元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

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想像力

子供はおもちゃが好きだけれど、彼らがそれを手にするとき、イメージしているものは本物なのだ。おもちゃというのは、この想像力を持っている者でないと楽しめない。大人になって、おもちゃがつまらなくなるのは、想像力が衰えるからである。

via: MORI LOG ACADEMY:子供の夢をいつまでも(森博嗣)

なんとなく過去ログを眺めていたら
3年くらい前に読んだこの一節を
久しぶりに見つけました。

今、改めて ハッとされられます!

そう!

よく「子どもだまし」なんて言いますが
彼らはだまされてなんかいないんですよね。

日常的な他愛ないモノ…
簡略化した抽象的なモノ…

子どもたちは そういうモノを前にしても
夢の世界にしか出てこないようなヒーローが
さまざまな苦難を乗り越えて
家族や仲間を救う… みたいな
壮大かつ複雑なストーリーを
いともカンタンに思い描くことができます。

丸い紙に穴が開いているだけで
それは 一瞬のうちにドーナツになります。

それが赤い紙だったら
いちごジャムのついたドーナツだし
緑色の紙だったら
メロンドーナツに早変わりします。

石ころを見ても
木の枝を見ても
空の雲を見ても
いろんな動物や
いろんな食べ物に見えますし
それらがいくつか集まれば
また違う何かに変身します。

大人たちは その様子を見て
本物を知らないから
こういう代替品でも我慢できる…
くらいにしか考えていないかもしれませんが
実は、そんな次元の話ではないような気がします。

日頃は、折り紙で作ったゾウさんで遊んでいる子どもが
動物園に行って本物のゾウさんを見たとき
彼らは、そのリアルな感覚に驚きを感じながらも
しばらくすると、いつものゾウさんと同じレベルで
新しいストーリーを思い描いていたりするのです。

大人になって、おもちゃがつまらなくなるのは
やはり、想像力が衰えてくるからだと思います。

本物や精度の高いモノにこだわることなく
身の回りにある あらゆるモノやコトの中に
無限の世界が広がっているかのような
とてつもない想像力を いかんなく発揮して
子どもたちは おもちゃで遊んでいるのでしょう。

悪意のある偽物に騙される心配もありますが
それは大人たちが守ってあけげればイイことですから
この子どもたちの素晴らしい想像力を
充分に活かしてあげることができればイイですね。

せめて、邪魔することだけは
しないでいてあげたいものです。

それが、想像よりも現実を直視している
大人たちの役割なのだと思います。

じゃぁ
大人たちには
もう想像力は残されていないのでしょうか?

かつて夜空の星を見て
星座の物語を生み出した太古の人々は
きっと大人であったに違いありません。

当時と今では
生活環境が大きく違いますから
大人になっても想像力を働かせる機会は
比べ物にならないくらいあったとは思います。

けれども 大人にだって
ちゃんと想像力を働かせる機能はある…
ということだけは確かですね。

精巧でリアルなモノ…
生々しい生活感あふれるコト…
思いどおりにならない現実…

たとえ、そういう物事に囲まれていても
星を眺めて 白鳥やペガサスを見つけたり
雲を眺めて クジラや綿アメを見つけたり
建物の外観を見て 顔を見つけたりすることくらいは
できるような気がします。

大人にだって 想像力は
ちゃんと残っているんじゃないかなぁ。

きっと!
忘れているだけだと思うのです。

いや…
特に根拠はないのですが、
ウチの娘たちと遊んでいると
うっかり自分の方が楽しんでいることが
あったりするから…   なのですけどww(^^ゞ

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

ワンワンこいぬ

ワンワンこいぬ…  カワイイでしょ♪

 

●1年前の今日:心にしみる

コメント:2 | TB:0 【しあわせメモ♪】  こども 想像力 イメージ 自然体 お気楽 

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音を聞かせないラジオ

こんな逸話がある。

戦後間もない昭和20年代の、
プロ野球がまだ職業野球と称されていた頃のこと。

テレビ放送はないからラジオ実況中継だ。

敬遠をアナウンスするのに、
NHKアナウンサー志村正順氏はこうした。

differentな企画の好例だ。

 

 

「キャッチャー、立ち上がりました」

 

しばし、沈黙。

 

キャッチャーミットに収まる球音を四つ、
リスナーに聞かせた。

 

「お聞きのように、敬遠のフォアボールです」

 

リスナーは

バッテリーとバッターの間に渦巻く心理、
試合の流れ、ここで敬遠にする意味、
他の選手の思惑、
そして球場を包む空気を、

それこそ全身を耳に集中させ、
想像力フルパワーで聴いたに違いない。

 

自然に耳に入る「聞く」が

身を乗り出して「聴く」姿勢に変わったはずだ。

 

音だけでリスナーは

球場の臨場感と試合の迫力、

緊迫感を感じ取ることができた。

 

*朝日新聞 2005年5月22日付「声」欄掲載  小川宏氏投稿記事を参考にした

 

 

音を聞かせるラジオという媒体において、
敢えて音=アナウンスを加えない。

リスナーは全身で聴く。

通常であれば受動のリスナーが、
主体的に関わる体勢へとみちびいた。

新しいラジオ体験。

 

ラジオはもちろん!
音を聞かせるメディア。

しかし、

「音を聞かせない」という、

「裏返し」で考えてみたとき、

新しい可能性の地平がそこに開ける。

 

コメント:0 | TB:0 【見逃せない!この1冊】   想像力 リスナー 

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