元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

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暗闇の中でこそ見えるものがある

When it is dark enough, men see the stars.
十分暗くなったとき、人は星を見る

Ralph Waldo Emerson

都市部に住んでいると
ほとんど星が見えません。

月と金星や木星などの惑星と
夏の大三角やオリオン座などの
特に明るい星や星座だけが
辛うじて確認できるだけです。

街灯や電飾看板が一晩中
煌々と輝いている街の上空を
真の暗闇が覆い尽くすことはありません。

ほんの小一時間ほど電車に乗って
郊外のベッドタウンに行ってみると
天の川が見えるくらいの暗さがあるのですが
往々にして人は光を求めたがるものですね。

ところが
明るく眩い光につつまれて
便利で楽しい生活を謳歌しているつもりでも
誘蛾灯に群がる虫たちのように
いつか夢から醒めて
現実を目の当たりにすることもあるのです。

いつも闇の少ない生活をしていると
うっかり忘れてしまっているのですが
本来の夜は暗いものなのです。

明るいがゆえに
そんな当たり前のことが見えなくなっています。

逆に言うと
暗闇の中でこそ
初めて見えてくるものもあるのですね。

必要以上の灯を捨て
闇を受け容れ、静かに目を閉じれば
実に多くのことが見えてきます。

けれども
親のスネをかじっている時には…
会社員として月給を貰っている時には…
元気ハツラツと健康に過ごしている時には…
そんなことには気がつきません。

自分の家庭を持って自立した時
全責任を負って起業して独立した時
大病を患ったり大きな怪我をした時
初めて見えてくるものがあるのですね。

それらの中には
目を覆いたくなるような厳しい現実もありますが
涙を抑えきれないくらいの感動体験もあります。

悲しく、切なく、やるせないことよりも
嬉しく、ありがたく、心洗われることの方が
むしろ、たくさん見えてくるような気もします。

不安や絶望に襲われた時こそ
その奥に、これまで見えなかった
暖かく力強い希望に満ちた無数の星たちが
見えてくるチャンスなのかもしれません。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

暗闇の中だからこそ本当に見える誠がある

via: 佐藤新一

 

●1年前の今日:やり直したいと思っているのなら…

コメント:2 | TB:0 【しあわせメモ♪】   受容  自主自立 お気楽 

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闇を受入れよう

「となりのトトロを観たり、ゲゲゲの鬼太郎を読んでて思ったわ。
精霊たちや妖怪たちって森や沼や山によく出没する。自然と密着してたりする。

森や沼や山には、なにがあるのか。
森や沼や山には、闇がある。
ほんものの闇がある。
なにも見えない、なにも聞こえない、なにもない場所。

人間は「なにもない場所」がこわい。
さらに言うと、「なにもない場所」がこわいんじゃなくて、「なにもない場所に自分しかいない」からこわい。

人間はふだんの生活のなかで自分の存在というものを意識せずに生きている。町の喧騒や携帯電話やパソコンは、自分の存在を消してくれる。その状態になんとなく安心するんだわ。
だから、だからというか、人間は「闇」という「なにもない場所」にいる時、自分の存在に否応なく向き合うことになり、他に誰もいないので自分自身と対話することになり、それがこわい。滅法こわい。

だって対話しているそいつ、「自分自身」って、まるっきり正体不明なんだもん。

正体不明ってこわいわ。なんだかわかんないからこわいわ。どうせなら姿形がほしい。鬼でもいい。ドラキュラでもいい。わかりやすい「形」がほしい。そしたらまだ安心するのに。
その昔、精霊や妖怪が生まれた背景にはそういった人間の心理が深く関係しているんじゃないかと思うわ。

峯田和伸の★がぶがぶDIEアリ

 
夜、真っ暗な場所が
ほとんどなくなってしまった。

永く都市部に住んでいると、
ホントそうだと実感する。

眩いばかりのネオンサインだけじゃなく、
ほとんど意識することもなくなった街頭や
自販機の照明、信号機や車のヘッドライト、
家の中でも照明のない部屋はなく、
家電製品のパイロットランプなどは
24時間 点きっぱなしになっている。

子供の頃に、母親の実家に行った時、
夜、寝床に入った後は、
月でも出ていない限りは、
本当に漆黒の闇が広がっていて
得体の知れぬ恐怖に駆られて
布団を被っていたことを思い出す。

文明は、闇に立ち向かって照明を作り出し
人は闇を克服したかのように振舞っている。

しかし、
強い光で照らせば照らすほど
より強い影が生じ、一向に闇はなくならない。

そして、
闇というものは、
光に対する影のみならず、
健康に対する病気や
快楽に対する苦労など
様々なカタチとなってこの世を覆う。

生と死、自由と束縛、動と静、
一方が強く出れば出るほど、
もう一方もまた強く現われ出る。

それらは表裏一体であり
いずれも避けることはできない。
 

ここ読んでいる人はどう思ってるんだろ。こわくないのかなー。毎日楽しいだけかな。
なるべくバンドやっていけたらいいなー。楽しくやっていけたら。誰かが笑ってくれたら。喜んでくれたら。
まず「こわい」っていうことを受け入れたうえで、楽しんで生きていきたい。誰かを傷つけているかもしれないということを充分理解したうえで、歌を歌っていきたい。
ネットだけが世界じゃない。ネットはネット。現実はこわいけど、それでも現実には素敵な瞬間が満ち溢れている。現実は最高だ。現実なめんな。

 
闇を受け入れよう。

自分のなかにある「わけわかんないやつ」を認めよう。
「ルール」じゃないやつを。「神様」にもならないやつを。

峯田和伸の★がぶがぶDIEアリ

 
一昨日の「危機感の厄介さ」でも触れたけれど
避けて通ろうとしたところで
どこまでも追いかけてきて
いつまで経っても安堵は得られず、
結局、いつかは感じ切らなければならない。

かつて人類が暗闇の恐怖を受け入れて
洞窟の奥深くに隠れ潜んで夜を過ごしていた。

現代人もまた、
避けようとすればするほど避けれなくなる
闇という妖怪をやっつけようとするのではなく、
畏れながらも付合っていくことによって初めて
本当の意味で闇を克服できるんじゃないか...
そんな気がするな。

 
そして、
持ち出す感覚」で書いたように、
表現というものは、恥ずかしさを伴う。

この恥ずかしさというものも
闇のひとつになり得る心持ちなのだと思う。

さらに、表現というものは、
恥ずかしさを遥かに通り越して
批判や中傷を浴びせかけられる恐怖をはらんでいる。

あらゆる表現は、常に闇と直結している。

このような駄文ですら
どんな反応が返ってこようとも不思議はない。

しかし、
その闇を受入れて、なお表現するということは、
単に批判の的になることに甘んじるということではなく、
受け手の感じ方や捉え方を配慮して
表現の仕方やタイミングを考慮することによって
今一度、自分を曝け出すということなのではないか...

とか、
思ったり... 思わなかったり...

やっぱり 闇は怖いね~
でも、避けられへん。避けたらアカンのやな。

 
闇を受け入れよう。

自分のなかにある「わけわかんないやつ」を認めよう。
「ルール」じゃないやつを。「神様」にもならないやつを。

闇を受け入れよう

 

●2年前の今日:当社規定 !?

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