報です。

そういう意味で、この授業は
たいへん意義深い番組だと感じながら視聴しました。

冷静に、実直に、防災を説く片田教授の語り口は
授業が進むにつれて、熱いものに変化していきました。

そして、
あれだけ多くの子どもたちの生命を救ったことに対して
「取組みとしては失敗だった」と静かに語っていました。

もっと巻き込めたはずだ
もっとできることがあったはずだ
そうすれば、もっと救えたはずだ

強い自責と悔恨の念があったのでしょう。

そこに理論を語るだけの研究者の姿はありませんでした。

悲しげに、それでいて力強く語る様子を見て
心の底から湧き出てくるものを感じました。

自分たちは防災の専門家ではないが
ここで学んだ「避難の3原則」なら
実践することができるはず。
身近な人たちに伝えることができるはず。

このような大切なことを日頃から
専門家やマスコミが
冷静に、実直に 伝え続けること。

未来の日本を担う子どもたちはもちろん、
今、責任ある立場である大人たちが
冷静に、実直に 学び、実践すること。

それらを通じて、
もう これからは あんな被害を出さない…
もう これからは あんな犠牲を払わない…
みんなで生き続けていくという意志を強く掲げ
永代にわたって伝え続けていくことは
一番の供養になるような気がしてなりません。

生命を犠牲にした人たち、
生命を守りきった人たち、
生命を守ろうとした人たち、
彼らの思いを無にすることのないよう
最善をつくして受継いでいきたいと思います。

 

●1年前の今日:家族と連絡がとれない方へ…

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】   生命 震災 防災  伝える 役割 天命  

ページTOPへ↑

EDIT

東日本大震災が起こってから初めての1.17

2012年1.17のつどい

17年目の今日も断食しています。

記憶を焼きなおすために…
思い出にさせないために…
心の叫びをを届けるために…
そして 一つになるために…

1995年1月17日の朝5時46分、
ドーンという地の底から巨大な何かが突き上げてくる衝撃と共に
阪神・淡路一帯は、地獄と化してしまいました。

あの傷ましい惨事が
昨日のことのように思い出されます。

けっして忘れない。
いや、忘れることはできない。

そう確信していたにも関わらず、この2~3年、
徐々に記憶が薄れていっている感覚が強くなっています。

そして、
そんな自分を薄情な奴だと責めている
もう一人の自分がいます。

そして今回は
東日本大震災が起こってから初めての1.17。

やっぱり、例年とは、少し感じかたが違います。

とは言え、既に巷では、
あの震災は去年の震災に上書きされています

そして、自分自身の中でも、確実に…

けれども…

強烈なインパクトが薄れていくのとは裏腹に、
何か本質的なものがジワジワと
染み込んできているような気もします。

震災直後の感情的なものとは違い、
人の存在というところに焦点が変化しています。

それは
「喉元過ぎれば・・・」という麻痺感覚でもあり
震災体験者としてのその後の生き方の変化でもあります。

被災直後とは違う視点で震災を振り返っている...
そういうことなのかも知れません。

だからこそ、今年の1.17は、
いつもと違う意味を感じたのかもしれません。

去年3月の震災に対して
「何もできなかった」
「対岸の火事として見ている自分がいた」
そう感じている1.17体験者は少なくありません。

まさか、あの痛みを思い知っている自分たちが
この一大事に被災地に対して大した役にもたてず
他人事のように呆然とニュースを眺めているなんて…

1.17によって生き方が変わった多くの人たちは、
自らが体験した惨事をフラッシュバックさせただけでなく
別の意味での衝撃を覚えたに違いありません。

人智の及ばぬ自然の猛威に翻弄され、
社会や人間関係の裏表を目の当たりにし
そんな中でも希望と責任を心に深く刻み込んで
淡々と平常を維持すべく生きてきた人たちだからこそ…
こういう思いを持つのではないかと思います。

「何かしなければ…」とは思いつつ
「大したことはできない…」と痛感し、
「被災した人の気持ちが解るはず…」と感じつつ
「対岸の火事として見てしまった」と自責の念に駆られます。

こういう感覚を持ってしまうのは
確かに被災当初の感覚を失っているからに他なりません。

しかし、それと同時に、
震災と、その後の復興を経験し
十数年間をかけて生き方の視座を移してきたことが、
本当の意味での被災者に対する共感と
非被災者としての責任を自覚させたからなのかも知れません。

何も根拠はありません。

ただ なんとなく…
当時のことや、去年のことを思い出しながら
空腹の中で感じたことです。

ボクは、毎年1月17日に断食をして
いったい 何を忘れまいとしているのだろう?


映画『その街のこども 劇場版』予告偏

映画「その街のこども 劇場版」公式ホームページ

 

●1年前の今日:16年で 消えてきたもの 積み重ねてきたもの

コメント:2 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  阪神・淡路大震災 震災 生命 断食  天命  

ページTOPへ↑

EDIT

今日は何の日

今日は、2011年11月の11日。

ちまたでは
11/11/11 11:11:11
ゾロ目を楽しもうとする人たちで一杯!

街でもネットでも この話題で大騒ぎです。

切符など日付の入ったものを記念に買ったり
時計が 11時11分11秒を指した瞬間を撮影したり
いろんなことを通じて楽しんでいます。

ほとんど無料で楽しめるので
不景気にはウッテツケの楽しみ方だし、
何より、生活を楽しもうという姿勢は
とってもイイことだと思います。

 
そもそも11月11日は・・・

介護の日、 麺の日、 ピーナッツの日、
チーズの日、 サッカーの日、靴下の日、
下駄の日、 折り紙の日、 鏡の日、
ポッキー&プリッツの日、 もやしの日、
煙突の日、 箸の日、 きりたんぽの日、
磁石の日、 コピーライターの日、など…

さまざまな記念日になっているので
それらに関わることをキッカケにして
さらに盛上がりをみせたのでしょう。

 
でも、もうひとつ
大切な節目の日でもあったんです。

 
3月11日の14時46分から
8ヶ月目の日です。

 
8ヶ月なんて中途半端な…
と思う人も多いかも知れませんが、
何ヶ月に関係なく
毎月11日を迎えると感じることがあります。

少しずつ、少しずつではあるものの
あの大災害も過去の記憶へと確実に変化して、
少しずつ、少しずつではあるものの
生で感じた あの感覚が薄められつつあると。

 
あの日を境に、日本中の多くの人々が
「分かち合う」ことへの覚悟や
「絆」の大切さを 強く感じたはずです。

それらは、意識するしないに関わらず
いろいろな場面で表面化し、行動となり
ある種の社会現象にもなりました。

 
しかし、
被災地の復興は予想以上に進んでいません。

政局が優先され、復興対策が遅れています。

原発事故は未だ終息の見込みすらたっていません。

だからこそ…
せめて、毎月11日の節目には
あのときの記憶が霞むことのないように
あのときの覚悟が途切れないように
あのときの感覚が失われないように
東日本大震災のことを
今一度、改めて思い返すようにしています。

そして、
ほんの僅かな時間だけでも
普段から意識を向け続けていこうと思います。

できることや役割は 人それぞれ違いますが、
意識や思いを向けることは誰にもできます。

まだまだ時間が必要なのだろうと思います。
しつこいくらいの意識と思いが必要だと思います。

 
ゾロ目で楽しんだあとは、
被災地復興や子どもたちの将来のことを
ちょこっとだけでも話題にしたいものです。

 
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

 

●1年前の今日:助走距離

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】    覚悟 天命 震災  

ページTOPへ↑

EDIT

16年で 消えてきたもの 積み重ねてきたもの


阪神淡路大震災から16年

 
記憶を焼きなおすために…
思い出にさせないために…
心の叫びをを届けるために…
そして 一つになるために…

16年目の今日も断食しています。

こうしていても
徐々に記憶が薄れていっていることに気づく。

いや、もちろん、
何もかも忘れていまったわけじゃないのだけど
強烈だった印象が少しずつ...
少しずつではあるけれど...
薄らいでいっているのを感じます。

それと同時に、
そんな自分を 薄情だとか冷たいだとか
喉元すぎれば何とやら...って感じがして
少なからず責めている自分がいます。

だけど...

去年も ちょっと感じていたことなんだけれど、
強烈なインパクトが薄れていくのとは裏腹に、
何か本質的なものがジワジワと
染み込んできているような気もします。

 
ボクは、毎年1月17日に断食をして
いったい 何を忘れまいとしているのだろう?

 
こういう疑問が過ぎるくらい
ショックやインパクトは既にないのかも知れない。

でも、惰性で続けているわけではないことも
実感として、間違いないのだと感じています。

まったく抵抗することのできない自然の猛威...
呆気なく消えていく生命の儚さ...
積み重ねてきたものが一瞬にして奪われる失意...
とても処理しきれない膨大な課題...

こういうことから目を逸らさずに
ずっと 向き合い、味わい尽くすことによって
今の自分を創ってきたような気がします。

そして、震災直後の感情的なものとは違い、
今では、人の存在、自身の存在というところに
焦点が変化していることも確か。。。

だからこそ、
当初とは違う視点で震災を振り返っている...
そういうことなのかも知れません。

いずれにしても、ボクにとって、
そして同じ体験をした多くの人たちにとって
1.17は、その後の生き方を変える日になった。

急激に変化したことが一段落した近年、
徐々に変化してきたことが現れ出てきている...
そういう時期になっているんだと思います。

・・・などと、
思ったり... 思わなかったり...(^^ゞ

 

●1年前の今日:これからも忘れない

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  阪神・淡路大震災 震災 生命 断食  天命 

ページTOPへ↑

EDIT

対岸の火事

看護婦の資格を持っており、もともとボランティア精神も旺盛だった彼女に引っぱられるかたちで、僕も、長田によく行きました。
それから15年が経って、今でもまだまったくおなじことを思うけれども、長田のオバァたちオジィたちが生き延びるための最大の障害になっていることは、笑い、です。
身寄りがないので、そもそもが孤独です。そして、テレビは、長田のオバァやオジィのような年寄りには、笑いを提供してくれないのですね。 一日に、一度も会話がない。言葉を発することもない。あはは、と、笑うことがない。
これはね、やっぱり、生きる気力を萎えさせます。
孤独死は今もあるし、死ねばニュースになるけれども、死なないまでも、会話がない、言葉を発することがない、あははと笑うことがない、という生活は、死んでいるも同然です。泳がない魚、泣かない赤ん坊です。でも、その生活のさまは、なかなか外には伝わっていかない。
そのことの重要性を、僕は、当時も、そして今も、ずーっと痛感します。だからこそ、せめて、一緒にあははと笑おう、そう思って、僕は、長田に遊びにいきます。
ボランティアという言葉の在りようは自分なりに持っているつもりだけれども、僕は、ただ、きっぱりと遊びにいってるだけです。

via: 大阪市の北区をグルグル巡るブログ
あれから15年。震災の日、誕生日に思う。

 
永年、1人暮らしだった
自分のお婆ちゃんも被災者の1人。

ご近所の方たちのおかげさまで
命だけは助かったものの
震災後は、すっかり弱ってしまった。

若くして未亡人になったお婆ちゃんは
戦後の混乱期から激動の時代を
女手1つで3人の息子を育て上げ
気丈に生きてきたのに...

歳のせいだと言われれば それまでだが
一気に老け込んだのは
震災の後、笑い減ったことが大きいと思う。

もっと!もっと!
頻繁に遊びに行けばよかった。。。

 
震災が奪っていったもの、
震災が気づかせてくれたものは、
財産、生命、大切な思い出、
防災や危機管理などの問題だけじゃない。

コミュニケーションの重要性や互助精神、
メンタルヘルスのケアなどが話題になった。

暴動のような大衆行動が少なかったため
邦人の秩序正しい部分が注目されたりもした。

しかし、
対岸の火事的な、ある意味で冷たい人情については、
多からず指摘されることはあっても
それ以上に議論されることは未だかつてない。

当時、そのことに
とてつもなく腹が立っていたのを思い出す。

いろいろなエピソードがあったらしいけど、
その真偽はさておき、自分の周りにも
対岸の火事でしかない状況は確かにあった。

そして今、
冷静になって感じ直しているのは、
対岸の火事も また必要悪なのかな...ということ。

悪って言うのもナンだけど、
そういう人がいなかったら、
街の復興はなかったというのも確か。

では、
どの範囲からが対岸になるにか?っていうのは
なんとも定義しがたいところなんだろうけど、
物理的、精神的、因縁的な距離によるんだろうな。

もちろん!
自分は対岸ではなく此岸にいたわけで
未だに怒りや悲しみが消え去ったわけではないけれど、
その後の大災害のことを考えてみるにつけ、
その対岸にいた自分のことを思い知らされる。

いろんなことを考えたり思ったりするけど
いろんなことが できてへんな。。。

でも...
それは それで ええんやと思う。

それが今の自分なんや ということ。

できてないところが見えるということは
できた状態を知っているからや、ということやねん。

カンペキな状態を知っているから
できてないということを理解できる。

人は、自分の器の範囲でしか
考えたり想像したりできないし、
考えたり想像したりしていることは
自分の手中にあるポテンシャルなのだから。

 
ええねん ええねん
神様やないねんから それでええねん
 

その相方も、10年前に、アフリカのニジェールという国へ看護婦のボランティアに行ったきり、戻ってきませんでした。
内戦で欠けてしまった人々の身体と心に、なにがしかを埋める作業をしに、彼女はニジェールに行ったのでした。
彼女が属していたボランティア団体は、災害地や紛争地にいち早く到着して、医療面からの適正なサポートを、政府や思想や社会体制によらずに、行なってきたところです。
そして、彼女が赴いた現場で、ゲリラ戦が起こりました。
そのゲリラ戦で亡くなったのは、数十人とも百人以上とも言われています。
今もって、正確な数字はわかっていません。

via: 大阪市の北区をグルグル巡るブログ
あれから15年。震災の日、誕生日に思う。

 
大災害の最大の悲しみは、名前が残らないということ。

そして、戦争に巻き込まれた人たちもまた然り。

人っていうのは、大きな流れの中では
なんと小さな存在なんだろう。。。

全宇宙の中の自分なんて・・・

だけど、
その小さな存在の集まりが
この宇宙をつくっていることは確か。

 
名前は、
その人を知る人にだけ残ればイイのかも知れない。

それ以外の人にとっては、
対岸の火事でしかないのだから。

 
・・・で、
それは そうと...

この引用文って、どことなく...
覚えがあるようなないようなことが
そこここに書かれてある。。。

気になってフロフィールを見てみたら…
なんと! 学生時代の友人だった!(たぶん)

けっこう前から読んでいたweblogだけど
今まで ぜ~んぜん気がついていなかった。

旭富士のファンだった相方さんの
その後のことも、この記事を読んで初めて知った。

20年も会ってないからね。

時は常に流れていく。諸行無常やね。
そして、ボクは
対岸の火事に 全く気づいてなかったわけやね。

彼は彼を、自分は自分を生きていた20年。

 
それにしても、
ここで、こういうカタチで再会できたことは
なんとなく イイ感じ!   うん。

ちょっとセンチメンタルな気分ではあるけれど
けっしてノスタルジーに浸っている感じじゃない。

やっぱり! 流れが変わってるな。

流されず、流れに逆らわず、
自然に この流れに乗っていこう!

 

●1年前の今日:お幸せに…

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】   阪神・淡路大震災 震災  

ページTOPへ↑

EDIT

これからも忘れない

記憶を焼きなおすために…
思い出にさせないために…
心の叫びをを届けるために…
そして 一つになるために…

15年目の今日も断食します。

防災を考えるのも悪くないけれど...
この日は「生命」に焦点を当てたい!

それが、せめてもの 願い...

忘れない
 

大規模災害というのは、皆が一様に被害を受けているように見えて、じつは、如実に格差が出るものでも、ありますね。
持たざる人たち、ギリギリの生活を余儀なくされてきた人たちが、ひとたび災害に遭うと、悲惨です。欠けてしまったものを、自力で埋め合わせる余力は、もう、どこにも残っていません。
復興に尽力した市民派の小田実は、彼らは政府によって捨てられた棄民だ!と、看破しました。
黒田門下の大谷昭宏は、最初の5分は天災だったかもしれないが、それ以降は人災だ!と、咆哮しました。

via: 大阪市の北区をグルグル巡るブログ
あれから15年。震災の日、誕生日に思う。

 
あの傷ましい惨事が
昨日のことのように思い出される。

あの時、被災地にいた人なら、
この引用の意味がよく解るのではないかと思う。

このことは、当時から言われていたことだけど
未だに 何も変わっていない...
つまり、また繰り返すだろうということ。

いや、既に 繰り返されている。

そして、何もなかったかのように
記憶の彼方へと 追いやられようとしている。

 
今日一日、
テレビを観ていても
ネットをうろついていても
Twitterでも Tumblrでも
震災の話題は あまり多くない。

ごく当たり前のこととは分かっていても
年々 薄れていく 震災の記憶。。。
ちょっと寂し気がするな。

事件の記録が廃れてていくことは
たいしたことではないとは思うけれど、
そこで失ったものの記憶...
そこで得たものの記憶...
それらの記憶は、
単なる個人の記憶ではなく
人類の智慧になればいいな、と 切に思う。

そのために、
自分には 何ができるだろうか?
 

当時、相方が、よく言ってました。
キリスト教には慈悲の精神があるけれども、なにも慈悲の精神でボランティアをやってるんじゃない。看護婦をやってきたんじゃない。そうではなくて、自分が必要とされる場所に身を置いて、それこそ、自分の働き如何で、誰かの生殺与奪を左右しかねないような、自分が強烈に必要とされる場所に身を置いていると、生きている実感を、これ以上ないくらいに感じることができる、と。
必要とされる場所に自分の身を置くことで、歓びを実感することができる。だから、私は、誰かのお世話をしているようでいて、じつは、その人たちによって生かされているんだ、と。
これは、キリスト教が掲げる慈悲の精神とも、仏教で観音菩薩が有している慈悲の心とも、景色が少し違うように思います。

僕も、長田のオバァやオジィたちのところに遊びにいくようになって、昨日のことのようではあるけれども、そのじつ、ずいぶんと長い時間が経って、ぼんやりとそのことがわかってきました。
自分が必要とされる場所にいるとき、引けば手繰り寄せられるようにそれを感じることのできる場所にいるとき、生かされているんだな、という感覚を、質量を伴った手応えとして持つことができます。

via: 大阪市の北区をグルグル巡るブログ
あれから15年。震災の日、誕生日に思う。

 
あの震災で、生き方が変わったという人は多い。

強烈なインパクトがあったせいもあるけれど
本質的なことを目の当たりにすることになったという
今までに避けて通っていたところに
足を踏み入れていまったからだと思う。

でも、
直後に変わったと感じたことの大半は、
インパクトによる影響があった部分であって、
実は、本質的な部分っていうのは
その後、何年も時間を経て
じわじわと自分に浸み込んできているように思う。

自分も震災直後は
エモーショナルな行動が主だったけれど、
今では、人の存在、自身の存在というところに
実は 興味の的は移っていて、
それと共に、あの震災の見方も変わってきている。

このようなエピソードや思いを綴ることは
ただ単に、震災の記録や記憶をつなぐだけでなく
本当の意味での人類の智慧の素となるかも知れない...
これを読んでいて 気づかせてもらった。

 
そして、なんと!
もうひとつ、大きな気づきが...

でも、今日は
ちょっと長くなってしまったし
空腹で落着かないから
この続きは また明日。。。

 
明日なんて来るかどうか分からないけど…
こうして明日を創っていこうと思う。

お気楽に..(^^)/~~~

 

●1年前の今日:しまった…!!!

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  阪神・淡路大震災 震災 断食  天命 

ページTOPへ↑

EDIT

通常通りの営業という姿勢

阪神・淡路大震災後、
瓦礫だらけの兵庫界隈を自転車で走っていたら、
シャッター街と化した通りで一件だけ、
わんぱくこぞうが営業していたのでした。
冗談かと思いました。
テレビなどでご存じの通り、これ以上ないくらいに
壊滅した街中で、ゲームショップが普通に営業しているんです。
余震のたびにどこかから声があがる道程の先で、
別に震災応援キャンペーンとかやるわけでもなく、
普通にゲームを売ってるんです。
棚には整然とゲームソフトが並んでいて、
足もとにゴミなんて落ちていません。
何事もなかったかのような店内に入っていると、
先ほどまで見ていた絶望的な光景がうそだったんじゃないかと
本気で疑う自分がいました。
・・でも、店の外へ出れば破壊されつくした町並みがやはりあって。
がっかりはしたけれど、わんぱくこぞうにいた一瞬だけ、
震災前の気持ちに戻れたのです。
同じ気分を味わっているだろう人々が、
ソフトの陳列棚を見ながらひどく落ち着いた
顔をしていたのがひどく印象的でした。
震災当時、任天堂がゲームボーイを避難所に差し入れたり
ゲームセンターが無料で開放を行ったりしていたのですが。
当時、わんぱくこぞうは通常通りの営業という姿勢で、
ゲームショップとして出来る最上の貢献を被災地域に行ったのだと、
今でも感謝しています。

via:きままにゲームリーダー

 
被災地にエンターテイメントを供給している...
なんていう 表面的な行動じゃない。

だいたい、あんなに酷い状況で
誰もゲームなんか買おうと思わなかったし。

でも、
普通どおり、平常どおり
店を開けてくれていること...
そのことが イチバンの励みになった。

誰にでもできるようで
誰もやらなかったことを
淡々と やってのけてくれた。

 
うん。
やっぱり!これやね。

お気楽に
誰にでもできることを
誰にもできないくらい続けます。

震災大時計

 

●1年前の今日:手術は成功!

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  お気楽  天命 震災 

ページTOPへ↑

EDIT

しまった…!!!

今日は1人でスーパー銭湯。

家族と行くのも悪くはないのだけれど、
たまには 1人ゆっくり過ごすのもイイ。

完全に!どっぷり!リセット気分に浸りました。

けど…
温泉には ゆっくり入ったけれど
その後は、買い物を済ませて、サッと帰宅。

自分だけ のんびりするのは
やっぱり ちょっと 気が引けます。。。

 
ところが・・・

完全!どっぷり!リセットしたせいか...
今日が大事な一日だったことを
完全!すっかり!忘れていました(>_<)

 
14年目の今日は、
毎年続けている断食ができませんでした。

決して忘れない!
いや!忘れられない日なのに…

自分1年の中でも
イチバン大事な1日だったはずなのに…

 
かなり ショック。。。(>_<)

 
お気楽にも 程がある! と
自分を責める自分がいる。。。

 
でも、なぜか…
そのキモチは、長く続きませんでした。

 
うかつにも忘れてしまったことは確かだけど、
こうして、ちゃ~んと思い出してる。。。

記憶がとんでしまったわけじゃない。

長く続けていれば
こんな日も一回くらいはある。

 
というより…

明日を見て
未来のためにリセットして
のんびりスローテンポではあるけれど
ゆっくり しっかり じっくりと…
歩み始めていることの実感が
こんな自分を許してくれているみたい。。。

やっぱり お気楽すぎるかな~

 
ええねん ええねん

去年までの自分も 確かに自分。
今年の自分も 紛れもない自分。

あれも これも 自分そのもの。

こんな自分と 一生つきあっていきます。

 

●1年前の今日:忘れない

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  お気楽  阪神・淡路大震災 震災 断食 

ページTOPへ↑

EDIT

忘れない

13年目の今日も断食します。

記憶を焼きなおすために…
思い出にさせないために…
心の叫びをを届けるために…
そして 一つになるために…

防災を考えるのも悪くないけれど...

この日は「生命」に焦点を当てたい!

それが、せめてもの 願い...

 

≫ つづきを読む

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  阪神・淡路大震災 震災 断食 

ページTOPへ↑

| PAGE-SELECT |