元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

EDIT

こんな風に歳をとりたいな...と思う。

EPO with センチメンタル・シティ・ロマンス

 
昨晩、気のおけない仲間と一緒に
久しぶレの Billboard LIVE を訪れた。

「EPO with センチメンタル・シティ・ロマンス」の
セカンドステージ。

ひととおり食事もすませ
アルコールもまわりつつある
まったりとした時間が
ゆっくりと過ぎていく。

 
それにしても…
センチの兄貴たちは
相変わらずカッコ良かった!

今も昔もマイペース。
進化しつつも 芯はぶれない。

長く続ける秘訣なんだろうと思う。

シワも増えたし 多少は老けたけど
禿げてないし バリバリ上手いし
まだまだ悪そうな顔しているし…

こんな風に歳をとりたいな...と思う。

 
EPOと言えば、
80年代のJ-POPを代表する人だし
元気で明るいヒット曲も多い。

けれど、そのころから既に
しっとり じっくり歌った曲も少なくなく
むしろ その中に名曲がたくさんある。

そして、元気ハツラツのEPOも次第に歳を重ね
音楽に限らない活動の幅を拡げていくと共に
さらに、しっとり じっくり歌う曲が増え
いつしか、かつてのイメージは一変した。

正直、若いころの彼女の印象は、
声がキレイな歌の上手い人でしかなかったが、
近年の円熟ぶりには目を見張るものがある。

こんな風に歳をとりたいな...と思う。

 
「Down Town」「土曜の夜はパラダイス」など
ピチピチだった頃のヒット曲はもちろん、
「グッドナイトベイビー」などナツメロのカバー等
History of Japanese POP のタイトルに相応しい
とってもハッピーで めちゃめちゃ楽しいステージは
23時を過ぎても終わらない。。。

いよいよ盛上がりもピークに差かかったころ
EPOの夫でもある舞台俳優の宮川雅彦氏が登場。

EPOの創作童話「光になった馬。」を朗読した。

 
東日本大震災で、2人のお子様を亡くされた女性が、
ラジオで偶然耳にしたのが、この童話なのだという。

その方が投稿サイトで作者探しをしたことから話題になり
10月1日にCDブックとして出版された。

そのCDブックに収録されている曲が「たったひとつの」。

 
「光になった馬。」を朗読を受けて
語りかけるように聴かせてくれた「たったひとつの」。

 

EPO - たったひとつの

 
思わず 涙がこぼれ落ちた。

気がつけば
みっともないくらいのボロ泣き状態。

かなり恥ずかしかったけれど^^;
オッサンであることも忘れて浸りきった。

 
いや~ 昨晩のライブ
ホントに良かったよ。

そして、やっぱり
かな~り恥ずかしかったな(^^ゞ

 

CDブック『光になった馬。-たったひとつの-』

 

 

●1年前の今日:休みながらでもいいから、続けること

コメント:2 | TB:0 【しあわせメモ♪】  音楽 ライブ 仲間 生きる  満喫 お気楽 

ページTOPへ↑

EDIT

泣くべきとき

泣くべきときに泣かないで長いことすごすと、涙でいっぱいの袋みたいになってしまう。平気なつもりでいても、正しく流されなかった涙は袋のなかに貯蔵される。袋はどんどんふくれあがり、ふくれたぶんだけ脆くなる。そしていつかは、多くの場合は心遣いや共感のようなものをきっかけにして、ぱん、と割れてしまうのだ。

via: 涙袋 - 傘をひらいて、空を

 
人生の節目節目の そこ此処に
「泣くべきとき」 というものが ある。

 
育った環境や教育や体験から
「泣いたら あかん」という思い込みが
強く根付いている人も多いようだけれど、
やはり、
「泣くべきとき」 というのは確かにある。

正しく流されなかった涙は
気がつかないうちに 少しずつ鬱積し続け、
それと共に得体の知れないものに変質していく。

科学的、生理学的に
涙は そのようなものではないにせよ、
だからと言って
涙は 眼球や角膜を保護するだけのものではない。

心を揺さぶり、胸の奥を掻き毟り、
自身の深層に蠢くものを顕し出したり、
他者の姿の中に、自分の真相を見出したりしながら、
あたかも排泄物の如く流れ落ちて浄化を促す。

だから
「泣くべきとき」には泣かなきゃ...なのだろう。

それは、わりと容易く想像も理解もできる。

けれども、実際には、
泣けないこと、泣きたくないこと、
または「泣くべきとき」じゃなかったことにしたいこと、
人それぞれの、さまざまな事情や感情が、
泣くことを拒否したり、無意味化することも多いもの。

そうして心のデトックスができないと
具合の悪いことが待っているような気がするし、
人情味のない冷たい人間だと思われるような気もする。

 
しかしながら、それは その人にとって
まだ「泣くべきとき」じゃないのかも知れない、とも感じる。

意図的に、あるいは無意識的に制御して
「泣くべきとき」に泣かないでいたとしても、
鬱積した得体の知れないものが破裂するときが
いづれ訪れることになる。

破裂というのは衝撃的で強力な刺激を伴うものだから
ついつい、悪い結末なのではないかと感じてしまうのだけど、
もしかしたら、それもまた 思い込みだと考えることもできる。

人によっては、場合によっては、
「破裂するとき」が「泣くべきとき」で、
そのときを迎えてようやく涙が機能するのかも知れない。

そういう風に考えると、
普段、あまり泣けないからといって
あれこれ心配する必要もないし、
ましてや責めを負う理由もない。

「泣けるとき」こそが「泣くべきとき」なのだ。

 
とはいえ、やっぱり...
日常のそこ此処で泣けるものなら泣いておきたい。

鬱積させて破裂を待つほどの辛い涙は
できることなら避けたいと思うのが人情。  でしょ(^^ゞ

泣き虫の自分にとっては、蛇足かも知れないけれど。。。

 
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

泣くべきとき

 

●1年前の今日:夏休み最後の日曜日

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】   心の叫び 心理 デトックス 

ページTOPへ↑

EDIT

花は観手に咲く

今回のお話の中で、小林秀雄さんの「当麻」の一節である、
「美しい『花』がある。『花』の美しさといふようなものはない」
という文章を紹介してくださいました。

この一節に感動してしまいました!
私は、花をみて、“美しい”と思う人です。
コレは、私の中に、花を見て“美しい”と思う心があるから“美しい”と思うわけで、花を見て、何も思わない人も世の中には、いてるかも知れません。
花が、「私、美しいでしょ!」
と主張して咲いているわけでもないのです。花はただ、ただ、咲いているだけ。

この一節で、たくさんの内容が表現されています。
素晴らしい、美しい一節です。

絆の法則 - 澤谷 鑛 先生のお話 より

 
この記事を読んだとき、
スグに!思い出したのが…

花は観手に咲く

という、コトバでした。

 
このコトバは、
風姿花伝で有名な室町時代の猿楽師
世阿弥によるものです。

 
世阿弥は能を観て美しいと思ったり、
素晴らしいと感じる心を「花」と表現しました。

役者が、どんな素晴らしい能を演じても
見ている人が素晴らしい感じなければ
観客にとっては価値はなかったことになると。。。


同じ花を見ても
美しいと感じる人もいれば
そうでない人もいるわけですが、
花そのものは、同じ花なんですね。

花を見ている人の想いや設定によって
価値が決まっているということ。

花そのものに 価値があるのではなく
花を見る人が「美しい」と感じるキモチにこそ
まさに!価値があるのだ、…という捉え方です。

 
…で、
ハナシは飛びますが、
1週間前、こんな↓記事を書いてました。
2009-05-13 「親父の弁当と最後のパレード

 
最近、めっぽう話題になった本、
「最後のパレード」の盗用疑惑について、
著書、出版社ともに、その行為や対応を見るにつけ
とても弁護できるような態度ではありませんでした。

でも…
コメントをいただいた方への回答にも書きましたが
著者や出版社に腹をたててもイイけど、
自分が感動したことを否定しなくてもイイ!
そう思うんです。。。

そう!
あのエピソードを読んで
いたく感動したというキモチには
一切、ウソはありません。

盗用、裏切り行為の部分と
心をふるわせた事実は
別けて考えたほうがイイと思っています。

 
儲けや名声に眼が眩んで
盗用や裏切りをした人たちには
まったく何の価値もありませんが、

あのエピソードを読んで
心を震わせ、涙を流した読者の心は
なんと繊細で優しく美しいのだろう...

そういう風に感じます。

これぞ、まさしく!
花は観手に咲く ですよね。

 

●1年前の今日:熱過ぎる!セパ交流戦

コメント:2 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  感性   

ページTOPへ↑

EDIT

親父の弁当と最後のパレード

7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/05/09(土) 19:46:24

小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。

当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、
また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、
俺は飯のたびに癇癪をおこして大泣きしたり、喚いたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に投げつけたりなんて事もあった。

翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずにちょっとずつわけてもらったおかずと、
持っていたお菓子のみで腹を満たした。

弁当の中身は道に捨ててしまった。

家に帰って、空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い、
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、
「全部食ったか、えらいな!ありがとなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。

俺は本当の事なんて勿論言えなかった。

でも、その後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていた事を親父に言ったわけ。

親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して、怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。

 
さすがに罪悪感を覚えた俺は、気まずさもあってその夜、早々と布団にもぐりこんだ。

でも、なかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父の所に戻ろうとした。

流しの所の電気がついていたので、皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいか、ボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。

で、俺はその時ようやく自分がとんでもない事をしたんだって事を自覚した。

でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。

結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。

翌朝、弁当の事や今までの事を謝った俺の頭を親父は、またぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残す事は無くなった。

 
親父は去年死んだ。

病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで、頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら、
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」
とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの、微かに笑いつつ頷いてくれた。

「親父の弁当」裏クロスブリードさん より

 
こういうネタは
所詮2チャンコピペであって
実話かどうかも怪しいわけで
冷めた眼でみる人もいるのだけれど、

実話かどうかなんて
ぜんぜん関係ないんじゃないかと思う。

イイと思ったかどうか?
感動したかどうか?
そういうことは自分の問題だから。

 
最近、中村克氏の著書
「最後のパレード ディズニーランドで本当にあった心温まる話」で
盗用疑惑が浮上して話題騒然となった。

この話題が出る前までは
感動的なエピソードとして
圧倒的な支持を得ていた本だったが、

一転して
ウソだったなんて大ショック!
感動して損をした。。。などという世論が
スゴイ勢いで広がってきた。

 
でも…
それって どうなん?

 
中村氏の行動や対応については
批判されても仕方がないことだと思うけど、
感動して損をした。。。っていうのは
いったい どういう意味なのか?

 
エピソードが盗用であったとしても
実話ではなくフィクションであったとしても
「感動した」ということに変わりはないはず。

イイ話を聞いて、読んで、
心を動かされたことは事実。

確かに、
実話だったことを条件に感動したという人は
その感動に水を差されたかも知れないけど
でも、もう一度、冷静に読んでみて。。。

最初からフィクションだと知っていたら
やっぱり!感動していたんじゃない?

 
不遇や喧騒、理不尽が溢れる生活の中で、

自分の心が激しく動いたこと。。。

自分の感性が輝いたこと。。。

それは、
自分の素晴らしい部分が
紛れもなく現れた瞬間なんだと思う。

 
そんな自分の姿に感動しても イイんじゃない?

 
ネタ元の人がどうだとか
実話だとか盗用だとか
そういうことに関係なく

心を震わせることのできる自分がいる...

そのこと自体が エエ感じやと思うな~

 
どんなに美しい花を観ても…
どんな叙情的な詩を読んでも…
どんなエキサイティングな映画を観ても…
どんな心温まる出来事に遭遇しても…
ぜ~んぜん ち~っとも 感じない人って
けっこう いるよね~

それに比べて
最後のパレードを読んで感動した人は
温かい魅力的な人なんじゃないか...と思う。

あるいは、
いつもは感動なんてしたことないのに
この本を読んで久しぶりに涙を流した人だって
まだまだ捨てたもんじゃない...と思う。

 
 
親父の弁当...
泣けて 泣けて 泣けて 仕方なかった。

 
親孝行したい時には親はなし

 
自分には 母親がいてくれる。

いてくれるだけで ありがたい。
なのに 素直になれない自分が情けない。

 
でも、このエピソードを読んで
涙を堪えることのできなかった自分なら
まだ間に合うかも知れない。。。

きっと!できる。大丈夫!

目玉親父の弁当!?

via: 榎本加奈子 OFFICIAL BLOG

 

●1年前の今日:タコ箱オーナーに再挑戦!

コメント:4 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  お気楽 感性  ディズニーランド 

ページTOPへ↑

EDIT

泣いてもエエねんで

子供を泣かせるのがうまい大人は多いが、
子供を泣きやませるのがうまい大人はほとんどいない。

・・・・・・・・

泣きながら何度も考えた。どうして涙を流すことはいけないんだろう? つらいことや悲しい気持ちを泣いて静めるのは、どうしていけないんだろう?

そして一つの結論に達した。「大人は、子供が泣いているのを見るに堪えなくて、無理矢理にでも泣きやませようとしているのだ」と。これはもしかしたら間違っているかもしれない。でも、一つのことは確かだ。つまり、大人が考えているほど、子供は単純に泣き止んだりなどしないものだ。

子供は泣いているとき、大人にどう扱って欲しいのか。これは人それぞれかもしれない。母親の胸に抱かれて安心を感じたいと思っている小さな子供も多いだろうし、逆に、だれの迷惑もかけない静かなところで、一人で思いきり泣きたい、という子もいると思う。私は後者だった。

それなのに、ほとんどの大人は、「どうしたの?」「かわいそうに……」「もう泣くなよ」などと、慰めの言葉さえかければ、どんな子だって必ず次第に泣きやむ、と思い込んでいる。私の周りの大人は、ほとんどがそうだった。

しかし、そんな人ばかりが大人ではなかった。私が教室で泣いていたある日のことである。その時、クラス担任の、ちょっと小太りの男の先生は私の手を引いて、だれもいない小部屋へ連れていった。そして言った、

「気がすんだら、戻ってきなさい」

この一言はとてもうれしかったことを今でも覚えている。それに、こんなことを言ってくれた大人は後にも先にも、その先生、たった一人だけだった。

ノンちゃんと私」より…

そういえば…

お婆ちゃんたちは、
もっちゃんが泣いていると
「もう泣かないの…」とか
「泣かなくてもイイのよ…」とか言ったり、
「ベロベロバー」みたいなことして機嫌とったりして
なんとか泣き止ませようとしてる。。。

 
自分はというと、なぜか?
「泣いてもエエねんで~」とか
「泣きたいねんなぁ~」とか言いながら
ヨシヨシしてたりする。

自分でも何故だか よく判らないけど
なんか本能的にというか
気づいた時には そうしてたんやな。

泣き止んでくれ~!って思ったこともあるけど
だいたいは「赤ちゃんは泣くのがシゴト」とか
そんな風に思ってるみたい。。。

5歳の ゆきちゃんに対しても
「泣くな」と言ったことは
ほとんどないように思うのやけど
それは、2人とも女の子やからなんかな?

男の子やったら…
「男のくせに、メソメソするな!」とか
言ってるのやろうか?

 
もしかしたら そうなんかも知れないけど
男の子やったとしても、やっぱり!
あんまり そういうことは言ってない気がする。

いや、明確な根拠はないけど...(^^ゞ

 
自分は「泣く」ということに対して
悪いこととは思ってないみたいな気がする。

と言うか、
むしろ、良いことやと思ってるかも。

 
多分、子どものころは、そうじゃなかったけど
だんだん、そんな風に思うようになってきたみたい。

いつからかは よく判らないけど...

 
ゆきちゃんが凹んだり泣いたりしてる時には
「上を向いて、ガハハハって笑ってみぃ。」
って、言うことが多いんやけど、あれも、
「泣いたらアカン!」
っていう意味じゃなくて
「上を向いて、吐き出してみぃ」
っていうカンジやねんなぁ~

 
いつからか無意識に
そういう風にしてたというわけなんやけど
今、思えば、
それって、けっこう良かったことなんやと思う。

確かに!
「泣くな!」「メソメソするな!」とかっていうのは
言い換えると「感情を押し殺せ!」という意味なわけで、
そんなことを愛娘たちに強要するなんて…
考えたら、おかしいというか、怖いことやと思う。

 
でも、
そうしている人は多い、というか
そうしている人が普通かも知れないし、
自分だって、実は、やっているのかも知れない。

 
痛みや悲しみは感じないというのが、イイこと?
それを封じるというのが、強いということ?
人の顔色をみて笑顔をつくるのが、社交的ということ?
…なわけがない!

涙はデトックス。
痛みや悲しみを乗り越えるために
それを排出させるのを止めたら
心の奥底に、ず~っと溜め込んだままになる。

 
そう考えると…
やっぱり!怖い。。。

なんて恐ろしい抑圧!

 
いや...
誰も悪気があって やっているわけじゃない。

自分たちも子どものころから当たり前に
そうされてきただけなんやから仕方がない。

そんな恐ろしい抑圧をしているなんて
誰も気がついていないだけなんやから。

 
でも、
気がついてしまった者としては
もう2度と繰り返しちゃいけないと思うし、
そのことを伝えなきゃいけないと思う。

 
子どもは もちろん!
大人だって、泣いてイイ。

 
やりたいこと、 1つ増えたな。。。

泣いてもエエねんで

 

●1年前の今日:イチバン大事なのは…

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  共感 デトックス  

ページTOPへ↑

EDIT

明日は遠足…

赤ちゃんと、お母ちゃんが退院して5日。

まだ しばらくは実家で
ゆっくりしたいんやろなぁ~
…と思うのですが、

ゆきちゃんのガマンは
臨界点に達しようとしているみたい...

自分の家に帰りた~い。
ゆきちゃんは、家族4人で暮したいのよぉ~

ふとした瞬間に思い出して…
さびしくなって涙がこぼれます...

あんまり悲しそうにするもんだから…
ついに!お母ちゃんが根負けしまして、
明日には帰宅することになりました。

≫ つづきを読む

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  遠足  

ページTOPへ↑

EDIT

さすが!お姉ちゃんや!

待望の第二子

待望の第二子です。

ちょっと...目がハレていて
古墳時代の土偶のような顔です^_^;

でも、女の子です。

鼻は低そうなので
冷たい美人タイプではなくて
親しみやすいカワイ娘ちゃんタイプです(^^ゞ

涙をためると
ゆきちゃんにソックリ!

 

その ゆきちゃん...
お母ちゃんが入院しているから
ちょっと元気がありません。。。

今日も必死に寂しさを堪えています。

≫ つづきを読む

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  寂しさ  留守番 

ページTOPへ↑

| PAGE-SELECT |