元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

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生命ある限り…

18年目の1.17

記憶を焼きなおすために…
思い出にさせないために…
心の叫びをを届けるために…
そして 一つになるために…

18年目の今日も断食しています。

リアルタイムに生で見た地獄絵図が
今でも ありありと思い起こされます。

完全復興したかに見える街には
18年も経った今でも被災の爪あとが
少なからず残されています。

復興住宅の入居期限…
被災者の高齢化…
災害援護資金の返済残高…
そして、関係者の心に深く刻まれた傷…

また、神戸市では
震災後に誕生、転入した市民が
人口の約41%となり(2012年11月現在)
震災の風化も懸念されています。

各地で追悼行事が行われ
新聞やテレビのニュースには取上げられますが
年々その数や時間は少なくなってきています。

後の東日本大震災の衝撃が
あまりにも大きかったことも一因かもしれません。

けっして忘れない。

いや、忘れることはできない。

もちろん
それは一点の曇りもない正直な気持ちです。

しかし、紛れもなく風化は進んでいます。

数年前から それは感じていたことですが
今年、新たに気づいたことがあります。

それは、被災者や関係者など
個人が感じている震災への思いと
街や社会が捉えている震災の記憶は
別に考えなければならないということ。

あの日の惨事を目の当たりにした者としては
けっして忘れることのできない出来事ですが、
その思いを街や社会に求める必要はない…
そう感じるようになりました。

街のほとんどは震災以前の状態に戻っています。
いえ、その頃以上に良い状態に進化しています。

新しい生命が産まれ、育ち、働いて
街を活性化させ続けています。

彼らの多くは震災を知らないかもしれませんが
彼らの力で街は復興し進化し続けているのです。

そのことは震災の記憶が風化していると
言えなくもないわけですが
同時に再興の原動力であることも確かです。

忘却が進歩や生きるチカラになっていることは
多くの例が示してくれています。

だから、いずれ忘れされれていくはずです。

自分たちは
自分たちの生きている限りは
忘れてはならないものとして生きていきます。

けれども
街が進化している姿を見て
寂しがったり心配したりすることは
もう しないでおこうと思います。

いえ、もう そんな決意も要りません。

この生命のある限り、犠牲者の分まで
一所懸命、自分らしく生きていきます。


しあわせ運べるように(ふるさとバージョン)【ピアノ伴奏版】

via: 「しあわせ運べるように」公式サイト

 

●1年前の今日:東日本大震災が起こってから初めての1.17

コメント:2 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  阪神・淡路大震災 震災 生命 断食  天命 

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東日本大震災が起こってから初めての1.17

2012年1.17のつどい

17年目の今日も断食しています。

記憶を焼きなおすために…
思い出にさせないために…
心の叫びをを届けるために…
そして 一つになるために…

1995年1月17日の朝5時46分、
ドーンという地の底から巨大な何かが突き上げてくる衝撃と共に
阪神・淡路一帯は、地獄と化してしまいました。

あの傷ましい惨事が
昨日のことのように思い出されます。

けっして忘れない。
いや、忘れることはできない。

そう確信していたにも関わらず、この2~3年、
徐々に記憶が薄れていっている感覚が強くなっています。

そして、
そんな自分を薄情な奴だと責めている
もう一人の自分がいます。

そして今回は
東日本大震災が起こってから初めての1.17。

やっぱり、例年とは、少し感じかたが違います。

とは言え、既に巷では、
あの震災は去年の震災に上書きされています

そして、自分自身の中でも、確実に…

けれども…

強烈なインパクトが薄れていくのとは裏腹に、
何か本質的なものがジワジワと
染み込んできているような気もします。

震災直後の感情的なものとは違い、
人の存在というところに焦点が変化しています。

それは
「喉元過ぎれば・・・」という麻痺感覚でもあり
震災体験者としてのその後の生き方の変化でもあります。

被災直後とは違う視点で震災を振り返っている...
そういうことなのかも知れません。

だからこそ、今年の1.17は、
いつもと違う意味を感じたのかもしれません。

去年3月の震災に対して
「何もできなかった」
「対岸の火事として見ている自分がいた」
そう感じている1.17体験者は少なくありません。

まさか、あの痛みを思い知っている自分たちが
この一大事に被災地に対して大した役にもたてず
他人事のように呆然とニュースを眺めているなんて…

1.17によって生き方が変わった多くの人たちは、
自らが体験した惨事をフラッシュバックさせただけでなく
別の意味での衝撃を覚えたに違いありません。

人智の及ばぬ自然の猛威に翻弄され、
社会や人間関係の裏表を目の当たりにし
そんな中でも希望と責任を心に深く刻み込んで
淡々と平常を維持すべく生きてきた人たちだからこそ…
こういう思いを持つのではないかと思います。

「何かしなければ…」とは思いつつ
「大したことはできない…」と痛感し、
「被災した人の気持ちが解るはず…」と感じつつ
「対岸の火事として見てしまった」と自責の念に駆られます。

こういう感覚を持ってしまうのは
確かに被災当初の感覚を失っているからに他なりません。

しかし、それと同時に、
震災と、その後の復興を経験し
十数年間をかけて生き方の視座を移してきたことが、
本当の意味での被災者に対する共感と
非被災者としての責任を自覚させたからなのかも知れません。

何も根拠はありません。

ただ なんとなく…
当時のことや、去年のことを思い出しながら
空腹の中で感じたことです。

ボクは、毎年1月17日に断食をして
いったい 何を忘れまいとしているのだろう?


映画『その街のこども 劇場版』予告偏

映画「その街のこども 劇場版」公式ホームページ

 

●1年前の今日:16年で 消えてきたもの 積み重ねてきたもの

コメント:2 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  阪神・淡路大震災 震災 生命 断食  天命  

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16年で 消えてきたもの 積み重ねてきたもの


阪神淡路大震災から16年

 
記憶を焼きなおすために…
思い出にさせないために…
心の叫びをを届けるために…
そして 一つになるために…

16年目の今日も断食しています。

こうしていても
徐々に記憶が薄れていっていることに気づく。

いや、もちろん、
何もかも忘れていまったわけじゃないのだけど
強烈だった印象が少しずつ...
少しずつではあるけれど...
薄らいでいっているのを感じます。

それと同時に、
そんな自分を 薄情だとか冷たいだとか
喉元すぎれば何とやら...って感じがして
少なからず責めている自分がいます。

だけど...

去年も ちょっと感じていたことなんだけれど、
強烈なインパクトが薄れていくのとは裏腹に、
何か本質的なものがジワジワと
染み込んできているような気もします。

 
ボクは、毎年1月17日に断食をして
いったい 何を忘れまいとしているのだろう?

 
こういう疑問が過ぎるくらい
ショックやインパクトは既にないのかも知れない。

でも、惰性で続けているわけではないことも
実感として、間違いないのだと感じています。

まったく抵抗することのできない自然の猛威...
呆気なく消えていく生命の儚さ...
積み重ねてきたものが一瞬にして奪われる失意...
とても処理しきれない膨大な課題...

こういうことから目を逸らさずに
ずっと 向き合い、味わい尽くすことによって
今の自分を創ってきたような気がします。

そして、震災直後の感情的なものとは違い、
今では、人の存在、自身の存在というところに
焦点が変化していることも確か。。。

だからこそ、
当初とは違う視点で震災を振り返っている...
そういうことなのかも知れません。

いずれにしても、ボクにとって、
そして同じ体験をした多くの人たちにとって
1.17は、その後の生き方を変える日になった。

急激に変化したことが一段落した近年、
徐々に変化してきたことが現れ出てきている...
そういう時期になっているんだと思います。

・・・などと、
思ったり... 思わなかったり...(^^ゞ

 

●1年前の今日:これからも忘れない

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  阪神・淡路大震災 震災 生命 断食  天命 

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これからも忘れない

記憶を焼きなおすために…
思い出にさせないために…
心の叫びをを届けるために…
そして 一つになるために…

15年目の今日も断食します。

防災を考えるのも悪くないけれど...
この日は「生命」に焦点を当てたい!

それが、せめてもの 願い...

忘れない
 

大規模災害というのは、皆が一様に被害を受けているように見えて、じつは、如実に格差が出るものでも、ありますね。
持たざる人たち、ギリギリの生活を余儀なくされてきた人たちが、ひとたび災害に遭うと、悲惨です。欠けてしまったものを、自力で埋め合わせる余力は、もう、どこにも残っていません。
復興に尽力した市民派の小田実は、彼らは政府によって捨てられた棄民だ!と、看破しました。
黒田門下の大谷昭宏は、最初の5分は天災だったかもしれないが、それ以降は人災だ!と、咆哮しました。

via: 大阪市の北区をグルグル巡るブログ
あれから15年。震災の日、誕生日に思う。

 
あの傷ましい惨事が
昨日のことのように思い出される。

あの時、被災地にいた人なら、
この引用の意味がよく解るのではないかと思う。

このことは、当時から言われていたことだけど
未だに 何も変わっていない...
つまり、また繰り返すだろうということ。

いや、既に 繰り返されている。

そして、何もなかったかのように
記憶の彼方へと 追いやられようとしている。

 
今日一日、
テレビを観ていても
ネットをうろついていても
Twitterでも Tumblrでも
震災の話題は あまり多くない。

ごく当たり前のこととは分かっていても
年々 薄れていく 震災の記憶。。。
ちょっと寂し気がするな。

事件の記録が廃れてていくことは
たいしたことではないとは思うけれど、
そこで失ったものの記憶...
そこで得たものの記憶...
それらの記憶は、
単なる個人の記憶ではなく
人類の智慧になればいいな、と 切に思う。

そのために、
自分には 何ができるだろうか?
 

当時、相方が、よく言ってました。
キリスト教には慈悲の精神があるけれども、なにも慈悲の精神でボランティアをやってるんじゃない。看護婦をやってきたんじゃない。そうではなくて、自分が必要とされる場所に身を置いて、それこそ、自分の働き如何で、誰かの生殺与奪を左右しかねないような、自分が強烈に必要とされる場所に身を置いていると、生きている実感を、これ以上ないくらいに感じることができる、と。
必要とされる場所に自分の身を置くことで、歓びを実感することができる。だから、私は、誰かのお世話をしているようでいて、じつは、その人たちによって生かされているんだ、と。
これは、キリスト教が掲げる慈悲の精神とも、仏教で観音菩薩が有している慈悲の心とも、景色が少し違うように思います。

僕も、長田のオバァやオジィたちのところに遊びにいくようになって、昨日のことのようではあるけれども、そのじつ、ずいぶんと長い時間が経って、ぼんやりとそのことがわかってきました。
自分が必要とされる場所にいるとき、引けば手繰り寄せられるようにそれを感じることのできる場所にいるとき、生かされているんだな、という感覚を、質量を伴った手応えとして持つことができます。

via: 大阪市の北区をグルグル巡るブログ
あれから15年。震災の日、誕生日に思う。

 
あの震災で、生き方が変わったという人は多い。

強烈なインパクトがあったせいもあるけれど
本質的なことを目の当たりにすることになったという
今までに避けて通っていたところに
足を踏み入れていまったからだと思う。

でも、
直後に変わったと感じたことの大半は、
インパクトによる影響があった部分であって、
実は、本質的な部分っていうのは
その後、何年も時間を経て
じわじわと自分に浸み込んできているように思う。

自分も震災直後は
エモーショナルな行動が主だったけれど、
今では、人の存在、自身の存在というところに
実は 興味の的は移っていて、
それと共に、あの震災の見方も変わってきている。

このようなエピソードや思いを綴ることは
ただ単に、震災の記録や記憶をつなぐだけでなく
本当の意味での人類の智慧の素となるかも知れない...
これを読んでいて 気づかせてもらった。

 
そして、なんと!
もうひとつ、大きな気づきが...

でも、今日は
ちょっと長くなってしまったし
空腹で落着かないから
この続きは また明日。。。

 
明日なんて来るかどうか分からないけど…
こうして明日を創っていこうと思う。

お気楽に..(^^)/~~~

 

●1年前の今日:しまった…!!!

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しまった…!!!

今日は1人でスーパー銭湯。

家族と行くのも悪くはないのだけれど、
たまには 1人ゆっくり過ごすのもイイ。

完全に!どっぷり!リセット気分に浸りました。

けど…
温泉には ゆっくり入ったけれど
その後は、買い物を済ませて、サッと帰宅。

自分だけ のんびりするのは
やっぱり ちょっと 気が引けます。。。

 
ところが・・・

完全!どっぷり!リセットしたせいか...
今日が大事な一日だったことを
完全!すっかり!忘れていました(>_<)

 
14年目の今日は、
毎年続けている断食ができませんでした。

決して忘れない!
いや!忘れられない日なのに…

自分1年の中でも
イチバン大事な1日だったはずなのに…

 
かなり ショック。。。(>_<)

 
お気楽にも 程がある! と
自分を責める自分がいる。。。

 
でも、なぜか…
そのキモチは、長く続きませんでした。

 
うかつにも忘れてしまったことは確かだけど、
こうして、ちゃ~んと思い出してる。。。

記憶がとんでしまったわけじゃない。

長く続けていれば
こんな日も一回くらいはある。

 
というより…

明日を見て
未来のためにリセットして
のんびりスローテンポではあるけれど
ゆっくり しっかり じっくりと…
歩み始めていることの実感が
こんな自分を許してくれているみたい。。。

やっぱり お気楽すぎるかな~

 
ええねん ええねん

去年までの自分も 確かに自分。
今年の自分も 紛れもない自分。

あれも これも 自分そのもの。

こんな自分と 一生つきあっていきます。

 

●1年前の今日:忘れない

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  お気楽  阪神・淡路大震災 震災 断食 

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忘れない

13年目の今日も断食します。

記憶を焼きなおすために…
思い出にさせないために…
心の叫びをを届けるために…
そして 一つになるために…

防災を考えるのも悪くないけれど...

この日は「生命」に焦点を当てたい!

それが、せめてもの 願い...

 

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