元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

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幸福になりたかったら…

幸福になりたかったら幸福にしたい人をもつことですです

幸福になりたかったら、幸福にしたい人をもつことです。
子育てには悩みやつまずきも、困難もあるでしょう。しかし、「子どもを幸福にしたい」と思っていると、自分が幸福になる。 しかも、たったひとりの目の前の子どもを愛し続けることは、世界人類のための仕事に比べてもひけをとらない価値があるのです。

via: かわいがり子育て

一所懸命に働いて家族を幸福にしたい。
家族のしあわせそうな顔を見ることができれば疲れも吹っ飛んでしまう。
なんだか優等生ぶった話ではありますが、そういうキモチは誰にでも少なからずあるはずです。

いろんな幸福のカタチがあると思いますが、誰かのために役立ちたいという希望が叶う幸福は、中でも最もしあわせを感じる幸福なのではないでしょうか。

もちろん自分自身の幸福を願わない人はいないと思いますが、誰かの役に立ちたいという希望が叶うことは自分自身の幸福そのものなのです。

その誰かが具体的かつ身近であればあるほど、より幸福度が高くなる傾向もあります。

日本中の人たちを幸福に導く大発明や、世界中の人たちを感動させる歌を作ることはごく限られた人にしか与えられないお役目です。
けれども、目の前の我が子を幸福にすることは、世界を舞台にした大仕事にひけをとらないばかりか、それ以上の大きなしあわせを感じることのできる自分にしかできないお役目なのです。

家族や友人以外でもそう。

毎朝欠かさず来てくれるあのお客さんのために最高の商品をお届けしよう!
年に1回だけど毎年必ず指名してくれるあのお客さんのために最高のサービスをしよう!
そんな風に考えながら目の前のお客さんのために一所懸命にシゴトをする。

その結果、しあわせそうな最高の笑顔で感謝してもらえる。
これこそがシゴトのやり甲斐というもの。
この上ない幸福のカタチ。

幸福になりたかったら、幸福にしたい人をもつこと。

目の前の身近な人を幸福にするための行動をしよう!

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
新成人のみなさん おめでとうございます

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器量を大きくする

コップではなく、湖になりなさい

ある年老いたヒンドゥー教の師は、一人の若い弟子が不平ばかり言うのにうんざりしていました。

それである朝、その弟子に塩を買いにいくように言いつけました。

弟子が戻ると、師はコップ一杯の水に、ひと握りの塩を入れて飲んでみなさいと言いました。

「どんな味がしたかな」と師が尋ねました。

「塩辛いです」と言って、弟子は塩水を吐き出しました。

師はクスリと笑い、同じひと握りの塩を持って、弟子を湖に連れて行き、それを湖の中に撒(ま)くように指示し、そして湖の水を飲んでみるよう言いました。

弟子のあごから水がしたたり落ちるのを見て、師は尋ねました。

「どんな味がしたかな」

「真水です」と弟子は答えました。

「塩の味はしたか」

「いいえ」

その答えを聞いて、師は昔の自分とよく似ている弟子と並んで腰を下ろし、こう諭しました。

「人生の苦労とは、塩のようなものだ。

それ以上でもそれ以下でもない。

苦労の量はいつも同じだ。

まったく同じなのだ。

だが、私たちが味わう苦さは、その苦労を入れる器の大きさによって決まる。

だから、苦しい目にあったときは、物事を感じる自分の度量を大きくするしかないのだ。

コップではなく、湖になりなさい」

via: 「自分を変える」心の磨き方

コップではなく 湖になる

そうカンタンに器を大きくすることはできそうにない。

けれども、少し大きめのコップになることならできるかもしれない。

それができたら、次は水瓶くらいになることもできるかもしれない。

たったそれだけでも、その分だけ味わう苦さを薄めることができる。

そして楽になった分だけ、さらに器を大きくできるようになるはず。

次は水槽、次はバスタブ、その次はプール、そのまた次は・・・

薄まれば薄まるほど更に楽になり、いずれ湖になれるかもしれない。

器は大きくするほど、その分だけ苦さが薄まって楽になる。

いきなり湖になることはできなくても、まずは少し大きめのコップになろうとしてみる。

その志こそが器の正体。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
いっぱい遊んで、いっぱい笑った一日でした

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勝ち負けや損得の問題ではない

「謝る」という行動は他人からの評価を下げはしない

とても頑固だと思っていた人が、今日突然謝ってきた。「ゴメン、あれは俺の認識違いだった」って。わりと言い合った件で突然謝られて、自分はどう思ったかというと、その人のことがすごい好きになった。自分の間違いを認め、あやまる、という行動は、他人からの評価を下げはしない。下げはしないよ。

via: Twitter / shh7

「謝ったら負け」

利害が絡んだ揉めごとでは、自らの非を認めると争いに負けたということになる。
つまり、敗者として糾弾・非難され、その責任を負わなくてはならない。

しかし、これは常に真実だというわけではない。

「負けるが勝ち」

一見すると負けたように見えても、勝ちを譲って引き下がることで得られるメリットことは案外少なくない。

しかし、これは負けて勝ちを取ったことになるのだろうか。

どちらにしても少なからず違和感を覚える。

確かに勝ち負けを決する必要がある場面もある。

が、日々暮らしていく上での課題は、勝ち負けや損得の問題だけではない。

勝ち負け損得を意識し過ぎるあまり、もっと大切な何かを見失っていることがあるのではなかろうか。

責任を負うということは、負けたものに課せられた罰ではない。

すすんで自らの責任を負うことによって、自分自身の役割りを全うできることになるのではないか。

自省し責任を負うことで失うものは何もない。

あるとすれば、その時までに持ち続けていた執着や我欲のみ。

それらを手放した瞬間、人は自由を与えられるのだ。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
ついでにやれば先送りは防げる!?

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誰にでも得手不得手はあものです が…

誰にでも得手不得手はあものです が…

誰にでも
得手不得手があるものです

得手を活かせる場所で
自分らしく咲けばいい

攻撃的な行動が苦手なら
鉄壁の守備で機会を伺う

瞬発力に自信がないのなら
誰よりも永く継続してみる

パワー不足を感じるなら
知識や技術を磨けばいい

自分に与えられた素質と役割りを
活かし切ることで自らを輝かせる

とは言っても
一度や二度の結果だけをみて
得手不得手を決めつけるのは
早計に過ぎるかもしれません

転んでも何食わぬ顔で
立ち上がって再開する

致命的な傷を負っていない限り
何度でもチャレンジすればいい

再挑戦するたびに
必ず工夫を加える

同じ轍を踏まぬように
改善しながら挑戦する

諦めない限り
失敗ではない

気の済むまで努力を重ね
気の済むまで挑戦しよう

人は頑張っている姿をみると
放っておけなくなるものです

努力と挑戦を繰り返すうちに
手を貸してくれる人が現れる

何度も挑戦しているうちに
放っておけない人に化ける

不得手なことは得手な人に
遠慮なく任せてしまうこと

一人の力ではできなかったことが
多くの人の力によって上手くいく

そんな人を惹きつけてしまう行動
それを不得手だと言えるだろうか

そんな努力や挑戦を厭わないこと
それを不得手だと言えるだろうか

それこそが紛れもなく自分らしさ

人の得手不得手というものは
見かけ上の巧拙では判らない

何度でも努力を重ね挑戦できること
人に共感され応援してもらえること

それもまた得手
とてつもない得手

ちょっと休んで一息いれたら
何ごともなかったかのように
しれっと再開してみればいい

まだまだ旅の途中なんだから…

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
年賀状のデザインが毎年楽しみです

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  チャレンジ 自分らしさ  天命 役割 覚悟 共感 

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野心と大志

野心と大志

ある中小企業の経営者の方が「すべての従業員がマイホームのローンを払えて、二人以上の子供を安心して育てて大学に送れるような会社にしたい」と言って小さい夢だと批判されてたのだけど、僕は、そういう生き方を皆が望むわけじゃないとしても、それはぜんぜん「小さい」夢ではないと思ったのだ。

via: Twitter / tsukuru_agender

いやホント…
ぜんぜん小さくないですね。

むしろ、その大志に頭が下がります。

これを批判した人は、せっかく事業をするのなら、数千億円以上の年商とか、株価の高騰とか、世界進出とかを狙うべきだと考えているのでしょう。

それはある意味で正しいと思いますが、批判された経営者の語ったことが小さい夢だとは言えないとも思うのです。

また、この批判に対して「決して小さな夢ではない」と逆批判として寄せられているコメントに「金額的には決して小さいものではない」「社員を使い捨てる企業が少なくないのに素晴らしい」「大企業にもできていないこと」といったものが見受けられます。

「小さな夢ではない」と共感している人が非常に多いことがよく分かります。が、それと同時に件の経営者氏の発言の趣旨とは少し感覚が違うような気もします。

批判している人も、それを逆批判している人の何割かも、規模や金額の大小を各々の基準で主張しています。

しかし、件の経営者氏やツイート主は、そういう部分だけでなくて別の視点で見ているんじゃないかと思うのです。

たとえば、「将来それが何につながるのか」とか「社会全体の中での自分自身の役割」とか、そういう視点。

語られた内容そのものだけではなく、その先に見ているもの。

それはまさしく天下国家レベルの課題であり、百年の計を成し遂げる一助となろうとする責任と覚悟です。

これをどうして「小さな夢」だと言えましょうか?

同じ夢は夢でも、目先の成果の大小を語る夢を「野心」と呼び、国家百年の計を語る夢を「大志」と呼ぶ。
その違いは桁違いに大きい。
そう確信しています。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
恐るべし北海道

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満月の夜更けに観念したこと

満月の夜更けに観念したこと

どんなに丁寧に説明しても
何度も煩く言い聞かせても
まったく効き目がなく
動いてくれない人がいる。

そればかりか
悪かったと反省する様子もなく
当然の如く改善する気配もなく
暖簾に腕押し、泣かず飛ばず、
挙句の果てに逆ギレすることも。

それでも、自分が肩代わりしたり
面倒をみなきゃならないこともある。

如何ともし難いとしか言いようがなく
腹がたつやら悲しいやら情けないやら
理不尽なことこの上ないと思いつつも
結局は自分でやることになる。

文句言ったり愚痴ったりしても
罵っても怒鳴りつけても
嘆き悲しんで落ち込んでも
結局は自分でやることになる。

逃げることも
放り出すことも
理屈の上では可能だが
そうはしないということは
やはり自分で選んだ道なのだ。

望んだ結果ではないものの
自分自身で決めた選択肢。

なんだかんだ言っても
自分がやるんだと決めている。

ならば…

ただ黙々とやればイイ!

文句言ったり愚痴ったりせず
罵ったり怒鳴りつけたりせず
ふて腐れたり嘆き悲しんだりせず
黙って自分がやればイイ!

そんな我慢を続けたら
神経が参ってしまうかも?

否、むしろ
清々しく諦めることで
気分的には楽になれるもの。

文句言ったり愚痴ったりする自分
罵ったり怒鳴りつけたりする自分
ふて腐れたり嘆き悲しんだりする自分
そういう自分を責めることもなくなる。

そう!
同じ自分でやるのなら
ただ黙々とやればイイ。

それだけのこと。

意志は決まっていたけれど
未だ覚悟が足りなかったよ。

完全に相手に落ち度があっても
まったく相手にやる気がなくても
恨まれても憎まれても無視されても
ただ黙々とやろう!

自分にできることを
自分が信じることを
ただ黙々とやるだけ。

ただ黙々とやる抜くぞ!

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
混乱させるメモ

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「決断」とは「断ち切る」こと

決断って、文字を見る限り「やることを決める」んじゃなくて「それ以外を断ち切る」って意味なのかも

via: Twitter / shh7

「決断」というコトバを使う場面は
たいてい厳しい状況であるはずです。

これまで通りの心構えや方法でいけるなら
「決断」というコトバは使わないでしょう。

惰性的に、これまでの延長では済まない。
だから、ここを起点に変えるのだ!

…というように
変化する必要性に迫られたときに
「決断」はなされることが多いような気がします。

そして
変化しなければならないと強く感じたのは
差し迫った状況であるからに違いありません。

そんな差し迫った状況ですから
既にさまざまな要素がキツイはずなんですね。

時間が足りなかったり
お金に余裕がなかったりして
もう今のままでは改善を期待できない…
そこで「決断」するのですね。

時間が足りない人は
なんとかして時間を作らなきゃならない。

お金に余裕がない人は
なんとかして資金を作らなきゃならない。

ということは
優先順位の低い作業や経費を
断ち切っていかなければなりません。

甘えや惰性、迷いを断ち切ることも必要でしょう。

有用な施策に投資するために
断ち切ってできた時間や資金を使うのです。

前例を踏襲して継続してきたサービスをやめ
より収益率の高い作業に充てるとか…
外食や飲み会の回数を10分の1に減らして
先行投資や調査研究に充てるとか…
何かに特化集中するということは
同時に何かを断ち切らなければ
実現できないことが多いのが現実ですね。

あのP.ドラッカー氏も
優先順位より劣後順位が大切だと説いていますが
まさに「決断」とは「断ち切る」ことだと
言っても過言ではありませんね。

というわけで…

場合によっては
酒、タバコ、趣味もやめ
睡眠時間までも断ち切って
勉強と営業に集中するという
「決断」をする人もいるかもしれません。

長い人生の中では
そのようなことを求められる時期もありますね。

苦しい状況に輪をかけて苦しい時期ですが
これを乗り越えて変化しようとする意志が
「決断」なのでしょうね。

ただし
そのような状況が長引くことは
決して良い「決断」ではないことも
覚えておく必要があると思います。

改善のために変化を「決断」したのですから
改善が見込まれない場合は
さらに、その「決断」を断ち切って
新たな「決断」をすることも大切です。

あくまでも
劣後順位の高いものを断ち切り
優先順位の高いものに集中するという
原則に沿った「決断」を心がけたいものです。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

 

●1年前の今日:もし私がドラえもんだったら…

コメント:2 | TB:0 【しあわせメモ♪】  決断  覚悟 

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大変な時は…

スランプというかスランプに陥っているという感覚って、今まさに様子が変わろうとしているからこそ生じる感覚であって、それって文字通り"乗り越える"べきものであって、"いつもの自分を取り戻"そうとすべき場面じゃないと思うのだ。せっかくの進化を必死にキャンセルしてどうするのか

via: Twitter / shh7

なるほど そうなのか!

そう言えば
環境が大きく変わる時って
大切なモノがなくなったり
壊れたりすることが多いようですし
人間関係が大きく変化したりしますが

こられもまた
まさに変わろうとしているからこそ
生じる出来事なのかもしれませんね。

既存・現状を取り戻すべき場面じゃなくて
乗り越えて進化・成長できる場面に
直面しているのかもしれません。

はて…

ほんとうに そうなのか?

まぁ よく解りませんが
真に受けて観念することにします(^_-)-☆

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

大変な時は 自分が大きく変わる時 変われる時

 

●1年前の今日:さざなみどころではない…

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  成長 変化 進化 覚悟 お気楽 

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今日は何の日

今日は、2011年11月の11日。

ちまたでは
11/11/11 11:11:11
ゾロ目を楽しもうとする人たちで一杯!

街でもネットでも この話題で大騒ぎです。

切符など日付の入ったものを記念に買ったり
時計が 11時11分11秒を指した瞬間を撮影したり
いろんなことを通じて楽しんでいます。

ほとんど無料で楽しめるので
不景気にはウッテツケの楽しみ方だし、
何より、生活を楽しもうという姿勢は
とってもイイことだと思います。

 
そもそも11月11日は・・・

介護の日、 麺の日、 ピーナッツの日、
チーズの日、 サッカーの日、靴下の日、
下駄の日、 折り紙の日、 鏡の日、
ポッキー&プリッツの日、 もやしの日、
煙突の日、 箸の日、 きりたんぽの日、
磁石の日、 コピーライターの日、など…

さまざまな記念日になっているので
それらに関わることをキッカケにして
さらに盛上がりをみせたのでしょう。

 
でも、もうひとつ
大切な節目の日でもあったんです。

 
3月11日の14時46分から
8ヶ月目の日です。

 
8ヶ月なんて中途半端な…
と思う人も多いかも知れませんが、
何ヶ月に関係なく
毎月11日を迎えると感じることがあります。

少しずつ、少しずつではあるものの
あの大災害も過去の記憶へと確実に変化して、
少しずつ、少しずつではあるものの
生で感じた あの感覚が薄められつつあると。

 
あの日を境に、日本中の多くの人々が
「分かち合う」ことへの覚悟や
「絆」の大切さを 強く感じたはずです。

それらは、意識するしないに関わらず
いろいろな場面で表面化し、行動となり
ある種の社会現象にもなりました。

 
しかし、
被災地の復興は予想以上に進んでいません。

政局が優先され、復興対策が遅れています。

原発事故は未だ終息の見込みすらたっていません。

だからこそ…
せめて、毎月11日の節目には
あのときの記憶が霞むことのないように
あのときの覚悟が途切れないように
あのときの感覚が失われないように
東日本大震災のことを
今一度、改めて思い返すようにしています。

そして、
ほんの僅かな時間だけでも
普段から意識を向け続けていこうと思います。

できることや役割は 人それぞれ違いますが、
意識や思いを向けることは誰にもできます。

まだまだ時間が必要なのだろうと思います。
しつこいくらいの意識と思いが必要だと思います。

 
ゾロ目で楽しんだあとは、
被災地復興や子どもたちの将来のことを
ちょこっとだけでも話題にしたいものです。

 
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

 

●1年前の今日:助走距離

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】    覚悟 天命 震災  

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責任

責任とれ とか、
責任とります とか言うけど、

責任っていうのは
取ろうにも 取れるもんじゃない。

責任っていうのは
持つもの、感じるものだ。

 
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

「責任者出てこい!」 人生幸朗・生恵幸子

イラスト: 成瀬國晴

 

●1年前の今日:モノを物語ると捨てられなくなる

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きれいごと

きれいごとってのは、
きれいなことを言って やらない場合です。
やった場合は、「きれい」になります。

via: トラックメーカーになりたい

 
やはり...
言うだけじゃなくて やることが大事。

だけど...
きれいなことを言わずにやっても
「きれい」には ならなかったりする。

きれいな思いを公言することは
「きれい」の前提条件なのかも知れない。

口にすることができなくても
せめて 「きれい」を思い描くこと...

きれいごとになることを恐れずに
思い描き、公言する姿には
既に「きれい」が含まれている。

…などと、
思ったり... 思わなかったり...

 

●1年前の今日:花見連荘

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努力するという自由 (再)

微妙な問題について書いてるな~
それに、文章が解り難い...^^;

1年前の今日のエントリーを読み返して
そう思った。。。

でも、自分の生き方に関する核心的なことに
なにげなく触れている記事やったな...と思う。

今でも、この感覚は確信として根付いている。

今なら もう少し解りやすく書けるかも知れないけど...
付け加えるとしたら「努力の定義」みたいなところかな。

春...
いろいろな別れがあり、出会いがある季節...
いろいろなことが終わって、また始まる季節...

この時期に 再確認しておきたいので
あえて 原文のまま セルフリブログ!


努力厨がはびこれば2020年地球は滅びる

勇気がないんでしょ?って言われると腹がたつけど、覚悟が足りない、って言われると納得してしまう。

勇気の前に覚悟。その前提をわからずに勇気勇気!っていう人が多い。

その覚悟をする前に本当にそれが必要なのか、失敗したときに失うものと比べても、前に進む必要があるのかを考えた方がいい。

orangestarさんより…

もちろん!
けっして努力が悪いとは思わないし
努力の価値とか意義は充分にあると思ってる。

意思や意図があって、はじめて「努力」なのであって
そうでない場合は「徒労」と言うべきなんやと。

努力自体を目的にすることも
それはそれで悪くないと思うねん。

そういう風に ちゃんと意識をしながら
努力しているのなら、それはアリかと。

でないと、覚悟なんてできないし
先のことに目を向ける以前の問題。。。


今、必死になって頑張ってるのを一回休んでみる。
手を休めてみる。
ちょっとあきらめてみる、そうすると見えることもあるはず。

orangestarさんより…

努力していたつもりで
実は、意思も意図も曖昧だったという場合、
やっぱり!ちょっと休んでみるのがイイと思うな。

これは、今、実感して確認できてるし。。。


でも私は、「勇気さえあれば行動できる」という主張に絶望を感じます。「人生は気持ち次第」という原則の圧倒的な正しさを確信しているからこそ、私は世の中がどうしようもない袋小路だと思うのです。

だって、どんなに苦しい思いをしていても、どんなにそこから抜け出したいと思っていても、「気持ち」だけは自分の意志でどうこうすることはできません。今こそ行動する時だと理性で理解していても、「勇気」だけは思い通りに言うことを聞いてはくれません。だから、「気持ち」や「勇気」で全てが決まるというこの世界の在り方が、私にはとても残酷なものに感じられるのです。

人生は、「気持ち」次第でどうにでもなります。そして「気持ち」だけは、自分の意志ではどうにもなりません。「気持ち」が良い方に向いている人は、それでいいです。でも、「気持ち」が悪い方にしか向いていない人は、一体どうすればいいのでしょう?

魔王14歳の幸福な電波さんより…

まぁ、その疑問に回答することはできる。
それに対処する方法は、あると言えば ある。

でも、そういうことやなくて、
判りきってる 正論 を言われてもなぁ~
…ってことなんやないかと思う。

なんでも正論を振りかざす世の中の
そんな風潮に絶望を感じるのだとしたら、
それについては、強く共感できるな。。。

世間の努力に対する「正論」や「評価」、
いや、自分自身の努力に対する「思い込み」「先入観」に
束縛されているかも知れない… という疑問を
ぶつけてみる時間が必要なんじゃないかな?

 

●1年前の今日:努力するという自由

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こだわりなく、軽く、適当に生きる

いやなやつにメシをおごってもらう。
金をもらう。
これを嫌がらない。
金が出された時点で、どこから出たかを忘れる。

いやなやつが、いやな金のくれ方をしても、もらう。
金であることにかわりない。
便利でよいものだ。

簡単にできるかもしれない。
また、こだわってしまうかもしれない。

 
言葉も同じだ。
いやなやつが良いことを言ったら、こだわらずそれをもらいたい。

僕は、それを、やろうと思えばいつでもできるような簡単なことではないと思っている。
そのように、こだわりなく、軽く、適当に生きるのは、ひとつ覚悟がいるように思う。

via: to

 
いやなやつにはおごってもらいたくない。
いやな金のもらい方はしたくない。
いやなやつからイイこと言われても嬉しくない。

だから断っている。

 
…つもりになっているけれど、

実は、こだわりを捨て切れないだけ。

 
そのように、こだわりなく、軽く、適当に生きるのは、
ひとつとごろか かなり本気の覚悟がいる。

 
…なんて、気合を入れるから ますます
そのように、こだわりなく、軽く、適当に生きれなくなる。

 
覚悟って、気合じゃないねんな。

やってしまうこと。放っとくこと。

そのように、こだわりなく、軽く、適当に覚悟したら
案外 うまくいくと思うわ。  うん。

 

●1年前の今日:またも凶悪犯罪か !?

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