元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

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自分自身のことは見えにくい

「コンセントが抜けていませんか?」

取説の「故障かな?と思ったら」ってところに「コンセントが抜けていませんか?」とか書いてあるとバカにしてんのかって思うけど、意外と自分自身のこととなるとすっごい単純な原因もわかんなくなってたりするよね。「お腹が空いていませんか?」「寝不足じゃあありませんか?」

via: Twitter / shh7

そんなバカな┐(´∀`)┌

一瞬そう思ったものの
よくよく考えてみると
心当たりなくもないな^^;

どうもこのところイラつくと思ったら
ずっと寝不足が続いていたからなのか!?

やっぱり自分のことは見えにくいものだ。
今夜は少し早めに寝ることにしよう!

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
蚊取線香の意外な事実

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自分との約束をもっと大切にしよう!

自分との約束をもっと大切にしよう!

社会生活をしていくためには約束を守らなくてはなりません。

職場や学校では時間を守らなくてはなりませんし、予め互いに決めた事柄やルールを守ることも必要です。

当然のことですが、これができないと会社や学校に行くことも、車の運転をすることも、買い物をすることもできません。というか、ありとあらゆる社会生活に支障をきたすことになります。

というわけで、子どものころから約束を守ることを教えられてきました。
今も昔も、洋の東西を問わず、約束を守るということは最も重要な教育課題になっています。

ですから、世の中の大部分の人が約束を守ります。
そして、約束を破ることは悪いことだと認識しています。
約束を破られた時には、悲しんだり怒ったりします。

ところが、いつもは必ず約束を守っている人でも、ついつい破りがちな約束があります。

それは、「自分との約束」です。

他の誰かとの間で交わした約束は必ず守る人も、自分と交わした約束は、なぜか守れないことが少なくありません。

  • 早寝早起きをする
  • 決まった時間にトレーニングをする
  • ご飯は茶碗一杯にしておく

このような自分との約束は、他人との約束に比べて守られにくいものです。

それは、黙っていれば誰にも知られることがないからです。

つまり、約束を守らなかったことを誰からも責められないということ。その結果、社会的評価を下げることがないからです。

自分との約束が守られにくい理由は、もう一つあります。

それは、たとえ守らなくても誰にも迷惑をかけないからです。

約束を守らなければならないのは、人に迷惑をかけないようにするため、社会生活をしていくためだと教えられてきました。

それは間違った教育ではないと思いますが、場合によっては、人に迷惑をかけなければ約束を守らなくてもよいと解釈することもできます。

自分との約束を守らなかった場合、影響があるのは自分自身です。
他の誰にも迷惑をかけないのだから今回はまぁイイか… となることが多いのでしょう。

しかしながら、ここには大きな問題が隠されています。

自分との約束を何度も破り続けているとどうなるか?

  • 約束したことを実行しないままになる
  • 当然、欲しい成果はでない
  • 自信が持てなくなる

こんな具合に、徐々に自己評価を下げていきます。

  • 自分は 何をやっても続かない人間だ
  • 自分は こんなこともできない人間だ
  • 自分は ダメな人間だ

他人との約束を破ることが、他人からの評価を下げることに繋がっていたように、実は、自分との約束を破ることは、自分自身による評価を下げてしまうのです。

こうなってしまうと、何事にも消極的になり、無難に済ませようという気持ちが強くなってきます。約束を守る以前に、約束をすることすらできなくなってしまいます。

新しい挑戦や、目的に向かって努力することもできなくなる可能性が高くなります。
自信がなくなると、人と関わることを避けようとする傾向が強くなり、社会生活が困難になる場合もあります。

他人との約束も大切ではありますが、やはり自分との約束も大切なのです。
というより、むしろ、自分との約束の方がより大切だと言っても過言ではありません。

自己肯定感を持てず、自信をなくしてしまっては、他人との約束を守ることもできなくなってしまいます。

今さらながらではありますが、自戒の念を込めて、再確認しておきたいと思います。

約束を守ろう!
特に自分との約束を守ろう!

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
辛いけど、もう暫くかかりそうです

コメント:2 | TB:0 【しあわせメモ♪】  約束 自分 信頼 肯定 お気楽 

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アイムア主人公


赤ずきんと健康
BACA-JA2007佳作 作者:金沢美術工芸大学 井上 涼

こ こ これは・・・

じわじわくるwww

妙に後引くし・・・^^;

けど なんだか
ちょっと元気でるよね~♪

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

「赤ずきんと健康」

 

●1年前の今日:久しぶりの おこげごはん

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  お気楽 自主自立 行動 信頼 自分  

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気になるのは鏡に写った自分の姿

「無知な人」は自分の中にある有益な智恵に気付かせてくれる。
「努力しない人」は、自分が何について努力しているか思い出させてくれる。
「人の気持ちを考えない人」は、自分がどういう点で人を気遣うのが得意か教えてくれる。
「生理的に無理な人」は、自分自身の美意識に気付かせてくれる。

via: Twitter / shh7

いや ホント!

まさに そのとおりだと思います。

気づいているからこそ、気になっている
っていうか…
気になっているからこそ、気づくことができる
っていうか…
まぁ それは どちらでもイイのですが(^^ゞ

「無知な人」を見て「無知だ」と思うのは
自分が「知」ということに意識が高いからであって
自分が「知」に興味がなければ
相手の「無知」さも気にならないわけです。

「努力」「気遣い」「美意識」だって
基本的には同じことだと思うのです。

人は往々にして
興味のあることに気づきやすく
興味のないことは目に入りにくいものです。

他者に特徴を見出したときは
自分はその特徴に興味があるのだ…
と思って間違いありません。

・・・と、
ここまでは
何年か前に気づいていたことなのですが
このツイートを読んで
改めて気がついたことがあります。

ここでいう
「自分の中にある有益な智恵」
「自分が何について努力しているか」
「自分がどういう点で人を気遣うのが得意か」
「自分自身の美意識」 などのように
自分自身の良い点に気づかせてくれるのは
あることについて相手がおかしいと感じていても
責めたり改善を要求したりする感情のない
比較的冷静な状況の場合です。

言い換えると
あることに違和感を覚える相手を
冷静な姿勢で見ているときは
そのあることに関する
自分自身の良い点に気づくことができる…
ということです。

逆に…
あることに違和感を覚える相手を
叱責したり改善を要求したりしてしまうときは
そのあることに関して
自分自信にも違和感を抱いていたり
自分でも上手くできていなかったりすることが
多いように思います。

しかも、感情的になっているせいもあって
自分自身の不出来には気づきにくくなっていて
相手を執拗に責め立てたり
怒りを顕にしてしまうことが
多いような気もします。

こんな風に文字にしてみると
なんとなく客観的な書き方になりましたが

実は… とっても…
耳が痛い! 身につまされる思いです(>_<)

たしかに
自分が腹をたてたり
相手を責めたりしてしまうとき
実は自分も そのことが上手くできていない…
実は他人のことをトヤカク言う資格はない…
そんなことが 少なくありません。。。

そして
自分自身にゲキを入れて精進すれば良いものの
ついつい相手を叱責してしまうことがあります。

さらに、その場では
なかなか そのことに気づけずに
執拗に攻撃的になってしまいます。

後で気づいて
そんな自分をイヤになったりすることもあるのに
同じ場面に出くわすと
再び相手を責めたてたりしてしまうこともあります。

きっと! こういう悪循環は
自分自身もできていないのだということを
本当の意味で受けいれて
自分の態度や行動を変える方向に
エネルギーを向け直すまでは
ずっと続くのだと思います。

そのことに気づくまで続くのでしょうね。

話を引用文の方に戻すと…

誰かの「違和感のあるところ」が気になるのは
自分の「良いところ」に気づくためのキッカケで
本当の意味で自分の「良いところ」を受けいれて
自分自身を認めることができるようになるまでは
ずっと気になり続けるのかもしれません。

やはり、そのことに気づくまで続くのでしょうね。

あぁぁぁぁぁぁぁ

まだまだ いろんなことが
気になる… 気になる… 気になる…

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

気になる… 気になる… 気になる…

 

●1年前の今日:一年中サクラ吹雪を満喫できるスグレモノ

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  承認 自分 あるがまま 

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自分のレベルの上げ方

自分より、レベルの高い人と付き合いなさい。それに尽きる。普通はそういう人に対して焼きもち焼いちゃうから、自分より下のレベルの人と付き合ってしまう。でもそれじゃあ、得られるものはなかなかないよ。仮にすべて優秀じゃなくて、ある面では自分より劣っても、ある面では優れている人と付き合いなさい。そうすれば、自然と自分のレベルも上がるから。

via: 文化会議 | 落語家 昔昔亭桃太郎師匠インタビュー(4)

 
コレは、よく言われていることだし、
経験的にも確かに効果があるなと思う。

特に、自分の進みたい方向が明確な場合は
その道の先達や師匠の周りで生活することは
それだけで充分に大いなる成長の糧になるだろう。

また、一般的に人は
自分が属する社会や集団に馴染もうとするから
意識や技術の高い組織に所属することで
自身の底上げやモチベーション維持が期待できる。

けれども
これは結果がそうなったという事例なのであり、
このような事例をノウハウとして活用することには
充分な注意が必要なんじゃないかとも感じる。

 
「レベルの高い人」「下のレベルの人」
「優れている人」「劣っている人」っていう見方は
紛れもなく自分と他者を比較して判断するということ。

客観的・相対的な見地から、自分の現状を把握したり
到達地点やマイルストーンを明確にすることは
目標管理のために とても重要なことであるに違いない。

しかし、
他者と比較した相対的な価値観を基準にし続けることは
自身と向き合うことを疎かにし、自分を見失うことに繋がる。

相対的な優劣を基準にしている限り
他人からどう見られているかという
他者の目を気にし続けなければならない。

自分本来の趣向や持ち味、天与の才能を活かして
自分らしい人生や役割を切り拓いていくためには、
他者との比較ではなく、自分そのものの成長に
目を向けるという視点が大切なんじゃないかと思う。

 
あぁ あの人、素晴らしいなぁ
あぁ この人、スゴイなぁ
自分も あんな風になりたいなぁ

そう感じたら、
躊躇なく、その人に近づいていこう。

そして、
できるだけ多くの時間を共にしたい。

それは、
自分が心の底から感じた そのままのキモチ。
自分が憧れ、目指したいと思う素直なキモチ。

けっして、
相対的な優劣に基づいたノウハウなどではない。

同じような結果が得られようとも
全くもって、似て非なるもの。

 
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

 

他人と比べない生き方 比べない 人と比べないで生きていけ

 

●1年前の今日:変わる人、変わらない人

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  自分 比較 視点 天命 素直 成長 自主自立 

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自分自身の価値を知らないと…

自分自身の価値を知らないと、
根こそぎ収奪されかねない。

物質的、金銭的収奪なら、
また頑張って巻き返せばよいが、
文化的な収奪は、
取り返しのつかない根本の喪失に等しい。

 
久しぶりに参加したex-ma基本セミナー。

身に沁みた。。。

自分自身の価値、日本の価値を再確認することで、
自分自身の天命、日本の役割を再認識したい。

 
自分自身の価値を知らないと…

 

●1年前の今日:二人が睦まじくいるためには

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  天命 自分 文化 日本 ex-ma  

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自分を裏切らない

自分に科した課題なんて、いつだって先延ばしにできる。誰に怒られる訳でもないし、他人から冷ややかな目で見られることもないから、口に出さずに心の中だけで留めておけば至って楽チン。

ところが、これこそが自分への裏切り行為であり、なんらかの解決を行わない限り自分への「ま、いっか」が自分の中で矛盾を引き起こす。心の中の自分への矛盾はやがて、自分が何も出来ない人間であることの証となってしまい、自分が嫌いになる。
このように、自分が嫌いになるプロセスは至って単純な構造であり、あっという間に、かつ雪ダルマ式に自分の心を蝕む。

だから、嫌なことから逃げることを小さい頃から常習的に行っている人はよく考えて欲しい。
逃げることによって物事が良い方向運ぶ場合は、絶対に自分の力ではないし、乗り越える力もつかない。悪い方向に向かうならなおさらだ。今日必要な勇気を搾り出せないなら、明日はもっと大きな勇気が必要になる。(2chか何かの引用)

via: 「Mind Hack 自分を裏切るということ」 アシアルブログ

 
逆に言うと…

自分に科した課題を片付けていくことで
自分は出来る人間であることの証を得ることになる。

少なくとも
片付けてきたことに関しては...

その積み重ねは雪ダルマ式に増長し、
自分を認められるようになるプロセスも
意外に単純な構造になっているのかも知れない。

スゴイ手柄や成果よりも
小さくても カンタンでも 単純でもイイから
ちゃんと自分に科した課題を片付けていって
自分を裏切る回数を減らすこと、即ち、
自分を信じ認めることのできる回数を増やすこと、
そのことが大事なんじゃないかと思う。

「ま、いっか」で済ますことではなく、
「小さくても カンタンでも 単純でもイイから」
一応ちょっとは やってるんですよ~ん(^_^)v
…っていうのが、お気楽スピリット!

では、お気楽に..(^^)/~~~

 

 

●1年前の今日:えほんのこども

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  お気楽 自分 信じる 承認 積み重ね  

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もっと敏感に、もっと素直に

グリーンイグアナ

最賢でもなく、最強でもなく、変化について行ける人だけが生き残る。

それは真なんだけれど、一方で、変化しない場所を見つけられる人も、惨めったらしいかもだけれど、もしかしたら生き残る

via: Twitter / medtoolz

 
時代の変化を感じ取り、
その感覚に素直に従って行動する人が生き残る。

変化しない場所をみつけるということは
時代の変化を感じ取り
変化しない場所に移動しようとすることであって
ある意味ひとつの変化への対応だと言える。

表面的な変化だけでなく
本当の変化ができるかどうかが問われるのだと思う。

そして、
最賢でもなく、最強でもないという時点で
既に惨めったらしいのかも知れないのだから...

そんな他者の目という幻影に惑わされるのではなく、
自身が感じている時代の変化に
もっと!敏感に もっと!素直に なりたい。

 

●1年前の今日:父の日のプレゼント

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今 感じていること

近頃、強く思うのです。

行ってみたいと思う場所は行くべき場所であり、
会ってみたいと思う人は会うべき人なのではないか、と。

行ったところで、会ったところで、それが何の意味もなさないとしても。

via: CHISAI HASEBE -BLOG-|honeyee.com Web Magazine

 
今 感じていることとか
今 やっていることっていうのは、
自分も かつてそう思っていたような
一般的というかフツーの感覚で捉えると
かなり危なっかしいことなんだろうけど、
今 こうして感じていることは、やっぱり!
今 やっておくべきことなんじゃないかと思う。

うん。
もう少しこのまま素直に続けてみるよ。

それが何の意味もなさないとしても。

なんか 妙に 不安感とかないし...

きっと、流れに乗っているからやね。

ギアナ高地に行ってみたい!

 

●1年前の今日:ココロをひらく

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ええねん ええねん

昨日、母親に忘れ物を届けに行った時のこと。

母は、相も変わらず
勝手な悪い想像をしてみたり
皮肉や、愚痴を言ってみたり
あたりかまわずケチをつけていた。

そうやって いつも
人や自分や物事にケチをつけているから、
それが そのまま自分に返ってきている
典型的なパターンにはまっている。

歳をとって体力や気力は弱ってきたものの
寝たきりというわけではないし
当面の経済的な不安もあるわけでもない。

夫には既に先立たれたけれど
スープの冷めない距離に家族が住んでいるし
週に2回くらいの継続的な行き来もある。

もちろん、そうであっても
それなりに寂しいことや辛いこともあるだろう。

それは、解っているつもりだけれど、
何にでもケチをつける姿勢が目に余るものがある。

余りの酷さに我慢ができず、責めてしまった。

 
ケチをつける姿勢が目に余る...といって
その姿勢にまたケチをつけている自分。。。

やっていることに矛盾があると
解っていながら、やってしまう。。。

そんなことをしても何の効果も意味もないことは
よく解っているだけに、そんな自分が情けなくなる。

 
きっと、母親も同じなんやろうな。

解っているけど、やってしまう。。。

 
手の内にある幸せに目を向けようとせず
不足や不満にばかり焦点を合わせる姿勢は、
感謝が足りないことだと思うし、
天に向かってツバを吐くようなもの。

それは、確かに正論なのだけど、
解っていても やってしまうことがある。

 
何にでもケチをつける母親もダメ。
その母にケチをつける自分もダメ。

でも、
そうやってダメ出ししていることもまた
不足や不満に焦点を合わせる姿勢そのもの。

そう思って、
母を責めてしまった自分を許してみたら、
その母親の態度も気にならなくなった。。。

 
いや たぶん...
また、気になる日もあるんやと思う。

でも、
今、気にならなくなったのだったら
それは それで ええねん ええねん。

 
そして、今日、
シゴト帰りに母親の家へ
バレンタインのお返しを持って行った。

嫌な思いをさせてしまったはずなのに、
母親の表情は意外に明るかった。

さらに、
昨日は気分を悪くさせてしまって悪かったね...
と声をかけてくれた。

そんな母の顔を直視することができず、
気まずくなるのが嫌で、
そそくさと帰ってきてしまった。

いや~情けないわ ホンマに...

でも...
それは それで ええねん ええねん。

それにケチつけんでも ええねんて。 うん。

 

●1年前の今日:謙遜よりも、「ありがとう」

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無造作に雨に濡れるということ

私はそのとき十八で、雨の住宅街を歩いていた。通り過ぎた家から、白い髪の小さい女の人が出てきて、待って、と大きな声で言った。私は立ち止まって彼女を見た。彼女は右手で綺麗な模様のついた小さい傘をさし、左手に、彼女が持つとずいぶん大きく見えるビニール傘をもっていた。

彼女は私を見上げ、腕をいっぱいに伸ばしてそれを差しだした。お嬢さん、これ、使って、いいから、いいから、余ってるの、ね、風邪をひくから、これ使いなさい、そんなふうに無造作に雨に濡れてはだめよ、それじゃあね。

そのころ私は、雨に濡れることなんか平気だと思っていた。強い雨でなければ、それほど不愉快でもなかった。正確にいうと、不快な感覚が全般に鈍く、苦痛を感じることがあまりなかった。でもそれ以来、「無造作に雨に濡れないよう」気をつけるようになった。

ビニール傘は親切の単位として流通している、と私は思う。親切な人々は玄関やベランダ、あるいは職場のデスクの横に、適度に古びたビニール傘をたくわえている。そうして雨が降りだすと、傘を持っていない人にあげる。いいから、いいから、たくさんあるんだから、と言って。

それに比べて私はどうだろう。私はすぐ傘をなくす。自分が今までになくした傘のことを想像するとぞっとする。いつか夜更かしをして始発に乗ったとき、いちばん後ろの車両で忘れものを詰めこんだ袋を見た。それはカーキ色をした無骨な布の袋で、車掌席の前の扉にぐったりともたれかかっていた。私のなくした傘たちはあの中に入ってどこかへ消えてしまったのだ。誰かが雨に降られたときに助けてあげることもなく。

私は今日も傘をなくした。電車の中に置いてきた。そして人からもらった。

もらった傘をさして家まで歩きながら思う。

私だって人にいいことをしたい。傘一本分くらいは親切になりたい。なくさないように注意深く生活して、今度はこれを、だれかにあげよう。

via: 親切の単位 - 傘をひらいて、空を

 
無造作に雨に濡れているということは、
無造作に傘を扱っていることなのかも知れない。

ビニール傘をたくわえている親切な人々は
通常、自分が使う分の傘をあげることはない。

そのような人たちは、万が一の場合、
自分の傘を差し出す人も少なくないと思うが、
基本的には、無造作に雨に濡れることはしない。

 
ボクは、これまでに傘を何本もなくしてきた。
20本ではきかないかも知れない。

他にも いろいろなモノをなくした。

そして、また買ったり、もらったりしている。

取り返しのつかないモノもなくしたことがあるし、
なくしたことに気づいていないけど、なくしたモノもある。

 
なくしたことに気づいていない...

それが まずいよな。   うん。

 
壊れたとか、盗まれたとか、あげたとかじゃない...

いつのまにか 消え失せた...

 
消え失せた...と他動詞的に言っているが
実は 自分自身が 無造作に扱っていて
実は 自分自身が 放棄しているのだが...

 
うっかり忘れてしまったモノもあるが、
無用の犠牲を払ってきたモノもある。

犠牲を払って、無造作に雨に濡れる...
それに近いことも何度かしてきたように思う。

 
そうやって これまで 無造作に
あまりにも いろんなモノを なくしてきた。

 
無造作に扱っているのは、
果たして「モノ」だけだろうか?

放棄してしまっているのは、
果たして「モノ」だけだろうか?

 
モノを無造作に扱わない人は
ココロも無造作に扱わないのだと思う。

他人を無造作に扱わない人は
自分自身も無造作に扱わないのだと思う。

 
本当に自分自身を大切にしている人は
他人も優しく見守ることができるのだと思う。

親切な人というのは、
そういう人たちなんだと思う。

 
これまで 無造作に
あまりにも いろんなモノを なくし過ぎた。

いろんなモノを いろんなコトを
もうちょっと大切に生きていきたいと思う。

人生を満喫するって そういうことかもね。

忘れ去られた傘

via: フォト蔵

 

●1年前の今日:不況期の過ごし方

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自意識

自分にとって大事なことのほとんど全てが他人にとってのどうでもいいことだと思うと楽になりますよ。

via: Twitter / hironica

 
ホンマ そうやねん。。。

そう思うと楽になるねん。

 
そうやねんけど
気になる時も あるねん。

 
他人の すべてが
どうでもいい人じゃないし、

どうでもいい人じゃない人に
どうでもいいって思われたくない。

 
もちろん!
楽になるに越したことはないけど、

どうでもいい人じゃない人への
そういう思いを封じ込めるくらいなら
ちょっとぐらい しんどいのも 仕方がないか。

うん。 そんな感じ。。。

 

 

●1年前の今日:休眠打破

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できないことはできない

できないことはすることができない。

しないことについて、何かを達成することはできない。

人は強みを生かして初めて、何かをすることができる。

何かをすることによって、何かを達成できる。

したがって人の評価は、
その人ができることを引き出すものでなければならない。

その人の強みを知り、理解して初めて、
『彼の強みを生かしてさらに進歩させるには、
 いかなる弱みを克服させなければならないか』を
考えることができる。

弱みそのものは、通常誰の目にも明らかである。

しかし弱みにはいかなる意味もない。

重要なことは、さらによりよく行い、
さらにより多くを知り、
さらに成長していきたいという欲求である。

それらの欲求が、
より優れた、より強い、
より成果をあげる人間をつくりあげる。

ドラッカー 『現代の経営』より
via: breathnoir tumblr

 
どうして課題解決型の進め方が
当たり前のように蔓延っているんだろう?

課題という名の「できてないこと」を
常に探し求め、それを改善することを要求される。

致命的なミスは、繰り返しちゃマズイから
一切、反省する必要がないとは言えないけれど...

いつもいつも「できてないこと」にめを向けてばかりで
「強み」に注目することは堕落か罪悪のように扱われる。

成熟した市場、組織だからなのか?
いや そうでもない。

労働者が自分の「強み」に注目して自立すると
「社畜」として扱いにくくなるからか?
うん。それは あるかも知れない。

それにしても
組織全体の成長を目指すのなら
課題解決型の一辺倒ではロスが大き過ぎる。

これは もう 自爆と言ってもいいのかも知れない。

巨大化した恐竜が環境に適応できなかったように…
イルカが集団で浜に上がって死んでいくように…
成熟した社会では人口が減少していくように…
大量殺戮のための武器が増え続けているように…

自然な淘汰の流れなのかも知れない。

 
しかし、
自分の「強み」を意識することだけでは
この引用の本意を掴んだとは言えないと思う。

強引なポジティブシンキングではなく、
本質的な自立が求められているような気がする。

つまり、
他者と比較した相対的な「強み」ではなく、
自分の持っている全てのリソースを
「強み」と捉えることがポイントなのだと思う。

強・弱、できる・できない、勝・負、
高効率・非効率、得・損、といった視点ではなく
持っているものを、淡々と活かしきるのみ!

活かしきる、使い倒すことこそが強さになる。

好き嫌いで判断して
好きなことが上手くいきやすいのは、
自身のリソースを活かしきることに
直結しているからだと思うと 納得ができる。

 
過去に何度も触れているけれど
課題「できていないこと」を改善するのは難しいが、
既に「できていること」を伸ばすことは比較して容易い。

なんといっても、
既に実績のあることなのだから
再現できる可能性は圧倒的に高い。

過去の栄光や、過去の実績に縛られていると
生き残っていけないと言われることも多いが、
それは、過去に居座っている場合にのみ言えること。

今も、行動し続けている限り、
今も、自身のリソースを活かしきっている限り、
過去の実績は、常に良い見本だと言える。

 
・・・などと 今ごろ思ったのは
なぜだか よくわからないけど...(^^ゞ

 

 

●1年前の今日:コミュニケーションプラザ

コメント:0 | TB:0 【見逃せない!この1冊】  あるがまま 自分らしさ 進化 個性 トラッカー 自分  

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老人性の気性というものはない

老人性の気性というものはない

本来の気性が出てくるだけである

 
周囲の目が気になる
社会性の影響が強い
しがらみに囚われる
自己の未確立

若いうちは
そういう状況の中で
本来の自分を出せずにいることが多い

歳を重ねることによって
恐れや拘りから少しずつ開放され
本来の気性が表面化してくる

頑固、自分本位、保守的などの
一般的に老化による特徴だと思われている
そういう気性が出てきたとしても、
それは、老人特有のものではなく
もともと自分が持っていた気性なのだ

しかし それは
本来の自分を現すことができたこと

自分らしい自分を生きていること

老いの域に達するということは
なんとステキなことなのだろう

…などと
思ったり 思わなかったり...(^^ゞ

老人性の気性というものはない

 

●1年前の今日:超人気商品!?

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自分とは…

人間というのは、何らかの意味で「自分は唯一の存在である」ということをどこかで確信しないとだめですからね。

その確信の一方で、自分は自分の存在を越えたものと繋がっていないとだめなんですね。

この二つがあるわけでしょう。それをどう折り合いをつけるかをいろいろやってきた。

昔だったらみんなご先祖に繋がっていたわけだし、そのへんは凄く安心だったわけですね。

そのかわり≪個≫ というものは、部族のためにとか、お家のためにとかいうことで、どんどん無視されていった。

今はどんどん≪個≫になってきて、ちょっとした差異などを喜んでいても、今度は何と繋がっているかという点では、今はいちばん難しくなっているのじゃないでしょうか。

(谷川俊太郎/河合隼雄)

 

個 即 全

全 即 個

 
あなたに代わる あなたは いない。

わたしに代わる わたしは いない。

自分とは、
誰にも代わることのできない唯一の存在であり、
誰にも代われない使命を持って、生まれて死ぬ。

あなたが いてくれて、本当によかった。

私がいることも、何かのお役目を果たしている。

 
それと同時に、自分とは、
意識の及ばない奥底で、あらゆる人と繋がっている。

家族や友人だけじゃなく、どの人とも繋がっている。

人だけじゃなく、動物や植物や物や自然とも
意識の及ばない奥底で、あらゆるすべてと繋がっている。

今いる人やモノやコトだけじゃなく
過去とも未来とも繋がっている。

意識の及ばない奥底で、自分は宇宙と繋がっている。

 
自分は、すなわち宇宙の一部。

いや! 自分とは、宇宙そのもの!

 
だからこそ、
自分とは、唯一無二の存在であり、
自分とは、あらゆる事物と一如たる存在。

 
自分の中に宇宙があり、神様がいる。

宇宙や神様に抱かれて、自分がいる。

 
そういうことさえ忘れないようにしていれば
時代kの変化や、互いの事情による変容なんて
なんら問題にならないんじゃないのかも...

な~んとなく… そんな気がしています。

 
いや、な~んとなく...(^^ゞ

 

●1年前の今日:ろうそくの両端に火を点ける

コメント:1 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  お気楽 天命 自分 個人 宇宙 神様 一如 

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