元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

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改めて、ニュー・シネマ・パラダイス


Nuovo Cinema Paradiso

 
去年に引き続き開催中の「午前十時の映画祭」。

DVDやBDの普及で劇場へ足を運ぶ人も減少し、
今後、劇場ではデジタル上映へ移行が進むため、
年間50本もの名作をフィルムで鑑賞できる機会は
もう二度とないかもしれない。

今年セレクトされた50作品のほかに、
昨年の50作品も再上映されている。

その、昨年のシリーズの中で見逃してしまった
「Nuovo Cinema Paradiso」を、今日、観ることができた。

言わずと知れた この名作、
初めて観たのは、まだ多感な年頃だった学生の頃。

以後、一度 TVで観たが、
未公開部分が収録されているDVDは観たことがない。

今日のフィルムは、ロードショー当時のものだから、
これで 3度目ということになる。

まだ3回だけか...

実に、意外な気がした。

もう10回くらいは観ている気がしていた。

それだけ、印象強く心に刻まれた映画であり、
大きな影響を受けた体験だったのだと思う。

この作品は懐古的ムードが前面に出されたものであることは
誰の目にも明らかなのだけれど、
単にノスタルジックな心を刺激するだけではなく、
流れとしての「時間」、瞬間としての「今」を意識させ
無常観さえも彷彿とさせる独特の表現が魅力的。

それが影響しているのだろうか?
観るたび毎に その時々で
違うポイントに揺さぶられているような気がした。

1度目は、子どもの頃の懐かしさと、
将来への期待と不安のようなもの、そして、
アルフレッドの存在への憧れが錯綜していた。

社会人になりたての頃に観た2度目は、
視野をもっと拡げたい、可能性を開花させたい、
そんなキモチを じんわりと抱いくとともに、
アルフレッドが語った王女と兵士の逸話が
いつまでも頭から離れなかった。

そして、かなり間をおいて観た今日の3度目は、
今まで、あまり印象が強くなかったトトの母と妹、
この2人が 妙に重く強く 後を引いている。

トトの幼少期から実年までの半生が描かれているのだから
自分自身が年齢を重ねていくとともに
その時々のトトの視点で観てしまうのは当然かもしれない。

本は、繰り返し読み返しても、
その都度、新しい発見や気づきがあるものだが、
映画もまた同様に、観た映画を通して、
その時々の自分自身を見い出すことができる。

過去の懐かしさに浸れるノスタルジックな作品であるようで、
実は、客観的に「今」「此処」を見つめさせてくれる映画。

自分の今の正直な気持ちに 改めて気がつくことができた。

明日からの行動に 変化の予感。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に..(^^)/~~~

 

●1年前の今日:また明日...

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情動を味わいつくす

最優先でやるべきは、作者や登場人物の情動回路を自分の脳内で動かすことだと思う。

作者や登場人物になりきって作者や登場人物の目から見える世界を思い浮かべ、

作者や登場人物が感じた息苦しさ、悔しさ、理不尽さ、憤りを自分も味わってみることだ。

それも、作者や登場人物の背の高さ、体の重さ、姿勢の歪みからくるにぶい苦痛、自分の筋肉や骨や間接や胃や腸やさまざまな内臓が蠢いたり痛んだりする生々しい感覚、汗で服が皮膚に貼り付く不快感、まさぐられ、押さえつけられる苦痛、抵抗できない悔しさ、視界から見えたり触っているさまざまなもののディテールを、リアルに生々しく、自分がいままさに体験しているかのように、作者や登場人物の中に「入り込み」そこでわき起こる様々な感情を自分の感情として味わうことだ。

ここで重要なのは、文章に出てきた全ての登場人物や作者の情動を、並列に、あるいは、切り換えながら自分の脳内で血が出るほど誠実にシミュレートすることだ。自分の好きな登場人物や作者の情動の、感情移入しやすい部分だけシミュレートするのは、ただの精神的自慰行為にすぎない。自分がむかついたり反発を感じる作者や登場人物の身体、立場、気持ちになりきって、そこから見える世界を味あわなければならない。

このような情動シミュレーションさえしっかりできれば、文章の論理構造など、さして努力しなくても自然に浮かび上がってくる。

それも、単に論理骨格を追いかけるより、はるかに精密に論理構造が見えるようになる。

意外と知られてない、自分を飛躍的に成長させる読書テクニック

 
知性ではなく情動を通じて味わうことによって
はじめて、構造が見えてくるのだと...

というか、
自分の感情として捉えなければ
味わったとは言えないのであって、
味わって はじめて理解できるものなのだと...

 
すこし乱暴なところもあるけれど(^^ゞ
まさに!その通りだと思う。 うん、納得!

筆者もまた、筆者の情動から湧き出た論理を描いているのであって
その感情に影響下にある登場人物の目線に立つことや
筆者の感情に迫ることで、理解が深まることになるんやね。
 

そもそも、文章の論理構造の把握に、情動シミュレーションが重要であることの、
根本的な理由はなんだろうか?

それは、一切の意味と価値が、究極的には論理ではなく、情動から生じているから、という理由だ。

情動を一切無視した論理というのは、文字通り無意味な論理だからだ。

意外と知られてない、自分を飛躍的に成長させる読書テクニック

 
これは読書に限ったことではなくて、
情緒、情動よりも、論理構造という情報が
たいていの場合、優先されているということ。

そのアンバランスは常識として固定観念化されている...
そのことは、以前から、ちょっと危ないと思ってる。

 
人の話を聞くとき、
何かのメッセージにに触れるときは もちろん!
モノや情報に接するときだって...

その奥に見え隠れしている情緒・情動を捉え
それこそ…"自分の脳内で血が出るほど誠実に"
味わいつくすことによって、
その真意や本当に大切なことが
見えてくるのではないかと思う。。。

しかも、意外に それが近道だったりする。

 
普段、自分の言う「聴き方」ってやつも
まさに、そういうことなんやと 改めて自覚した。

 
「感動」というものは あっても、
「知動」「理動」というものは ない。

情動を味わいつくす

 

●1年前の今日:ぴんぼけ堂

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