元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

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シンプル vs. 多機能

MacBookに“USB-C”だけあれば十分だろ(ドヤァ)

Apple「MacBookに“USB-C”だけあれば十分だろ(ドヤァ)」

Panasonic「とりあえずLet's noteに、現行の接続規格を詰めるだけ詰め込んでみました!」

(ちなみに両機種とも12インチ)

via: Twitter / browntiger8420

とりあえずLet's noteに、現行の接続規格を詰めるだけ詰め込んでみました!

まぁ人によって好き嫌いがあるとは思うのですが…

どっちがイイとか悪いとかじゃなくて、どっちも選べるってこと、場合によって使い分けられるってこと、そういう健全かつ恵まれた状況にいるってことだよ。

一方だけしか存在しなければ そうはいかない。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
「楽しい」は「めんどくさい」のスグ近くにある

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明日は明日の風が吹く

明日は明日の風が吹く

「明日はいい日になるといいなぁ」と願う人もいれば、「明日はいい日にしよう」と、もう今日から決めてる人もいる。

via: Twitter / shh7

もっと他にも…

「明日はいい日になるに決まってる」
「明日はいい日になるような気がする」
「明日はいい日でなくてはならない」
「明日はいい日かどうかなんて関係ない」
「明日はいい日になるわけがない」

…などのように、人それぞれ
さまざまな考えや思いがあります。

しかしながら
どの人のどんな考えや思いであっても
全て明日という未来のことであって
どうなるかなんて分からないのです。

「明日はどうなるか分からない」

明日を楽観的にみようと悲観的にみようと
主体的に捉えようと従属的に捉えようと
能動的に考えようと受動的に考えようと
可能性に期待しようと諦めようと
それは各々の思い描いた架空の明日であって
実際に明日がどうなるのかは
明日になってみなければ分かりません。

そう!
だから自由に仮定すればイイんですね。

予想がはずれて落ち込まないように
悪い目の仮定をするのも自由だし、
とてつもなく良い仮定をして
良い結果を引き寄せようとするのも自由。

「明日はどうなるか分からない」

さて…
自分ならどんな仮定をしてみるだろうか?

うん…
やっぱり良い結果を想像していたいな。

なかなかそう思えない時もあるけれど
できるだけ前向きな仮定をして明日を迎えたい。

「明日はどうなるか分からない」

ですが、良い仮定をしている方が
明日までの時間をワクワクしながら過ごせそう!

今夜はこう思って眠ることにします。

「明日はいい日にできる」

「明日もいい日でよかったね」

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
日曜参観 2015

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自分の価値は自分が決めている

人が自分の価値を決めるのではない。自分を認めてくれる人を、自分で探す責任がある。

自分がどんなふうに見られたいかなんていうのは自分で決められることなのだ。実は人が決めることじゃない。人が自分の価値を決めるのではない。自分を認めてくれる人を、自分で探す責任がある。人に認められるために自分を磨く努力と、自分を認めてくれる人、市場を自ら探す努力。どっちも必要だ。

via: Twitter / shh7

ダメ出しする人の期待に片っ端から応える必要などない。

自分を認めてくれない人にかまっている暇があったら、もっと自分を認めてくれる人に時間を割いたほうがイイ。

誰かれ構わずイイ顔しようったって、そんな上手くいきっこないし、むしろ自分の価値を下げることになる。

自分の価値を最大限に活かしたいなら、自分の価値を認めてくれる人を自分で選ぶことが肝心。

自分の価値は自分の心構えと行動で決まる。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
ついつい…

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あえて情報を遮断してみる

人混みを歩くときは、目の前の約1mに集中すること

目線を下げて、地面を見る。それも、自分の足の先から半径1mくらいの範囲に集中する。周囲の人の動きを全てシミュレーションする必要はないのだ。大事なのは、「次の一歩をどこに出すか」を正確かつ素早く判断するのに必要な予測の精度を上げることだ。そのためには、すぐ目の前の人の足の動きだけが視界に入ればよく、それ以外の情報はノイズに過ぎない。

via: コロメガネ

人混みに慣れていない人は、ぶつかったり邪魔になったりしないようにと気を遣うあまり、キョロキョロと周囲を見回しながら歩いていることが多いようです。

しかし、このように四方八方に注意を払う行為は意外にも効果が発揮されません。
とてつもない数の通行人の行動を全て予測し切ることは不可能です。
にも関わらずそうしようとしても、思いとは裏腹に予想外の動きをする人にぶつかったり集団の流れに逆らってしまいがちです。

できるだけ多くの情報を得たいと思っていても、処理し切れない情報は結果的に活用されないままオーバーフローしてしまうのですね。
これを防ぐには、必要最低限の重要な情報を的確に捉えなくてはなりません。
人混みの中でスムーズに歩くには「次の一歩をどこに出すか」を正確かつ素早く判断することが大切。一歩先の情報収集に集中することですね。

このことは人混みを歩く時に限らず、さまざまな状況に当てはまります。

フルーツや野菜はダイエットに効果的…
否、むしろ逆効果だから摂るべきではない…

仕事がデキる人は朝活をしている…
否、夜型生活の方が集中力が高まる…

将来的に手元に残る持ち家の方が得…
否、借家の方が資産の有効活用ができる…

積極的にSNSをビジネスに活用すべき…
否、SNSでビジネスをしようとしてはいけない…

世の中にはありとあらゆる情報で溢れています。
正反対のことを奨める情報も出回っていて、どちらが本当なのか迷ってしまうことも少なくありません。

そんな時は、あえて情報を遮断してみることですね。
「木を見て森を見ず」というコトバがありますが、森ばかり見ていては目の前の木にぶつかってしまうこともあるのです。

「次の一歩をどこに出すか」に集中してみる。
その他の情報を思い切って断ち切ってみる。

すると、一歩を踏み出すことができるようになります。
この一歩を繰り返せば流れに乗ることができます。
流れに乗ることができた時に、改めて俯瞰的に全体を確認してみるとイイですね。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
我慢しても良くならない

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ベストを狙うことは必ずしもベストだとは限らない

お気楽に...

自分のできることを増やす、という発想に行き詰まったら、「自分のやり過ぎを減らす」という観点から考えてみる。「今日は空気読むの少しサボる」とか。「今日は好きな人に好かれようとするの少しサボって、ただ好きなまんま接する」とか。「話が途切れても無理して話題探さない」とか。

via: Twitter / shh7

エエわ~
こういうお気楽な姿勢…

ポジティブ思考オタクとか 根性論オヤジには ゼッタイ思いつかないアイデアですな^^;

何度も書いていますが、お気楽な暮らし方っていうのは、エエ加減に手抜きをして自分が持っている可能性をみすみす逃すような生き方じゃありません。

プラスもマイナスも、陽も陰も、白も黒も、どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、時処位に応じて自由自在に使い分ければイイんじゃないのっていう考え方。
その丁度イイ加減のバランスのところが自然だし気持ちイイよねってことなんです。

だいたいの場合は「無理しない」っていう選択になることが多いんですが、時にはガチガチに無理を利かせて集中的に力を注ぐことだって悪くない。いつもダルダル~ってしてなきゃならないこともありません。

大事なことは、自分が本当に望むことを選ぶこと。
そして、自分が自分の意思で選ぶこと。

そのためにはけっこう頭に汗かいて考えなきゃならないこともありますし、その気になればスポ根並みの努力をしてもイイ。まぁ たぶん もうボクの場合ははしないだろうけど(^^ゞ

もうコレしかない! と思ったら要注意ですね。

ちょっと頭を冷やして考えれば、必ず他にも視点があるものです。

それが最善策ではないかもしれませんが、必ず他にも案はある。
最善策に拘ることなく次善策や駄策でも気にせずに出しまくれば、コレしかない症候群を解消することはできます(^^)v

ええねん ええねん
それで ええねんて。

その程度でイイの? そう思うかもしれませんが、毎度毎度ベストの選択なんてできやしませんよ。にんげんだもの(みつを)

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●関連記事:
「これしかない!」と思っていることは…
●1年前の今日:
非常呼出し!?

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変えるも自由 変えないも自由

今ここから始まる未来と自分は変えられる

「やる気がなくなった」のではない。 「やる気をなくす」という決断を自分でしただけだ。
「変われない」のではない。 「変わらない」という決断を自分でしているだけだ。

via: アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉

目の前にある状況について、周囲の環境や過去の経験に原因を求めてしまうことは誰にでもよくあることですね。
とりわけ今の状況を好ましく思っていないときは、他者や過去の自分のせいにしたくなることが多いようです。

ところが、同じ状況にあっても、それを前向きに捉える人もいます。
そういう人はウソくさいとか偽善者だ言われることもありますが、必ずしもそうではなくて、本心からピンチをチャンスと捉えたり、多少の困難を楽しんでいる人はいるものです。

この違いはどこからくるのでしょう。

どんな状況であっても、どう対応するかは本人の自由です。
首尾よく事が運ばない状況に嫌気をさしてしまうのも自由。
「今は待て」の啓示だと信じてじっくり構えるのも自由。
やり方がマズイのかも? と反省・改善するのも自由。
どう受けとめて、どう感じ、どう行動するかは自由なんですね。

人は過去に縛られているわけではない。 あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。 過去の原因は「解説」にはなっても 「解決」にはならないだろう。

原因を他者や過去の自分のせいにして不自由に縛られているのも自由。
今からどうすれば良いかを考えて自由に行動するのも自由。
つまり、本人の考え方次第で、状況の評価は如何ようにも変えることができるということです。

自由になるか 不自由になるか
ピンチと捉えるか チャンスと捉えるか
めんどくさいと思うか ワクワクするか
本人がどう考えるかによって状況は違ってくるんですね。

フロイトは、「人は過去に規定され、自分で未来を制御できない」と言いました。

これに対してアドラーは、「遺伝や教育などの「原因」によって行動が規定されるのではなく、人は未来への「目的」によって行動を決めているから、自分の意思でいつでも自分を変えることができる」と主張しました。

どちらが正しい説かということではなく、「何かに拘っている限りはその何かに規定され自由を失ってしまう」ということだと思うのです。

遺伝や育った環境は単なる「材料」でしかない。 その材料を使って 住みにくい家を建てるか、住みやすい家を建てるかは、 あなた自身が決めればいい。

遺伝や教育や過去に拘っていると未来の自由度は激減してしまいます。
しかし、拘ることも自由、拘らないことも自由。
どう受けとめて、どう感じ、どう行動するかは自分で選択することができるということです。
自分たちは常に自由な表現や行動をすることができるとは限りませんが、いつでも自由に感じたり考えたりすることはできます。
感じ方や考え方を変化させることによって、表現や行動の自由度も拡がってきます。

人生が困難なのではない。 あなたが人生を困難にしているのだ。 人生は、きわめてシンプルである。

そして何よりも、この自由を行使するのもしないのも自由。
過去も現状も未来も、自分が自由を選択したか否か、自分自身で決めているということ。
いくばくかの制限があったとしても、自分たちはなんと晴々しい自由をもっているのだろう!

状況の価値は自分が選択して決めている。
つまり、未来は自分で選択して決めることができる。

このことに共感するのも自由。
同意いないのも自由です。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
おてがる過ぎる!? お出かけと恋愛祈願

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いざという時に力を発揮するためには…

いざという時に力を発揮するためには…

どっちの道を選ぶか、それによって人生が大きく変わってしまう岐路に立たされた時、人は自分が抱えている課題などちっぽけで取るに足りないと後に回しがちだ。でも本当にそれがやりたい人はそんな状況でもコツコツ表現して、いましか創れないものをちゃんと形にする。どっちを選ぶかよりそれが大事。

via: Twitter / zoonieyamada

実のところ、いざ一大事という時になって集中力を高めるたり気合を入れたりしても、それによって特別な力が湧いて出ることはない。
あくまで普段の積重ねがものを言う。

日頃、次から次へと目の前に顕れる課題に対して着実に取組んできたかどうか、執着や妥協を超えて最善を尽くしてきたかどうかが一大事の時に試される。

どんな些細な課題に対しても真摯な態度で臨み決断を下すことを繰返し経験することでしか決断力を鍛えることはできない。

考え抜き感じ切り自らの意志として決断を下すことができれば、如何なる選択をし如何なる結果を得ようとも、そこに悔いる道は存在しない。

いざという時に力を発揮する人は、普段を何気なく過ごしてはいない。
日頃から、小さな決断、小さな取組みを、お気楽にコツコツと積重ねるのがコツ!

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
やはり反重力マジックは難しかった^^;

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】   決断 決意 選択 継続 

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自分が本当に好きなことを知っていますか?

「好きなことを仕事にする」というと、すぐ考えがちなのは、趣味を仕事にしようということだ。映画が好きだから、映画の仕事をする。音楽が好きだから、音楽の仕事をする。でもそれは映画や音楽という”名詞”が好きだということに過ぎない。残念ながらそれだけで仕事を選ぶのは危ない。なぜなら、それだと趣味と仕事に明らかに乖離が起きてしまうからだ。

例えば、ぼくが好きなのは「映画を“観る”」ことであって、「映画を”売り込む”」ことではなかった。ぼくが目指したのは映画の仕事の中でも宣伝という仕事だったが、その仕事はどんなに自分がつまらないと思った映画でも、アイドルが出てるだけの中身のないような映画でも宣伝のためあらゆる人にオススメしないといけない。正直、自分にはそれが耐えきれなかった。

このように、好きなものが”名詞”であった場合、それは仕事にしたとき確実にギャップが起きる。では、もし”動詞”のほうが好きだった場合どうだっただろうか?よく、世間には営業の仕事が好きという人がいる。相手に商品を売り込んで成果をあげるのが喜びなのだという人だ。こういう人は別に商品という”名詞”にこだわらない。あるものを”売り込む”という”動詞”が好きだから、それが不動産であろうと、広告であろうと構わないのだ。

つまり、仕事選びのときは何を扱うかという「名詞」ではなく、何をするかという「動詞」が問われる。だから、好きなことを考えるときも、何をするかという「動詞」を軸に考えるべきなのだ。

via: まさろぐ
好きなことを仕事にすれば、幸せになるのは本当か?休学して辿り着いた答え。

ちょっと乱暴な感じもありますが
興味深い記事だったので長めに引用…

映画を観るのは好きだけど
映画を売ることが好きなわけじゃない。

そういう部分にも気づけるようになるために
「名詞」ではなく「動詞」で選ぶというアイデアは
ありそうでなかった、とっても良い発想ですね。

いつも当たり前に見ているところとは
違った角度から見直してみることによって
今まで気付かなかった部分が見えてきますし
立体感や動きを把握することもできます。

「動詞」で選ぶことによって
「名詞」で選ぶよりも
本当に「好きなこと」に近いところに
選択基準をおけることがポイントですね。

「好きなこと」の中身というか
本当に「好きなこと」は何なのかについて
キチンと考えたことのある人は
意外にも少ないんじゃないでしょうか。

「好きなこと」を仕事にしたとき
乖離やギャップを感じてしまうのは
本当に「好きなこと」を正確に把握しないまま
仕事を選んでしまっていることが一因です。

そう考えると
単に「動詞」で選べばそれで良い
ということではなく
本当に「好きなこと」を把握するため
視点を変えて見直してみることが大切なのであって
もっと他の視点や切り口を試してみることは
さらに有意義な自己分析になるということもできます。

どんな時に好きだと感じているのか?
他の条件との組合せで好きなんじゃないのか?
それを好きな人を好きなだけじゃないのか?
他の好きなこととの共通点は何か?
それがなくなったら何で代用するだろうか?
何故それが好きなのか? 好きな理由は?

いろいろと問いを変えて見直してみると
意外な自分が見えてくることもありますね。

まぁ たいていは
自分自身には自分のことは見えにくいものです。

そう言う自分だって
実は、自分は何が本当に好きなのかを
ハッキリとは把握できていないのですが(^^ゞ

そして、さらに言えることは
今、好きだ感じていること以外に
他にも好きなことがあるかもしれない
ということには
ほとんど意識が向いていません。

だって
知らないことに意識なんて
向くわけがないですからね^^;

だからこそ
知らないこと、気づいていないこと
そういう部分見てみようとするチャレンジは
視野を拡げることにつながり
選択の範囲が増すとともに
精度の高い選択を可能にしてくれます。

引用元の筆者は
いろいろ考察した結果
好きなことを仕事にするんじゃなくて
仕事を好きにすればいい
という結論を出しています。

この考えには大賛成です。

こんなことを言ってしまっては
「名詞」も「動詞」も関係なくなって
元も子もないという気がしなくもありませんが
自分が本当に「好きなこと」を把握する
ということは無駄ではありません。

「仕事を好きにする」過程での軌道修正や
それを達成したかどうかの判断するためには
やはり、本当に「好きなこと」を
明確に理解している必要があるからです。

また、「好きなこと」にかぎらず
「嫌いなこと」や「嬉しいこと」「哀しいこと」
「大切な人」「譲れないこと」などについても
案外、自分自身では把握できていないことが
少なくないような気がします。

これらについても、ことある毎に
時間をとって意識的に掘り下げてみることは
人生における選択の精度を高め
自分らしい生き方を実現するために
とても大切な内観ワークですね。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

 

 

●1年前の今日:半沢直樹に今さら共感!?

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  内観 自分らしさ 視点 選択 

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時には俯瞰的に見渡してみることも必要

生産することばかりしていたら、
生産する能力を高める時間がなくなってしまう。

via: Nagoya☆はまちゃんの自由気ままなBlo

いや… ホント…

集中して取組むことは
一時的に必要なこともあるのですが
それが日常的、永続的なものだとしたら
やっぱりマズイと言わざるを得ません。

ちなみに これは
あくせく忙しく働くよりも
呑気にお気楽に暮らした方がイイ
というような意味ではありません。

稼ぐためには営業が欠かせませんが
仕入を怠っていると売るモノがなくなります。

業績アップのために工夫をするのはイイのですが
販促や利益率向上の勉強を怠っていては
良い成果に繋がる可能性は高くありません。

家族のためを思って休日にも出勤し
毎日残業を重ねて収入を増やしたものの
家庭を顧みなかったことが原因で離婚する人もいます。

どんなに大切な仕事であっても
どんなに重要な役割であっても
それだけやってればイイというものではなくて
それをするための下地が必要なんですよね。

一番大切なことに集中するということは
二番目以降のものを捨てるというか
敢えてやらないということになりますが
二番目や三番目のものだって
負けず劣らず大切なことだったりします。

あるいは
一番を二番が支えていたり
その二番を三番が支えていたりすることも
けっして珍しいことではありませんから
一点だけに集中するということには
効能もあると同時にリスクもあるわけです。

もちろん
集中することに水を差すつもりはありません。

むしろ
選択と集中は絶対に必要だと思うのです。

ただ
何か一つのことに集中していて
それが日常的、永続的になっているとしたら
注意してみた方がイイかもしれません。

たまには立ち止まって
全体を俯瞰的に見渡してみることも大切。

まずは一息入れて
何のために集中しようと思ったのかを
改めて確認し直す時間くらいは持ちたいものです。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

時には俯瞰的に見渡してみることも必要

 

●1年前の今日:どうもヤル気がでないときは…

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  選択 集中 視点  

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直感は一瞬のできことじゃない!?

直感を磨くということは、日々の生活のうちにさまざまのことを経験しながら、多様な価値観をもち、幅広い選択を現実的に可能にするということではないかと考えている。

via: 直感力 (羽生善治)

コンピュータは
5×100の解を導くために
5を100回足す計算をするのだそうです。

カンタンな九九計算している風に見えて
実は100行程の足し算を
目のも止まらぬスピードでしているのです。

とにかく速い!!

速いけど、やってることは単純!

コンピュータと言うと
複雑なことをする機械という印象がありますが
案外、単純なことを猛烈な速さでやっているんですね。

人の直感というのも
これに似ているところがあるような気がします。

その道の熟練者たちは
高度な判断を瞬時に行っていますが
これを指して直感または勘と呼んだりしますね。

けれども、この判断というのは
瞬間的に複雑な検証をしているというよりは
永年の経験の中で積み重ねてきた
数えきれない試行錯誤の引き出しから
当てはまる結果を素早く検索しているというような
単純作業をしているような気もします。

確かに、速さという点においては
とても真似できない域に達しているのでしょうけれど
意外に単純なことをやっているだけなのかもしれません。

ただし、判断の正確さとスピードを高めているのは
膨大な経験値という引き出しが多さであり
その利用回数の多さであることは間違いありません。

瞬く間に得られたように見えていることが
実は、何年も何十年もかけて
ようやく成し得た結果だったりするんですね。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

 

 

●1年前の今日:「楽しんでやる」の本当の意味

コメント:2 | TB:0 【しあわせメモ♪】  経験 選択 積み重ね 

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経験を積み重ねれば成長できるのか?

昨日のエントリー
何でもできる人なんて!?

挑戦し続ける人は
きっと、何でもできる!

と書きました。

でも、実は
それと同時に

人は何から何まで
できるわけじゃない!

とも思っています。

何を矛盾したことを言ってるんだ…
と思われるかもしれませんが
こういうことを ↓ 考えているからなんです。

私は、経験を重ねることで人間が成長するという考え方に、実は、疑念を抱きはじめている。

via: 水を選ぶ魚:日経ビジネスオンライン

もちろん!
経験値を積むことによって
知識や技術を蓄えることができますし
媒体を介した学習では得られない
より多くの優れた知恵を
効果的に身につけることも可能です。

さらに
先のエントリーの通り、
繰返し失敗したり
いろいろな苦労をしたり
長く時間がかかったりしても
挑戦し続ける人は
経験を積み重ねることで
きっと、何でもできる!

ということにもなるわけで、
経験を重ねることは
人が成長する上で
最も有効な手段だと言えそうです。

ところが経験は
際限なく積重ねられるものではありません。

同時にできることも限られています。

あの聖徳太子は
36人の話を同時に聞いたのだそうですが
さすがに 100人はムリだったかもしれません。

今夜、誰かと食事にいく約束をしているなら
家族と食事をすることはできないかもしれないし
海外出張へ行かなければならない日には
子どもの運動会を見に行くことはできません。

つまり
何か経験するということは
別の経験を逃すということ
でもあるのです。

人の生命には限りがあります。

どんなに裕福な家庭に生まれても
どんなに健康な血を引く家系であっても
どんなにラッキーが重なった人生でも
100%確実に人は死期を迎えます。

人生は有限です。

人は限られた時間やリソースを
消費して生きています。

限りある人生の中で
どんな経験を取捨選択していくかは
成長の度合いや生きがいに
大きな影響を与えることになるでしょう。

闇雲に思いつくままに経験を重ねるだけでは
満足のいく成長や生きがいを
手にすることはできないかもしれません。

若い世代の人なら
まだ自分の進路や一生かけて歩む道を
見つけられないでいるかもしれませんから
まずは何でも経験してみることが必要でしょう。

けれども
人生半ばを過ぎた人ならば
自分自身の志す道に沿った経験や
自分が最も大切にしたい経験を
意識して優先的に選択することが大切です。

即ち

挑戦し続ける人は
きっと、何でもできる!

でも

人は何から何まで
できるわけじゃない!

ということになるんです(^^)b

私たちは
どんなことでも実現できる
ポテンシャルと可能性を持っています。

だからこそ
限られた人生を有意義に過ごすために
志を明確にして活きる原理原則を心に決め
それに向かって邁進していきたいものです。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

経験を積み重ねれば成長できるのか?

via: GANREF

 

●1年前の今日:気をつけなくちゃ!

コメント:2 | TB:0 【しあわせメモ♪】  経験 成長 選択  人生  

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選択が意志になる

「選択が意志になる。」 強い意志があるから選べるんじゃない、悩み、傷つき、先行きの不安におろおおろと怯えながら、それでも、最終的に腹をくくって選んだとき、選んだものがその人の意志になる。

via: Twitter / @zoonieyamada

そう!  強い意志は
選択の積み重ねでできていくのです。

たとえ その選択が間違っていたり
よい結果を得られなかったとしても
自分で選択した経験の積み重ねが
少しずつ意志を強いものにしていくのだと思うのです。

それは あたかも
成功・失敗に関わらず行動体験の積み重ねが
少しずつ自信を強いものにしていくように…

見なかったことにして
結論をむやみに先送りするのをやめて、
今の自分の実力でできる範囲の選択をしてみよう。

どう考えても最善策と思えない事柄も
実際、現状の自分の実力の範囲では最善なのだから。

もしくは、先送りをする場合でも
けっして何もなかったことにするのではなく、
考え悩み、腰が引け、脚がすくんだ結果として
「今はしない」と自分で決めて実行することで
一つの選択した経験を積み重ねることができるのです。

大切なのことは「自分で決める!」ということ。

悩んでも、迷っても、怯えながらでも
自分で選んで、自分で決めたことは
それが どんな結果をもたらそうとも
すべて 必ず 実になっているのですから。

それを繰り返し、積み重ねていくことで
より確かな、より大きな決断を可能にする
強い意志を身につけることができるのでしょう。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

選択が意志になる

 

●1年前の今日:改めて、ニュー・シネマ・パラダイス

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今ここで何を選ぶか


曇天吉日 (山下敦弘) KEEP WALKING THEATRE #1

 
人生に練習はない

いつも今が本番
けっして やり直しはきかない

けれど
見直しをすることはできる

急ぐことは難しいが
時に振り返ることは もっと難しい

見直しだと思っていることも
実は本番の重要な一場面なのだ

 
cf: KEEP WALKING THEATRE

※ 動画は全て非公開になってしまったようです。
有料でも観たいコンテンツなのに… 残念無念…

 

●1年前の今日:親身になって伝える

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いくらなんでも…

いくらなんでも こだわらなさ過ぎ

 
いくらなんでも

こだわらなさ過ぎ。

 

●1年前の今日:ワクワク ドキドキ

コメント:0 | TB:0 【なに?コレ?】  インターフェイス 選択 コミュニケーション 

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「ひきかえ」にしたもの

「ひきかえ」という言葉が
胸に響いた。

私たちは何かを選び取った際、
「ひきかえ」にしたものをちゃんと見ているだろうか?

選択では、何を選んだかより、
そのことで何を失うのか知ることが重要。

via: おとなの小論文教室。

 
そう。 そうやね。

選択とは、
得ようとするものと同時に
捨てるものを選び出すということ。

 
何を得るかよりも
何を捨てるかが大切。

・・・って言うよりも

何を得るかを知ることと
何を失うかを知ることは
同様に大切なこと。

 
ところが、往々にして
得るものについて深く考えることはあっても
捨てるものを じっくり考えることは案外少ない。

選択に迷っている時というのは、
得るものと捨てるものの両方を
同じ比率で考えている時なのかも知れないけれど、
決断をしようとする段になると
得るものを優先的に検討することが
前向きな姿勢なのだというような理由で
一挙にバランスを崩しているようにも感じる。

でも、
本当に それでいいんだろうか?

いや...
たぶん、それでイイんだと思う。

この場合、大事なことは、
どちらを決め手にして決断したかということではなく、
決断の前に、両方を充分に見極めたかということ。

得るものだけに捉われていては
失ったものに気づいた時に後悔するかもしれない。

失うこのだけに捉われていては
行動ができず、やはり後悔することになるかもしれない。

苦渋の決断をしなくちゃいけないという意味ではなくて、
得失両面を知っておくことがポイントなのだと思う。

 
どちらかに顔を向ければ、
必ず、どちらかに背を向けることになる。

そして、それは同時に起こっていること。

「ひきかえ」とは、
片方だけを取ることはできないということ。

得るということと 失うということは、
ある意味で、同じなのだと言えるのかもしれない。

 
選択するときに大切なことについては、
これまでにも何度か触れてきたけれど、
今この時期に、こういう文章を目にして
このことを再び考え直すことになったのは
何か 意味があるのかも知れない。

 
そして、今日、改めて気がついたことは、

得るということも 失うということも
自分ひとりの問題じゃないんだな... ということ。

いや、もちろん...
問題と感じているのは自分自身なのだから
やはり自分の問題ではあるのだけれど、
得るとか失うということは
自分ひとりの中で完結していることではなくて
周りの人たちと自分との関係の中で
生じている結果なのだということ。

ふと... そんなことを感じた。

 
やっぱり、
なにごとも、人と人の間にあるのだな...

人は、人と人との間に生きているのだな...

 
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

「ひきかえ」にしたもの

 

●1年前の今日:判っているのに 解らない

コメント:2 | TB:0 【しあわせメモ♪】  選択 決断 行動 感謝 自主自立 

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