元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

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小野小町のインスタ見てみたい!

中学校の先生が「最近の若い人は感動した時に写メを取りますね。どんどん取りなさい、その時の気持を覚えておきましょう。それは、昔の人が俳句や和歌を読んだのと同じ理由なんですよ。あなた達の感性と同じなんですよ」とおっしゃっていたこと、思い出しました。

via: Twitter / supan_caall

イイなぁ コレ。

なるほど! 納得です。

写メする人が全て俳人や歌人たちと同じ感性だとは思いませんが、多くの人に当てはまることは間違いないのではないでしょう。

そう考えると、あまり馴染みのない古典や詩歌も解りやすくなりますし、自分の感覚として体験できるから直感的に理解できます。

こういう視点を持てると勉強も楽しくなりますね。

写真を撮るという行為は情報を切り取ってインプットするだけのようにみえますが、表現という面からみるとアウトプットの要素も多分に持ち合わせています。

何に感動して何をどう撮ったか?
そこには多かれ少なかれ個性や生活環境が現れ出ます。
明確なアウトプットがなくとも現れ出たものはその人の表現そのもの。

撮った写真をSNSなどに投稿すれば文字通り表現であり、昔の俳句や和歌と同様の感性が働いていると考えることは自然なことだと思います。

逆に言うと、昔の俳人や歌人が現代に生きているとしたら、きっと写メ撮りまくって、Twitterやインスタにガンガン投稿しているでしょうね。

もしかして彼らも「イマドキの若いヤツ等は何かにつけてスグ詠むからな…」とか、当時の年寄りたちに言われていたんでしょうか?

っていうか、小野小町のインスタ凄いだろうな。
100万フォロー間違いないよな。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
まさに酷暑

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  感動 表現 感性 映像 コトバ 

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主役だけでなく周囲を写すことも大切

シャパネットたかた 高田明さん

ジャパネットたかたの高田社長がビデオカメラを売る際に 子どもだけじゃなくて、親の顔を撮ったほうがいい、その子どもが大きくなったときに、自分が幼い頃なんて ぶっちゃけどうでもいいけれど、自分の誕生を両親が どれだけ喜んでくれていたかを実感できるのは素敵だというような話をされていたんだけど、ほんとにそうですね。

同じことは結婚式とかの祝いごと全般にいえるんですけど、大事なのは当人よりも周囲の人たちだったりしますね。
たぶんプロのカメラマンはそこをよくわかってるんでしょうね。
周囲は背景じゃなくて、むしろメイン。

via: 周囲を写すこと - いつかの昨日

半年ぐらい前でしょうか…
この記事を初めて目にした時、ハッ!としたのを覚えています。

茫然自失とまではいかずとも、その衝撃は相当大きなものでした。

いや、ホントに そうですよね!

今、自分が撮っている写真やビデオを、将来 子どもたちが観るとき最も興味のある被写体は、子どもたち自身よりも、そこにいた周りの人。きっと、そうなのだと思います。

にも関わらず自分は、子どもたちばかり撮っていました。

もっと周囲を写しておけばよかった…
もっと自分たち親も撮っておけばよかった…

大いに反省しました。

かなり後悔もしました。

これからは必ず、もっと周囲を意識的に撮ろう!
強くそう思いました。

ところが、その半年後…
今も あまり周囲を撮る量は増えていません。

正直なところ、ハッ! としたのは一瞬のことで、その後は うっかり忘れていたのですが^^; まぁ それは、衝撃から身を守るための自己防衛本能からなのかもしれません。

そして今日、ふとしたことから再びこの記事を目にすることになったのですが、あの頃のような強い後悔に苛まされることはありませんでした。

やはり、記事の視点の鋭さには、ハッ! とさせられるものがありましたが、半年前とは少し違う捉え方ができたのです。

たしかに、自分が撮る写真やビデオは、愛娘たちを中心に自分の興味のある被写体に偏っています。自撮りはほとんどありません。

それは、まさに、自分視点そのものです。

後にその映像を見る人たちが何に興味を持っているかなど、考えの及ぶところではありませんでした。

そのことを思い知らされて、かつては反省し後悔したわけです。

けれども今では、こう考えています。

自分のエゴの塊のような自分視点で撮った映像は、たとえ自分が写っていなくても自分そのものが現れているのではないか?

自分が強く興味を持っていることは何か?
自分が喜んだり悲しんだりしていることは何か?
それが一体どの程度のものなのか?
そういうことが写しだされているのではないか?

つまり、その映像こそが自分なのではないか?

ならば、将来その映像を見た被写体の人たちは、興味があるであろう周囲の人の一人である自分を、その視点に立って味わうことができるのではないか?

そう思うと、すーっと力が抜けて、お気楽な気分になれたのです。

そうやんな… そうやんな…

嬉しがって愛娘ばかり撮ってるねんな。

そんなことは自分の顔が写っていなくても、ちゃんとバレてるよな(^^ゞ

だから、エエねん!
気にせんでもエエねんて!

でもね…
今では少しだけ周囲も撮るようになりました。

ほんの ちょっとだけですけどね^^;

撮っている自分だけじゃなくて、そこにいる他の周囲の人たちも同じキモチでいたんだよ… っていうことを、残しておきたいなと思ったからです。

それにしても高田(元)社長…
エエこと言うよなぁ。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
「歩いている」実感があるかどうか

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  撮影 映像 視点 自分らしさ お気楽 

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