元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

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儚くも強く惹きつけて離さない

Primitive moire 黒板アート

これは尾道市の商店街で見かけた、黒板アートです。チョークを塗らない部分をシャドウとして活かす、面白い絵です。こすれば、すぐ消える。写真に撮らないと残らない、けど、やっぱり肉眼で見ないと良さがわかりにくい、というのがアートぽいね!

via: Twitter / kenso1978

黒板とチョークで
この透明感と立体感!!

尾道本通り商店街にある雑貨店の店頭で公開されているこの黒板アート。

雑貨店と書きましたが、輸入ハーブティーもあれば、店主の作品もたくさん置いてあったりします。

商店会のwebサイトに出ている紹介文を見みてみると…

プリミティブ・モアレ

だれでも見学できる職場
ふつうのおじさんの職場。
置いてあるお気に入りの雑貨や海外のお茶は、場合によっては、見学中のゲストさんに販売できます。
仕事に没頭しているためおかまいしません。
ピーモンや、ピーモン専用の帽子やバッグに会えるかも。

via: 尾道本通り連合会

…謎は深まるばかりです^^;

とかなんとか言っているうちに、すっかり惹きこまれている自分を発見してしまいました。
たぶん、そう遠くないいつか見に行くと思います。

時かけ以降、結婚するまでの間に20回以上は訪れた街、尾道。

親戚もいない。縁のある人もいない。
なのに年に何度も訪ねていたおの頃。

友人と行った。一人で行った。彼女と行った。
何度も通ううちに観光なんてしなくなって、ずっと宿に閉じこもってファミコンしたり本を読んだりしていたこともあったっけか。
風邪引いて寝込んでたこともあった。

もちろん住んでたわけではないのだけれど、ずっと前カラ住んでいたような気分にさせる不思議な街だった。

もう20年近くは訪ねていません。

「そろそろ来いよ」って呼ばれてるような気もします。

たぶん、そう遠くないいつか見に行くと思います。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

Primitive moire 黒板アート

プリミティブ・モアレ / Facebook

●1年前の今日:
確かに頼んだ通りなのだが…

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  アート 尾道 ノスタルジー  

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乗せられてみようじゃないの

RTでこれが私にまわってきたら 1年間片想いしてる人に告白します。私に勇気をください mより

無印良品の文具試し書きコーナーにて拾い物。こんな乙女な内容を僕がツイートするのもちょっと勇気が要りますが、これもまた何かのご縁。おお、神よ。宇宙を司る確率の波よ。mに勇気を与えたまへ。

via: Twitter / sadashugi

自作自演か? 妄想ネタか?

いや、そんなことは どうでもイイ。

これもまた何かのご縁。

ちょっと乗せられてみようじゃないの(^^)v

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
努力に逃げずに結果を出すことの重要性

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】   片思い 応援 ノリ 

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こいつぁは春から縁起がいいわい

ナンバープレート「47-71」の救急車

なんて縁起の良いナンバーなんだ!運ばれる時はこれを呼びたい。

via: Twitter / shakeshow0312

緊急時にコレが来たら心強い!

救急車専用ナンバーに指定すべき。

けど、霊柩車に使うとややこしくなるwww

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
わらび餅だけにスケスケや~

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】   ラッキー  

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チャンスや運命を活かすためには…

萩本欽一さんは、昔、世話をしたことのある、映画監督になりたくてフランスに留学した、ある若者から相談を受けた。

フランス語もできないのに、何度門前払いを食っても、あきらめずに一週間通い続けた画廊(パリと銀座に店がある)に雇ってもらい、10年間、留学を続けたという。

映画の学校に通い、もうすぐ監督になれるところまできた、ちょうどその時、画廊の社長から「自分のあとを継がないか?」、と言われ、迷いに迷って、意見を聞きに来たという。

萩本さんは、

『「ばかだな~、人生っていうのは自分がなにになりたいかじゃない。だれに必要とされているかなんだ。アルバイトで入った画廊の社長さんに、あとを継いでほしいって言われるほど惚(ほ)れられるやつって、おまえのほかにいる?おまえの監督作品なんてだれにも必要とされてないし、僕も期待してないよ」

この言葉が決定打だったかは知らないけれど、彼は画商になりました。

彼は画商になってから、女性誌やテレビで紹介される、世界的に活躍する美術商になっちゃった』
続・ダメなときほど運はたまる より)

via: 人の心に灯をともす

以前にも書いたことがありますが
「好きなこと」に過度にこだわらないということは
意外にも重要なキーワードではないかと思うのです。

好き嫌いではなく、ましてや損得ではなく、
その時に巡り合わせたご縁を大切にする…
今ここにいる大切な人のために行動する…
というような感覚が運を良くするような気がします。

自分がイチバンやりたいことではなかったとしても
自分がどうしても避けたいことではない限りは
これも何かのご縁だと思って一所懸命やってみる。

なにになりたいかではなく
だれに必要とされているか

流されず、流れに逆らわず、流れに乗って…
巡り合わせたことを素直に受け止めたいものです。

それがチャンスや運命を活かすということではないでしょうか。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
「決断」とは「断ち切る」こと

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】   チャンス 一所懸命 素直 受容 天命 

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日常の何気ないところにあるご縁

まだ電車なう。隣のひとが席に傘を忘れて降りたので、ちょっと迷ったけど、追いかけて渡した。
リレーのバトンみたいな渡し方になった。
あわてて戻って発車に間に合った。
ふと外を見たら傘のひとが手を振っていた。
ふるくからの友人みたいな顔で。

via: Twitter / harukonbu

あぁ・・・
この人と あの傘の人は
もう会うことはないんだろうなぁ

何も根拠はないのですが
ただ なんとなく そんな風に感じました。

ほんわかとした話題ではありますが
とっても印象深い出来事ですよね。

なんということはない
他愛ない出来事ではありますが
もしかしたら
一生忘れない思い出になるかもしれません。

あの一瞬に
すべての縁が凝縮している感じ。

だから もう
会わないんだと思うのです。

1回きりで もう会わないんだけれど
それは 決して 小さな縁ではなくて
むしろ とてつもなく濃い関係というか
強い結びつきがあるように思います。

そういう意味で
「ふるくからの友人みたいな顔」を感じたのも
まんざら 気のせいではないですね。

ずっと ずっと 生まれる前からの
ふるい友人だったのかもしれません。

そして また
生まれ変わったときに
いつか 会えるのかもしれません。

袖触れ合うも他生の縁 ですね。

もしかしたら
こういう日常の何気ないところにあるご縁には
ほとんど気づかず過ごしているのかもしれません。

うん  そう考えると…
ずいぶん見逃してきたような気がします。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

電車の中の他生の縁

 

●1年前の今日:受け手にとってのメッセージ

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  一期一会  無常 

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大切な人

人生に大切なことは意外と少ない。大切な人も意外と少ない。20人くらいを大切にすればいい気がする。ボクはその20人のために生きていく。

via: www.さとなお.com(さなメモ)

そうそう。 そうなんです。

7~8年前くらいから
そんな風に感じていたと思います。

何百人も何千人もの人たちに
大切にされている人はいるのかもしれませんが
たいていは そうでもないような気がします。

それに、大切な人に対しては
こちらからも大切にしなきゃならない…
というか、大切にしたいと思うのが人情ですし
大切にしたい人のことを大切な人というのでしょうけれど、
実際のところ、何千人もの人を大切にはできません。

で、やっぱり!
自分の目に届く範囲の人っていうのが
自分にとっても本当に大切な人なんだな…と。

まずは、その本当の大切な人を大切にしないと
いくら数を増やしていってもうまくいかないような気がして
八方美人にならないように意識したりしました。

SNSで片っ端からフォローしまくったり
名刺をばら撒いたりするようなことはしません。

ところが、
ここ1ヶ月くらいの間に
少しだけ この考えにブレが出てきました。

20人なら20人の大切な人がいるとして
その20人が、ずっと維持できていればイイんです。

けれども往々にして、この20人は
何らかの事情で入れ替わったり
それに伴って増減したりするんですね。

生きているうちには御縁が変化していきますから
大切な人も変化していくのは当然かもしれません。

その変化の中で、
例えば、5人の大切な人が減ってしまったとしたら…

母数が20人ですから、5人というのは25%、
4分の1もの大切な人を失ってしまうということです。

これが10人なら、半分を失くしたことになりますし、
母数が10人だとしたら、全喪失ということです。

これは、数字でみる以上に
生きていく上で 相当キツイことだと思います。

もちろん、失うだけでなく
いずれ新しい御縁が繋がって
再び充たされることも少なくないでしょう。

でも、
時間をかけたからこそ大切になっている存在が
そうカンタンに補充されるはずもありません。

一緒に歩んできた大切な人たちは
自分と同時に歳を重ねてゆき
お互い、いつかは亡くなります。

ある程度の年齢に達すると
大切な人を失っていく頻度が高まっていきます。

20人を維持することに拘る必要はないと思いますが
極端に減少してしまうのは淋しいですね。

自分が死ぬ前に、0になってしまったら…
なんて想像すると少し怖い気がします。

もしかしたら、
この大切な人がいなくなってしまった時が
生き納め時なんじゃないのかな…

だから、あんまり早く死にすぎないためにも
母数を もうちょっと増やしておいた方がイイのかも…
・・・などと、
思ったり...思わなかったり... しています(^^ゞ

いや… でも本当は
ちゃんと感じています。 解ってるつもりです。

いなくなると大変だ!と思えるからこその大切な人。
いなくなると生きていけないと思うほどの大切な人。

ちょっと少ないんじゃない…
減っていくとヤバいんじゃない…
そんな数だからこそ、大切なんだし、
そう思える人が 何千人もいるはずはないよなと。

だからこそ、大切な人を大切に思えるんだと。

やはり悪戯に数を増やすことはできないですね。
意味がないというか、そんなことは不可能です。

ですが、ムリに増やすという意味ではなく、
新しい御縁とつながることのできるチャンスを
いつでも受け入れられるような視野を持って
常に行動を絶やさないようにしていきたいものです。

思わぬところに御縁があるかも判りません。

経験や習慣に因われることなく好奇心を持ち続け
これからも、気になるところに
どんどん吸い寄せられていきますよ(^^)

自分のために、大切な人のために
まだまだ活き活きと生きていきたいですからね。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

大切な人

 

●1年前の今日:必見!鉄道模型による光と影のアート

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】     天命 感謝 生きる 

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恩おくり


Life Vest Inside - Kindness Boomerang - "One Day"

人から親切にされると
人にも親切したくなる

「恩がえし」はもちろんイイ
けれど「恩おくり」もイイね

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

恩おくり

 

●1年前の今日:驚異の すくい取り技術!

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ハングリーであり続けろ 愚かであり続けろ


スティーブ・ジョブスのスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ

 
Stay Hungry,Stay Foolish(喰らいついて離さないハングリー精神を持ち、バカなことも時々やろう)

今日は素晴らしいスタンフォード大学の卒業式に皆さんと一緒に出席できてとても光栄です。

私は大学を卒業していません。今日の大学の卒業式は本当のことを言えば、初めての経験です。三つばかりお話しします。みんな簡単なことです。聞いてください。

点と点をつなぐということが最初のお話です。

私はリード大学に入学してなんと六ヵ月で中退。本当に辞めるまで一年半ほど大学に居残って授業を聴講していました。なぜそんなに早く退学したのでしょうか。それは私の生まれる前の話ですが、私の母は未婚の大学院生で、私を生む前から育てる気はまったくなく、いずれ養子に出す気でいました。事実、生まれると同時に弁護士夫妻への養子縁組が決まっていたのです。

ただこの弁護士夫妻男の子である私を見て断ってきました。女の子が欲しかったのです。順番待ちの二番目にいた夫妻へ私は養子になることが決まりました。私の生みの母はこの二番目の夫妻の夫が中学校卒、妻が高校卒なので三~四ヵ月躊躇しましたが、私を大学まで行かせるということという約束を取った上で、育ての親になってもらうことが決まりました。

十七年後、私は大学へ入りました。ただこの大学はスタンフォードと同じくらい授業料が高く、収入のそれほどない育ての親の貯金を全部つぎ込むことになりまsちあ。私は最初の六ヵ月で大学の授業に何の価値も感じなくなりました。自分が何になりたかったのかわかりませんでした。そのまま大学にいたとしてもそれが見つかるとは思えませんでした。そんな自分なのに、一生かけて貯めたお金で養ってくれている養父母に申し訳なくなりました。

そして大学など出なくても何とかなるだろうと考え、中退することを決心したのです。たしかに怖かったのですが、いま考えると人生で最良の決断だったと思います。この決断のおかげで自分の興味のわく授業だけに出席できたのですから。

生活は大変でした。寮の部屋もなかったので友だちの部屋の床で寝起きしました。コーラの空きビン回収で五セントを集めて食事代にしました。日曜日の夜は十一キロも歩いて町のはずれの教会で無料の食事にありついていました。生活はひもじかったけれど充実していました。自分の好奇心と感性だけをたよりにしていた生活でした。お金では買えない経験もしました。その一つをお話ししましょう。

リード大学は当時、カリグラフィー(手書きのアルファベット。日本の書道のようなもの)ではアメリカ一とされ、キャンパスの中のポスターやラベル、引き出しの見出しまで美しい手書きの文字であふれていました。自由に科目を選ぼうと思っていた私はこの文字に魅了され、カリグラフィーのコースをとりました。いろいろな字体や文字ごとに微妙に違う文字と文字との間など、カリグラフィーの奥義を学びました。それはサイエンスでは表せない、歴史ある微妙で美しいアートで、私はこの世界にすっかり魅了されてしまったのです。

こんなものを学んでも、現実的に役に立つことなど、同時はありませんでした。ところが十年後に最初のマッキントッシュのコンピュータを設計していたとき、このカリグラフィーが突如として頭によみがえってきたのです。そしてマッキントッシュは世界で最初の、美しいフォントをもつコンピュータとなりました。

もし大学であのコースに出合わなかったら、マッキントッシュにはいまのような美しいフォントがそろっていなかった、もっと味気ないものになっていたでしょう。

大学生当時の私がこのようなことを予見していたのではありません。しかし大きな変化の伏線になっていたのです。

点と点を最初から結ぶのはむずかしいことです。後に振り返ったときに初めて、点と点を結んでいた線が見えるのです。だから、いま一見無関係に見える点もいずれは自分の人生の中で大きな線でつながれることを信じなくてはいけません。自分の勘、運命、輪廻を信じ続ける、そういう考えをもっていると人生に失望することはなく、常に自分に力を与えてくれるようになります。

二番目のお話はラブ(愛)とロス(失うこと)です。私が人生で比較的早く、自分の情熱をもてるものを見つけたのは幸運でした。

両親のガレージで友だちのウォズとアップルを始めたのは二十歳のころで、私たちは脇目もふらずに働きました。十年後気づいてみると、社員四千人、売り上げ二十億ドルの会社に成長していました。その一年前に最初の製品、マッキントッシュを発売したばかりで、私は三十歳でした。

しかし私は突然解任されました。会社を追われたのです。自分で創業した会社をクビになるなんてありえないと思っていました。会社が大きくなるにつれ、会社を経営するために優秀な経営者を外部より招聘しました。最初の一年はその人とうまくやっていましたが、だんだん意見が合わなくなり、ついに対決するはめになったのです。会社の取締役たちは彼に味方し、私は三十歳で自分の創業した会社から追い出されたのです。

マスコミの餌食にもなりました。それまでの人生をかけたものを失い、絶望のどん底に突き落とされました。自分が何をしてよいのかわからず、途方にくれた数ヵ月でした。前世代の起業家の期待を裏切ったのではないかと悩み、ヒューレットパッカードのパッカードさんにも謝りに行きました。マスコミにもさんざんたたかれ、シリコンバレーから逃げ出すことも考えました。

そんな騒動の中で簡単な事実に気がつきました。それは自分の仕事の中身に対する情熱はいささかも衰えていなかったという事実です。アップル社で拒絶されたにもかかわらず、私は自分のやっていたことが大好きでした。その情熱を大切にして私はもう一度やり直す決意をしました。

いまになってみれば、アップル社を解任されたことは私の人生において大変よかったと思います。成長し続けなければならないプレッシャーからも解放され、謙虚な初心者の気軽さを楽しむようになりました。この時期は人生の中でも一番クリエイティブな仕事ができました。

その後五年間で、ネクストとピクサーという会社を立ち上げました。その間すばらしい女性にも出会いました。彼女は私の生涯の伴侶となりました。ピクサー社は世界初のコンピュータアニメーションであるトイストーリーをつくり、今では世界で最も成功しているアニメ制作会社となっています。

運命のいたずらと言いますか、このネクスト社はアップル社に買収されました。それによって私は期せずしてアップル社に復帰することになったのです。ネクスト者で培った技術はいまアップル社の新技術の核心となっています。

一方で私は妻のロレーヌとともに幸せな家庭を築き始めました。

このような出来事はアップル社をクビにならなければ起こらなかったことです。たいへん苦い薬でしたが、私という患者には必要だったのです。人生においては時々レンガで頭を殴られるようなこともあります。そんなときは自分と運命を信じることです。

苦難のなかで私が前向きでいられたのは、自分のやっていることが好きでたまらなかったからです。自分が情熱のもてることを見つけなければなりません。これは仕事でも恋人でも同じです。仕事は人生のなかで大きな部分を占めます。情熱をもてる仕事につければすばらしい結果を生みます。あなたがまだそのような仕事を見つけられないのなら、探し続けてください。妥協してはいけません。情熱のもてるものに出合ったときは、頭ではなく心が自動的に反応します。そして愛情深い人間関係と同じように、年月がたつにつれどんどん良くなっていきます。情熱を捧げることができるものを探しましょう。中途半端な妥協はやめましょう。

三つ目のお話は、死についてです。

十七歳のときに読んだ本に書いてありました。

「毎日を人生最後の日と思って努力すれば、いずれ望みはかなえられる」

この考えは私に大きな影響を与えました。過去三十三年間、毎日朝起きて自分の顔を鏡で見ながら、「もし今日が自分の人生最後の日だったら、今日の予定をそのままこなすか?」を問い続けました。そして何日もその答えがノーであれば、何かを変えなくてはいけないと思いました。

いずれは自分も死を迎えるという考えは人生で大きな決断をする際に大変役に立ちます。見栄、他人の目、失敗の恥ずかしさ、そして恐れ。それらの感情は死を前にすると色あせてしまう。何が一番大切かを教えてくれます。死を意識することで「自分には失うものがある」というのは幻想であると気づくのです。我々はみな裸で生まれ、裸で死んでいきます。自分の心の叫びを指針にすべきです。

一年ほど前に私はガンを宣告されました。朝の七時半に病院でスキャンを受けたとき、すい臓に腫瘍が見つかったのです。それまですい臓とは何かさえ知りませんでした。医師によるとこのガンは確実には治療できないガンで、余命は三ヵ月から六ヵ月と宣告され、心の準備をするように言われました。

子どもだちに何と言えばいいのでしょう?目の前が真っ暗になりました。とても言葉で言い表すことはできません。

この宣告を受けた後は、一日中途方に暮れていました。その夜、私は病院に戻り、喉、胃、腸に針を通してすい臓の生体検査を受けました。その結果、奇跡的にも私のガンは手術によって治せる稀な腫瘍ということがわかったのです。すぐに手術を受け、私は一命を取り留めました。

これは、私が死に一番近づいた経験です。少なくともあと数十年はこんな経験がないよう祈っています。頭のなかだけではなく、実際に臨死の体験をしてみて確実に言えるのは、人は誰も死にたくないということです。天国には行きたいけれど死にたくはない。でも人間はいつか死にます。死は壮大な自然の摂理の結果です。死ぬことにより、より新しい種が生まれてくるのです。死は有無を言わさず、変革の動機となります。あなたもいずれは老いぼれ、後進に道を譲らねばならないのです。

時間は限られています。他人の人生を歩むのはやめましょう。他人のつくった固定観念の罠にとらわれないようにしましょう。他人の意見に左右されず、自分の心の叫びに耳を澄ませましょう。そして自分の心と直感を道標としましょう。どういうわけか、心と直感は自分が何になりたいかを常に知っているのです。

私が子どものころ、『The Whole Earth Catalogue』という素晴らしい本がありました。私の世代ではバイブルのような位置づけで、いまのグーグルのような情報の宝庫で新鮮なアイディアが山のように詰まっていました。

出版者のスチュアートがこの本の最後の版を出したのは一九七〇年代半ばころ。私はちょうど皆さんの年ごろでした。最終号の裏表紙に早朝の田舎道の写真がありました。これから皆さんがヒッチハイクの旅に出るような光景です。その写真のしたに“Stay Hungry,Stay Foolish.”という言葉が書いてあります。出版者から読者へのお別れの言葉でした。

これは、私が当時からずっと大切にしてきた言葉です。これから社会へ巣立っていく皆さんのはなむけの言葉にしたいと思います。

「ハングリー精神と遊び心を持ち続けよう」――。

ありがとうございました。

(寺澤芳男訳)

 
スピーチの奥義 (光文社新書)
スピーチの奥義 (光文社新書)

 
 
今さらながらの名スピーチですが、
今、改めて聴き直し、刻みこみたいと思いました。

 
ハングリーであり続けろ。
愚かであり続けろ。

 
らじゃー! 了解。
スティーヴの名を継ぐ者の一人として。

ご冥福をお祈りします。

 

●1年前の今日:ここが うわさの…

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  天命    家族 ハングリー 生死 

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来た道 行く道 二人旅

子ども叱るな 来た道だもの
年寄り笑うな 行く道だもの
来た道 行く道 二人旅
これから通る今日の道
通りなおしのできぬ道

(浄土真宗 妙好人)

 
容姿や性格、立居振舞いや考え方は
両親から受継いだものが多いと言われているし
実際、そうだと実感することも少なくない。

ということは...
育児をしている自分たちは、
子どもの頃の自分を育てている
という側面があるんじゃないだろうか?

そして...
なかなか言うことをきかなくて苛立ちを感じる時、
目に入れても痛くないほど可愛いと思う時、
子どもに対して感じる そういうキモチは、
自分の両親も同様に抱いていたということか?

この子たちがいてくれるおかげで
本当に幸せを実感することができる...
今、そう感じていることを
自分たちの両親も感じていたということか?

そう考えると...
親に対する見方や思いは随分と変わってくる。

長く引きずっている意地やわだかまりは影を潜め、
感謝とともに、反省と後悔がこみ上げてくる。

「ありがとう」と「ごめんなさい」が
頭の中で ただ ひたすら 繰り返される。

でも、それと同時に...
いろいろ迷惑や心配をかけたことや
期待に応えられなかったことへの情けなさは薄れ、
意外に自分も役にたつ存在だったのかも知れないと
認めることができるようになれる気もする。

育児というのは
次の世代を育成する作業であるだけでなく、
自分の来た道を振り返る作業にもなっている。

また...
親がその両親に向けた態度や行動とは
いずれ自分が体験するであろうものを
予め見せてもらっている意味があるのだとしたら、

これから先の生き方を
確認したり見直したりするための
とても大切な機会を与えられているということ。

親の立場としては、
育児以外の生活や、育児後の生き方も
少なからず子どもに影響を与えているということ。

いくつになっても親は親
いくつになっても子どもは子ども

その意識があろうがなかろうが
いくつになっても 育て、育てられている。

 
何だか解ったような解らないような
ちょっと曖昧なところもあるのだけれど...

この連鎖を遮るような暮らしは
できる限り避けたほうが良い ということは
ハッキリと言い切れる。

核家族化が一般化してしまった今となっては、
三世代が共有できる時間や空間は少ないが、
せめて、育児や老後の世話などを通じて
家族の意義や自分の役割を再認識しながら
今、此処、一瞬一瞬を大切にしていきたいもの。

 
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

 
来た道 行く道 二人旅
via: 鈴木さん家の4コマ漫画

 

●1年前の今日:再会

コメント:2 | TB:0 【ちょっとイイことば】  家族 因縁 教育 感謝 役割  一期一会   

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孤立が稀有な時代の孤立って?

 現代の学生さんにぜひ知っていてほしいのは、ほんの少し前までは、単独行動の学生はそんなに珍しい存在ではなかったということだ。少なくとも、私が学生だった30年前には、一人で昼飯をとる学生の姿は、キャンパス内に普通にある自然な風景だった。
 友達のいる学生であっても、携帯電話で連絡がつかなかった時代は、別々に過ごさざるを得なかったわけで、そういう意味では、われわれは、誰であれ、単独で過ごす時間をけっこうたくさん持っていた。だから、そのことをひどく気に病んではいなかった。 そう思ってみれば、「孤立」という状況を孤立化(←分かりにくいでしょうか?
 「孤立が一般的だった時代の孤立」は、現在の、「孤立が稀有な時代の孤立」ほど孤独ではなかったという意味です)させることに寄与しているコミュニケーションツールは、あれはあれで罪な仕事をしているのかもしれない。

via: フェイスブックで友達何人できたかな:日経ビジネスオンライン

 
孤立というのは、
一人で過ごしている時間のことではない。

孤立というのは、
誰からも相手にされないということではない。

孤立というのは、
誰とも関係を持とうとしない自らの心持ち。

 
自分が充実している時、あるいは、
自分の内面を見つめている時は、
他者との関係への依存心は高くない。

自分自身の不満が高まるにつれて
他者に期待したり、不平をぶつけたりして
自らの本質から目を逸らそうとしがちになる。

孤独を強く感じる時、
それは外部からの無関心であるように見えて、
実は、自分自身が内面に向き合っていない時。

自立した者同士が 助け合い 分かち合うことと、
歩みを止めて ただ単にもたれ合うことは、まったく違う。

 
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に..(^^)/~~~

孤独

 

●1年前の今日:「信頼」と「責任」

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再会

今日は 400人以上のパーティに出席。

久しぶりの大規模かつフォーマルな宴席で
とても刺激的な時間を過ごすことができた。

2次会まで入れると8時間の長丁場だったけど、
いろいろな趣向や演出が施されていて
アッという間に時間は過ぎていった。

各地の仲間や恩師と再会できたことも
とっても嬉しい出来事だった。

そして、何よりも良かったのは、
どうしても もう一度会いたいと思っていた人と
再び ここで出会うことができたこと。

たった一度会ったきりだったのに
な~んか... 気になっていたんやな~

何のご縁があるのかは よく分らないけど(^^ゞ

うん。  よかった よかった(^^)/

 

●1年前の今日:突然の訃報に絶句

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  パーティ 出会い  因縁  

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対岸の火事

看護婦の資格を持っており、もともとボランティア精神も旺盛だった彼女に引っぱられるかたちで、僕も、長田によく行きました。
それから15年が経って、今でもまだまったくおなじことを思うけれども、長田のオバァたちオジィたちが生き延びるための最大の障害になっていることは、笑い、です。
身寄りがないので、そもそもが孤独です。そして、テレビは、長田のオバァやオジィのような年寄りには、笑いを提供してくれないのですね。 一日に、一度も会話がない。言葉を発することもない。あはは、と、笑うことがない。
これはね、やっぱり、生きる気力を萎えさせます。
孤独死は今もあるし、死ねばニュースになるけれども、死なないまでも、会話がない、言葉を発することがない、あははと笑うことがない、という生活は、死んでいるも同然です。泳がない魚、泣かない赤ん坊です。でも、その生活のさまは、なかなか外には伝わっていかない。
そのことの重要性を、僕は、当時も、そして今も、ずーっと痛感します。だからこそ、せめて、一緒にあははと笑おう、そう思って、僕は、長田に遊びにいきます。
ボランティアという言葉の在りようは自分なりに持っているつもりだけれども、僕は、ただ、きっぱりと遊びにいってるだけです。

via: 大阪市の北区をグルグル巡るブログ
あれから15年。震災の日、誕生日に思う。

 
永年、1人暮らしだった
自分のお婆ちゃんも被災者の1人。

ご近所の方たちのおかげさまで
命だけは助かったものの
震災後は、すっかり弱ってしまった。

若くして未亡人になったお婆ちゃんは
戦後の混乱期から激動の時代を
女手1つで3人の息子を育て上げ
気丈に生きてきたのに...

歳のせいだと言われれば それまでだが
一気に老け込んだのは
震災の後、笑い減ったことが大きいと思う。

もっと!もっと!
頻繁に遊びに行けばよかった。。。

 
震災が奪っていったもの、
震災が気づかせてくれたものは、
財産、生命、大切な思い出、
防災や危機管理などの問題だけじゃない。

コミュニケーションの重要性や互助精神、
メンタルヘルスのケアなどが話題になった。

暴動のような大衆行動が少なかったため
邦人の秩序正しい部分が注目されたりもした。

しかし、
対岸の火事的な、ある意味で冷たい人情については、
多からず指摘されることはあっても
それ以上に議論されることは未だかつてない。

当時、そのことに
とてつもなく腹が立っていたのを思い出す。

いろいろなエピソードがあったらしいけど、
その真偽はさておき、自分の周りにも
対岸の火事でしかない状況は確かにあった。

そして今、
冷静になって感じ直しているのは、
対岸の火事も また必要悪なのかな...ということ。

悪って言うのもナンだけど、
そういう人がいなかったら、
街の復興はなかったというのも確か。

では、
どの範囲からが対岸になるにか?っていうのは
なんとも定義しがたいところなんだろうけど、
物理的、精神的、因縁的な距離によるんだろうな。

もちろん!
自分は対岸ではなく此岸にいたわけで
未だに怒りや悲しみが消え去ったわけではないけれど、
その後の大災害のことを考えてみるにつけ、
その対岸にいた自分のことを思い知らされる。

いろんなことを考えたり思ったりするけど
いろんなことが できてへんな。。。

でも...
それは それで ええんやと思う。

それが今の自分なんや ということ。

できてないところが見えるということは
できた状態を知っているからや、ということやねん。

カンペキな状態を知っているから
できてないということを理解できる。

人は、自分の器の範囲でしか
考えたり想像したりできないし、
考えたり想像したりしていることは
自分の手中にあるポテンシャルなのだから。

 
ええねん ええねん
神様やないねんから それでええねん
 

その相方も、10年前に、アフリカのニジェールという国へ看護婦のボランティアに行ったきり、戻ってきませんでした。
内戦で欠けてしまった人々の身体と心に、なにがしかを埋める作業をしに、彼女はニジェールに行ったのでした。
彼女が属していたボランティア団体は、災害地や紛争地にいち早く到着して、医療面からの適正なサポートを、政府や思想や社会体制によらずに、行なってきたところです。
そして、彼女が赴いた現場で、ゲリラ戦が起こりました。
そのゲリラ戦で亡くなったのは、数十人とも百人以上とも言われています。
今もって、正確な数字はわかっていません。

via: 大阪市の北区をグルグル巡るブログ
あれから15年。震災の日、誕生日に思う。

 
大災害の最大の悲しみは、名前が残らないということ。

そして、戦争に巻き込まれた人たちもまた然り。

人っていうのは、大きな流れの中では
なんと小さな存在なんだろう。。。

全宇宙の中の自分なんて・・・

だけど、
その小さな存在の集まりが
この宇宙をつくっていることは確か。

 
名前は、
その人を知る人にだけ残ればイイのかも知れない。

それ以外の人にとっては、
対岸の火事でしかないのだから。

 
・・・で、
それは そうと...

この引用文って、どことなく...
覚えがあるようなないようなことが
そこここに書かれてある。。。

気になってフロフィールを見てみたら…
なんと! 学生時代の友人だった!(たぶん)

けっこう前から読んでいたweblogだけど
今まで ぜ~んぜん気がついていなかった。

旭富士のファンだった相方さんの
その後のことも、この記事を読んで初めて知った。

20年も会ってないからね。

時は常に流れていく。諸行無常やね。
そして、ボクは
対岸の火事に 全く気づいてなかったわけやね。

彼は彼を、自分は自分を生きていた20年。

 
それにしても、
ここで、こういうカタチで再会できたことは
なんとなく イイ感じ!   うん。

ちょっとセンチメンタルな気分ではあるけれど
けっしてノスタルジーに浸っている感じじゃない。

やっぱり! 流れが変わってるな。

流されず、流れに逆らわず、
自然に この流れに乗っていこう!

 

●1年前の今日:お幸せに…

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】   阪神・淡路大震災 震災  

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縁を生かす

「縁を生かす」

その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に止まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。
間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると、
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。

三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」
三年生の後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり、四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った。
ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。

あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。 先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。

雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い!
きょうはすてきなクリスマスだ」

六年生では先生は少年の担任ではなくなった。 卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」。

十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担当してくださった先生です」

そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母の席に座ってください」

と一行、書き添えられていた。

月刊誌『致知』連載にご登場の鈴木秀子さんに教わった話である。
たった一年間の担任の先生との縁。
その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、それからの人生を生きた。
ここにこの少年の素晴らしさがある。
人は誰でも無数の縁の中に生きている。
無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。
大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。

『致知』編集発行人 藤尾 秀昭

小さな人生論〈3〉「致知」の言葉 より

 
昨日、この話が
あるメーリングリストでシェアされていた。

かつて何度も読み返した話だったが、
今、このタイミングで
再び この話に触れたことには
何か意味があるのじゃないかと感じた。

 
今、起こっていることは
ご縁が生かされた結果なんじゃないのか…

ご縁を生かせていないことが
何か あるんじゃないのか…

今こそ、ご縁を生かしきる時が
きているんじゃないのか…

 
今日、明日と 京都にて
今一度 心を練って感じてみようと思う。

やっさん...
ありがとうございます

 

 

●2年前の今日:銀色で三角の楽器…

コメント:0 | TB:0 【見逃せない!この1冊】    因縁  

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新たな絆

桜が散ったばかりだというのに
夏日を記録した暑い京都にて...

昨日、今日の2日間、
熱い20余名の同志と共に
深く篤い勉強会に参加ました。

今回は、カウンセリング論を通じて
たくさんの貴重な気づきと ご縁をいただき
久々に心の底から充実した時間を感じました。

 
和して 同ぜず

認め合い 信じ合い 個々が輝き合って
やがて「うねり」となっていきます。

そして この共鳴が、ますます大きくなっていく...
そう感じざるを得ない「場」が拡がっていました。

 
忘れかけていた自己、
諦めかけていた自己、
見失いかけていた自己を、
今一度、輝かせることによって
自分もまた一隅を照らすことになる...

共鳴空間の奥に見えた 確信です。

 
…というわけで、
もうしばらく、遠回りをしようと思います(^^ゞ

 

●1年前の今日:心の灯台

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ご縁

小人は縁に気づかず。
中人は縁に気づいてもそれを活かせず。
大人は袖すり合う縁をも活かす。

(柳生家の家訓)

 

●1年前の今日:親睦会

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