元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

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憲法記念日なので憲法について考えてみる

憲法記念日なので憲法について考えてみる

ゴールデンウィーク真っ只中!
今日は憲法記念日ですね。

法律の中でも国のあり方の根幹に関わる最も重要なものの一つである憲法ですが、実は多くの国民がその詳細について知らないというのが実態です。

たとえば、日本国憲法に関して次のような事実を正確に把握している人は何%くらいいるでしょう。

  1. 「戦争放棄」条項は日本国憲法独自のものではない
  2. 世界で初めて「戦争放棄」を謳ったのは 1791年のフランス憲法。その後平和憲法条項を盛り込んだ憲法を持つ国は 99カ国にも及ぶと言われています。憲法9条をあたかも世界唯一の平和憲法規定だと思い込んでいるのは大きな誤解です。
    「日本国憲法にノーベル平和賞を」という団体がありましたが、如何に世界情勢について勉強不足で一人よがりな考えををしているかということを大声で主張しているようなものです。日本人として恥ずかしい限りです。

  3. 憲法9条の特殊性は「戦争放棄」の第一項ではく第二項にある
  4. 「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
    この規定は当初「非武装」と解されていました。
    吉田茂首相も当初は国会で「非武装」を答弁しています。
    それが朝鮮戦争後、自衛隊を保有することになりました。
    「非武装」から「武装」へと180度の解釈が変えられています。

  5. 日本よりも厳格な平和主義規定を持つ国もある
  6. モンゴルやアンゴラでは、外国の軍事基地を設置してはならない規定があります。
    カンボジアやリトアニアでは、核兵器の禁止が明示されています。

  7. 憲法9条は平和条項として不完全
  8. 多くの国々では「戦争放棄」を憲法に盛り込む一方で、自衛の軍隊を保有し、同時に「国家緊急事態条項」を規定して、緊急事態に対応できるように定めています。
    自衛隊という軍事力を保有しておきながら「国家緊急事態条項」がないのは明らかに平和憲法としての欠陥です。

  9. 日本国憲法の多くの条項が時代に合わなくなってきている
  10. 環境保全に関する条項は、世界65カ国の憲法に謳われています。 プライバシーの権利は 44カ国、知る権利は 22カ国の憲法に明記されています。
    これらは日本国憲法の制定当時にはなかった人権条項ですが、無改正のままになっています。

  11. 日本国憲法は無改正の世界記録を更新中
  12. 最も古いアメリカ合衆国憲法は、1887年の制定以来1992年までに18回の改正が行われています。2番目に古いノルウェーでも1814年から1995年までに139回改正されています。
    日本国憲法は15番目に古い憲法ですが、1946年から一度も改正されていません。
    17番のイタリアでは6回、18番のドイツでは46回改正されており、21位まで無改正の憲法はありません。

以上、日本国憲法の実態について、意外と知られていないのではないかと思うことをいくつか列挙してみました。

事実ですから決してレア情報ではありません。
けれども、自分の周りにも知らない人がたくさんいました。
そう言っている自分も最近まで知らない項目もありました。

自民党は憲法改正の是非を問う国民投票の投票権年齢について、2016年の夏までに「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げる国民投票法の改正案を成立を目指す方針です。
現政権は来年の参院選後に憲法改正の発議を目指しており、いよいよ憲法改正の機運が高まりつつあります。

しかしながら、投票権者たるわれわれ国民は、どれほど日本国憲法について理解しているのでしょうか?

大学の法学部で憲法を専攻し、社会人になった今では学生当時よりも憲法に興味を持って注目している自分ですが、まだまだ勉強不足を思い知らされることは少なくありません。

政府は国民投票を実施するのなら、まずは全国民に対して日本国憲法に関する正確な情報提供と周知徹底するための環境整備を行うべきだと思います。

同時に、お上に任せっきりというのでは国民としての責任を果たしているとは言えません。
自分たち国民もまた自主的に憲法のことを知る努力をしていかなければならないと思います。

でなければ、国民投票という重要な決定手続きにおいて、正しい判断を下すことができません。
憲法改正に賛成の人も反対の人も、どちらがイイのか判らない人も、せめて憲法記念日の今日くらいは、少しでも憲法のことについて知る機会にしたいものです。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

憲法記念日なので憲法について考えてみる
●1年前の今日:
便乗値上げならぬ 便乗廃業か!?

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明日は衆議院選挙の投票日です

明日は衆議院選挙の投票日です。

誰に投票すればいいものか…
いつも以上に悩ましいと感じてる人も
少なくないのではないでしょうか?

そんなときに役立つかもしれない
議員活動をまとめたデータベースが
無料で公開されています。

衆議院議員活動統計

46期衆議院議員活動統計

23期(1947年)から 46期(現在)までの
全衆議院議員の国会・委員会での発言数などを
並べ替え可能な一覧表で見ることができます。

実際に見てみると
かなり個人差があることが判ります。

さまざまな事情が絡んでいるのでしょうけれど
活発に活動している人もいれば
全く発言をしていない人も少なくありません。

国会での議員の活動記録ですから
このデータが活動の全てではありませんし
代議士経験のない新人候補は掲載されていませんが
非常に興味深い資料だと思います。

明日の選挙の立候補者の一覧も公開されています。
2014年衆議院議員選挙立候補者一覧

併せて投票前に一度は目を通しておきたいですね。

国会議事堂

これまでにも何度となく触れていますが
改めて確認しておきたいことがあります。

民主主義は、権利と義務がセットであり、
権利は義務が伴って初めて保証されるということ。

さまざまな市民の権利を享受するなら、
投票による参政は欠かせない責任だということ。

そして「投票する人がいない」状況なら
自ら出馬するか、支持者を立てて支援をすること。

そこまでできないのであれば
たとえ消去法であってもベターを選択して投票し、
自らが選んだという意志と責任を持つということが
権利を主張する上で必要な市民の義務。

「選挙権」と「被選挙権」は、
「権利」であり「責任」でもあるのです。

「投票したい人がいない」という理由で
棄権したり白票を投じるという行為は、
一方的に権利を放棄しているつもりでも
実は、「投票により参政する責任」と
「支持者を立てる責任」を負ってはいません。

気に喰わない政権ができてしまうことも、
投票したい人がいないことも、
民主主義においては選挙権者の責任です。

とは言うものの
今回も誰に投票するかで悩んでしまいます。

本当に頭の痛いことですが
そんな状況をつくったのも
任せっきりになっている自分たちの責任。

不本意であっても必ず一票を投じて
その責任の一端を果たしたいと思います。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

 

●1年前の今日:正論めいた偏見

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「政治」と「経済」は両輪

復興策や原発事故への対応、
守られることのないマニフェスト等…
政府、政治家の惨状が明白にする情報は
日に日に増え続け、後を絶ちません。

このことが、ガセネタや情報操作でないことは
自分の身の回りの生活の変化を見れば明らかですし、
多くの人が実感していることでしょう。

 
・・・で、
こう言う人が増えるわけです。

政治に力はあるのか?
政治では世の中は変わらない。
 …と。

そして、
さらに、こう付け加えるのです。

政治より経済の方が力がある。
経済が日本を支えるのだ。
 …と。

 
なるほど、そう言いたくなるのは解ります。

政治家や行政機関を当てにするよりも
自らの手で自らの権利を勝ち取りにいくのだ。
そういう意気込みで世の中を少しでも良くしたい…
考えるのも不思議ではありません。

 
でも、
もう一歩下がって視野を拡げて観ると・・・

政治家の資金源になっているのは民間企業。
行政の天下り先になっているのは民間企業。
贈収賄の片棒をかついでいるのは民間企業。
使途不明金の支払先は全て民間企業。
選挙の大票田になっている民間企業労組。
原発の誘致に賛成したのは地元の市民と企業。
課税を免れた資金で圧力団体になっている宗教組織。
投票率を下げて既得権益をサポートしている市民。
利権維持のために行政に汚職を薦める民間企業。

こういう事例は、枚挙に暇がありません。

「政治」と「経済」は、強く癒着しています。
少なくとも、その一部では。

そして、
その結果に不都合が生じないように...
その活動を独占的に継続できるように...
少なからぬ「政治」と「経済」が結託することによって
真面目な市民、無知な市民、弱者たちに
多大な負担となって しわ寄せが生じています。

 
ボクは、こう思います。

「政治」と「経済」は両輪 なのだ。

「政治」がダメだから「経済」に期待しよう…
それは、ちょっと違う...っていうか、
かなり言葉足らずな説明ではないかと思います。

今の「政治」がダメになったのは、
それに加担した「経済」にも責任があります。

「政治」だけのせいにしてはいけないと思うのです。

 
かつて高度成長期には、
日本の政治は比較的安定していました。

明治政府発足以来、最も安定していたかも知れません。

それは、経済が順調に成長していたからです。

一部の特権企業だけではなく、全体が伸びていたから
国民の間に不満が蓄積することはなかったと言えます。

だから、だからこそ、
今、「経済」が頑張って成長すること、
そのことが「政治」の安定にも、被災地の復興にも、
そして何よりも国民1人1人の生活の糧となります。

そうです。そのことは正しいと思います。

けれども、高度成長期だって、
「政治」と「経済」は強く癒着していました。
良い意味でも、悪い意味でも。

「政治」は、積極的に経済政策を打ち出しました。
「経済」は、その財源を安定的に支えてきました。

それが、今は、
「政治」は、一部既得者だけの利権を保護しています。
「経済」は、自分だけの生き残りのために活動しています。

 
「政治」に力があった時、「経済」にも力があった。
「政治」に力がない今は、「経済」にも力が不足している。

つまり、今は、
「経済」が頑張ることによって
「政治」を支えることが必要なのであって、
「経済」だけで何とかしようというのではなく、
「政治」と共にという姿勢が必要なのではないか。

「政治」と「経済」が、互いの役割を全うし、
互いの存在を認め合い、互いに協力し合うことでしか、
この両輪を上手く回していくことはできないのではないか…
そんな風に思います。

 
そして、こうも思うのです。

自分たちは「経済」側の立場にいると思い込んでいるけれど、
果たして、それは事実なんだろうか。

少しでも経済活動をしているなら、それは事実なんだけれど、
それだけでは「政治」側でない理由にはならない。

つまり、自分たちは「政治」側であるかも知れない。

実際、成人には参政権が誰にも平等に与えられていて
日本国民には、選挙権と被選挙権がもれなく付いてくる。

その権利は自由に行使することができるわけで、
そういう意味では、自分たちも「政治」側にも立っている。

その権利を充分に活用することなく政治屋や官僚に任せ切り
文句や責任追及だけする市民たちは、
彼らが非難している政治屋たちと何ら違いはない。

そんな風に感じています。

「政治」には力がない。あてにならない。
そんな風に「政治」に ますます無関心になるのではなく、
もっと「政治」を支える一員として自覚を持って、
その上で「経済」の発展にも貢献していきたいものです。

 
「政治」にだけ責任転嫁することのないように…
「経済」の力を過信して「政治」を軽視することなく…
「経済」の大儀が、経世済民にあることを忘れずに…

「政治」と「経済」は二人三脚で歩んでいくもの。

「政治」は「経済」を補完し「経済」は「政治」を補完して
まさに両輪の如く、互いの役割を果たしきることによって
バランス良く前進して行けるのだと思うのです。

「経済」には、まだ力が残っているのなら、
「政治」にも、まだ秘めたる力があるはずです。

今一度、自身にも「政治」責任があることを自覚して、
「経済」を支えることで「政治」を支えていきましょう。

「政治」と「経済」は両輪 なのだ。

 
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

今日は やたら長いなぁ

では、お気楽に...(^^)/~~~

 

●1年前の今日:お気楽ライフは視点から…

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明日は統一地方選挙(前半)の投票日です

どうして普通選挙と言うものが導入されるまでに多くの血が流されてきたのか
どうして黒人が命を賭してまで選挙権を得ようとしたのか
どうして在日が法を歪めてまで選挙権を得ようとしているのか
どうして学会員が義務のごとく選挙権を行使し、そして周囲にまで投票の勧誘をしてくるのか

選挙権って言うのは人数で薄められてるから気付きにくいだけで
それ自体がとてつもない力を持ってるんだよ
ある人間が選挙権を持っていて、選挙に行って、投票する
それが確実に行われると分かっているだけで、
投票される側はその人間に配慮した政策を取らざるを得ない
逆に言えば絶対に投票しない人間に配慮する必要なんぞ欠片もないわけだ

たとえ今この瞬間に自分が支持すべきベストな相手が見当たらなくても
その中から1番マシな奴を選び続けて、自分が持っている権利の力と票を入れられる要素をアピールして
次はもう少しマシなメンツの中から選べるような未来への一歩を積み重ねていかなきゃいけない
「信念を持って投票しない」なんて言ってる奴は、その権利を投げ捨てて他の奴に無償でくれてやってるようなもんだろ

民主党が圧勝した前回の総選挙でも、実際には候補者個人の投票差はそこまで大きくない
信念を持ったつもりになってるだけの奴等が投票に行っていたら結果は多少違ったかもしれない
そしてその違いは雪崩れるように起こっている出来事を少なからず変えていたかもしれない
投票しないで「政治が俺達の方を向いてない」なんて冗談でも言うな

via: ニュー投

 
以前、「権利と義務」でも触れたのだけど、
今ここで、改めて確認しておきたい。

民主主義は、権利と義務がセットであり、
権利は義務が伴って初めて保証されるのだ。

やはり、
さまざまな市民の権利を求めるなら、
政治に不満をぶつけるのであれば、
投票による参政は欠かせない責任だと思う。

その意味において、
「投票する人がいない」と思ったのなら
自ら出馬するか、支持者を立てて支援をすること...

そこまでできないとしても、
たとえ消去法であってもベターを選択し投票し、
自分が選んだ一人だという意志と責任を持つということが
権利を主張する上で必要な市民の義務だと思う。

「選挙権」と「被選挙権」は、
「権利」であり「責任」でもあるのだ。

「入れる人がいない」という理由で
投票を棄権したり白票を投じるという行為は、
自分が一方的に権利を放棄しているつもりなのだろうが、
実は、「投票により参政する責任」と
「入れたい人を立てる責任」を負ってはいない。

気に喰わない政権ができていることも、
入れる人がいないことも、
民主主義においては、選挙権者が責任を負うべきだ。

投票しない人、白票を投じる人は、
そのことで責任を逃れているつもりかも知れないが、
ならば、全ての公共サービスを放棄すべきだと思う。
つまり、この国を去れと...

 
とは言うものの...
今回も立候補者の中に好適者と思しき人は見当たらない。
確かに、誰に投票するかで悩んでしまう。

いっそ、棄権しようかと思うキモチも解らなくはない。

しかし、
その状況をつくったのは、
自ら出馬するか、支持者を立てて支援をすることを
見て見ぬふりをして怠っていた自分たち自身なのだ。

不本意な投票になろうとも、必ず一票を投じ、
不本意な当選者を出したとしても、その責任の一端を負う。

自戒の念を込めて、ここで再確認し、
明日の投票に臨みたいと思う。

選挙権と被選挙権は、権利であり責任でもある

 

●1年前の今日:便利で贅沢な豊かさもイイけれど

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読者の権利10カ条

「わが子を読書好きにしたい」という親の願いの裏側には、「見返りを求める読書」が隠れている。この、見返りを求める読書こそが、本を読む喜びを失わせているという。読書の幸福を伝えるために、読者は次の10カ条の権利があるという。

  1. 読まない権利
  2. 飛ばし読みする権利
  3. 最期まで読まない権利
  4. 読み返す権利
  5. 手当たりしだいに何でも読む権利
  6. ボヴァリズムの権利(小説と現実を混同する権利)
  7. どこで読んでもいい権利
  8. あちこち拾い読みする権利
  9. 声を出して読む権利
  10. 黙っている権利

「読む」ためには「読まない」選択肢が必要なんだ。「本を読む本」の真逆を追求する、「見返りを求めない読書」のおかげで、ほんとうの喜びを味わえる。この10カ条で「本を読む本」を照らすと、もっと立体的な読書をすることができるだろう。つまり、目的に適ったスタイルを保ちつつ、楽しんで読めるのだ。

via: 上から目線の「本を読む本」を10倍楽しく読む方法:
わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

 
「読む」を「学ぶ」に変えてみても
そのまま通じる10カ条になる。

効果・効率で測る成果の見返り以外に
とっても大事で心を揺さぶるものが確かにある。

 
そこまで気がついて、 ふと思った。。。

 
「読む」を「働く」に変えてみても
そのまま通じる10カ条になる。

「働かない」選択肢や、
「見返りを求めない労働」は、
目的に適ったスタイルを保ちつつ、
楽しんで働ける可能性を秘めている。

このことには、
「職業」と「シゴト」の違いを
明確にさせる1つの解答が含まれている。

 
…などと、
思ったり... 思わなかったり... (^^ゞ

 
本を読む本 (講談社学術文庫)
本を読む本 (講談社学術文庫)

 
ペナック先生の愉快な読書法―読者の権利10ヶ条
ペナック先生の愉快な読書法
読者の権利10ヶ条

 

●1年前の今日:秋の大収穫

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権利と義務

なぜかこの選挙中、メールで、候補者に×をつける投票も認めようとか、入れる人がいないから白票を入れるので白票の数も数えて云々という意見が多く寄せられた。

民主主義はそんなに甘いものではない。立候補している候補者はろくでもない、気に入らない、だから×、あるいは白票を入れよう、自分は安全なところで何もしない。そんな都合のいいことが通るわけはない。

民主主義には権利と義務がつきまとう。権利は選挙権であり、被選挙権だ。そして、義務も全く同様に選挙権であり、被選挙権だ。

手を挙げようとしている人間がろくでもないというならば、彼らに×をつけて非難するのではなく、自分が手を挙げる。それが民主主義だ。自分が手を挙げる覚悟も勇気もなくて、手を挙げた人間の悪口を言って事が済むほど世の中は甘くない。

手を挙げた人間がろくでもないならば、自分が手を挙げる。自分が手を挙げる覚悟と勇気がないならば、それを持って手を挙げた人間の中からベストを選ぶ。それが民主主義だ。

選挙権を持った国民、被選挙権を持った国民それぞれがフィールドに立っているプレイヤーだ。自分はPKを蹴らないけれど、外した奴の批判はする、では通らない。あいつはPK外しそうだというならば、自分が蹴ろうとするべきだ。

河野太郎公式サイト | 民主主義の権利と義務

 
この人の支持者ではないけれど
この記事には全面的に共感できる。

昨日も触れたけれど、
投票による参政というものは
権利であると同時に市民の責任。

権利を主張したり、政治家の責任を追及する前に、
まずは、市民としての責任を果たすのが道だと思う。

 
投票率は、一時に比べる回復傾向にあるが、
それでも尚、高いレベルにあるとは言えない。

さらに、今回の選挙では、河野氏が指摘するように、
「入れる人がいない」という理由で投票を棄権したり
白票を投じる人が、実に多いかがよく見えた。

 
既成政党が既得権益を擁護し続ける限り、
投票率の老高若低傾向は高まる一方だろう。

改革を掲げる新党や諸派も、
既成政党の批判ばかりで
明確で具体的な政策を掲げず、
根本的な問題に触れようとしない姿勢で臨む限り、
白票を投じたくなる人は後を絶たないだろう。

 
しかし、
民主主義は、権利と義務がセットであり、
権利は義務が伴って初めて保証される。

やはり、
さまざまな市民の権利を求めるなら、
政治に不満をぶつけるのであれば、
投票による参政は欠かせない責任だと思う。

その意味において、
「投票する人がいない」と思ったのなら
自ら出馬するか、支持者を立てて支援をすること...

そこまでできないとしても、
たとえ消去法であってもベターを選択し投票し、
自分が選んだ一人だという意志と責任を持つということが
権利を主張する上で必要な市民の義務だと思う。

手を汚さずに、ぬくぬくと批判だけしていては
満足を何も得られなくても仕方がないのではないか。

 
実は、今回の選挙では、
旧知の同志が選挙区から出馬した。

果たして、惨敗であった。

それは、ある程度、予想できた。

かくすれば
かくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂
    であった。

しかし、
予想以上の得票があった。

既得権者や組織票ではなく、
無党派層の気まぐれ票だけでなく、
彼の志と、生き様に
何かを感じ取った人たちが
熱い一票を投じたものだと感じた。

彼に投票した有権者もまた、
身はたとひ
武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置かまし大和魂
    なのだ。

 
泥舟と化した日本丸は確かに危うい。

だが、
一筋の光明は未だ消えてはいない。

ひとつでいい  ひとつがいい
自分の役割と責任を果たしていきたい。

 

●1年前の今日:そんな人がいるのかー。

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】   天命 責任 権利  

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