元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

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「がんばってね」よりも「がんばっているね」

「頑張ってね」ではなく「頑張っているね」の方が共に前進できる

via: 頑張っているね。 : 一番短いお説法

去年の今日、「祈りを込めて…」という記事をエントリーしました。

頑張っている人に対して「がんばれ」と言うことを躊躇してしまうことがありますが、「がんばって」は祈る気持ちで応援しているのだから遠慮は要らない… というような内容でした。

ところが、「願い」や「祈り」にも、場合によっては独善的なものになってしまう可能性が残されています。

その点「がんばっているね」は、相手の頑張りそのものを尊重し、労い、かつ頑張りが実を結ぶようにとの祈りが込められたコトバだと言えそうです。

真摯に向き合えば真意は通じる!

けれども、より確実に誠意を伝えるためには、「がんばって」よりも「がんばっているね」の方が良いかもしれません。

いずれにせよ、あれこれ考える前に、まず自分の気持ちに素直になること、そして相手の努力や気持ちを尊重する姿勢が大切ですね。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
祈りを込めて…

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そんなにムリしなくてイイよ…

郵便とか佐川とかヤマトとか、Amazon注文するときに「雪とか雨の日は無理して届けなくていいオプション」付けたい。

via: Twitter / SpANK888

うん…
これ、賛成!

「お急ぎ便」とか「あす楽」は
たしかに便利なサービスですし
通販の一つの大きな課題を解決しました。

とはいえ
誰もがみんな
いつも急いでいるわけじゃありません。

安ければイイ… とか
運んでくれればイイ… とか
深夜に発注できればイイ… とか
顔を合わせずに買い物がしたい… とか
スピードを求めていない場合も
少なくないと思うのです。

もちろん、その上で
さらに速ければイイに越したことはない…
と言えなくもないわけですが、
まぁ なんと言いますか
べつに急がなくてもイイよ…
ってことも
意外に多いんじゃないでしょうか。

同じ値段なら良いサービスの方がイイ…
同じ値段なら速い方がイイ…
っていうのも言えるでしょうけれど
やっぱり、なんと言いますか
べつにイイよ… とか
普通にちゃんとしてくれればイイよ… とか
ガツガツしてない人もいるでしょう。

っていうか、そんな人って
いっぱいいますよ。その辺に…(^^)v

しかもですね
不必要な過剰サービスを辞退することで
誰かの役にたつことができるのなら
むしろ喜んで辞退させていただきます…
っていう人は、きっと自分だけじゃないはず。

このところの大雪の状況を見るにつけ
ムリして速く届けなくてイイよオプションは
ぜひとも!選択したいという気持ちになります。

天災や不慮の事故は
誰のもとに訪れるか解りませんしね…

このような
ムリしなくてもイイよオプションは
配送サービスだけでなく
過剰とも言える他の付加価値サービスにも
同様に適用できると思います。

誰か本気で導入を検討する人いないかなぁ?

ただし…
運送会社には今まで通り最速でさせておいて
販売店だけがサボろうとする行為は
購入者の意志を踏みにじることになりますから
ゼッタイにダメですよ~!

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

そんなにムリしなくてイイよ

via: たらこ記

 

●1年前の今日:新陳代謝

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伝えたいこと 知りたいこと

「みんな知っているものは知りたがるんだ。知っているのに聴きたがるんだ」
「そして知らないものは聴きたがらない。知りたがらない」と私。
「5番の『運命』はじゃじゃじゃじゃーんで知っていて、6番の『田園』はたーらーたーたーららたったーで知っている。でも次に7番があるなんてことを思いもしない」
「ちゃんと9番『合唱』があることは知っているのにね」
「そうなんだ」
「8番も知られてませんね。いい曲なんですけどね」
「他人事じゃないよなあ。僕らの仕事も同じだ。知っていることしか知りたがらない人たちに、知らないことを伝えて行かなくちゃならない」

via: 松浦晋也のL/D

みんな知っているものは知りたがる
知っているのに聴きたがる

あぁ そう そう…
まさに! ホントに! そう思います!

興味のないことは眼中にないんですね。

ちょっとやそっと見せられても聞かされても
不思議と入ってこないものです。

逆に、少しでも興味のあることに対しては
ビックリするくらい敏感になっていることもあります。

ボクは変な看板がスキなので
普通に街を歩いているだけで
しょっちゅう変な看板を目にしますが
家人や友人は気付かないことが多いようです。

逆に、ボクはAKB48には興味がないからか
街中で彼女たちのポスターなどを見た記憶がありません。

たぶん、大量に掲示されているはずなのですが…^^;

これって、
自分でも知らないうちに
情報をフィルタリングしているっていうことですよね。

無意識のうちの行動だから
コントロールすることは難しいですね。

だから
いくら熱心に思いを伝えようとしても
相手に興味のないことは伝わりにくいんですね。

どんなにイイ商品でも
知られていない商品や、興味のない商品は売れませんね。

ということは
相手の興味のあるものや
相手が知っていることがらを
伝えればイイっていうことですね。

しかし、それでは
新しい商品や、新しいアイデア、
どうしても伝えたい熱い思いや
広く報せなければならない真実などは
伝えることができないということでしょうか?

そんなはずはありません。

だって、世の中には
新しい商品や、新しいアイデア、
どうしても伝えたい熱い思いや
たくさん認知され、さらに拡がっているからです。

みんな知っているものは知りたがる
知っているのに聴きたがる

なのに、なぜ?
知られていないことが、知られていくのか?

それは、きっと!

五感に訴える表現力豊かなプレゼンテーションや
親しみやすく分かりやすい話術や仕草など
さまざまな工夫や伝達技術を駆使して
拡められているのだと思います。

その技術の高さと情熱の強さは
図り知れないものにちがいありません。

けれども
みんなが知らないものを知らせている原動力は
伝え方のテクニックだけではなく
もっと他にあるような気がしています。

それは
伝える対象となっているモノやコトそのものではなく
その モノやコトが相手に与える影響や
それによって得られる「体験」や「価値」など…

そういうものを伝えられると
たとえ、そのモノやコトに興味がなくても
それらの影響は他人事では済まなくなってくる…
という可能性は大いにあるでしょう。

そして、さらに
その、知らないものを伝えている「人」…

その「人」が、知っている「人」であれば
知らないものであっても一度は耳を傾けるでしょう。

ましてや、その「人」が
好感の持てる影響力の強い「人」ならば
きっと、最後まで説明を聴こうとするでしょう。

そして、その知らなかったモノやコトは
結果として、知られていくことになるのです。

このことは
特に例外的なことなのではなくて
やはり
みんな知っているものは知りたがる
知っているのに聴きたがる… なのだと思うのです。

その「体験」や「価値」に興味がある…
その「人」を知っていて興味がある… ということ。

みんなが知りたがっていること
みんなが聴きたかっていることは
知っているものなんですね。

このように
相手の知っていること
相手が興味を持っていることを
様々な視点から捉えることが
情報伝達や意思の疎通にとって
とても大切なことなのだと思います。

ただ、もうひとつ言えることは
ごく当たり前のことなのではありますが…

いくらコミュニケーション技法を磨いても
いくら相手の視点にたって伝えようとも…

自分が伝えたいモノやコト…
新しい商品や、新しいアイデア、
どうしても伝えたい熱い思いや
広く報せなければならない真実などを
具体的に持っていないとしたら・・・
当然  伝わりようがない  ということ。

逆に
伝えたいモノやコトがあるのならば
知りたがられていなくても
聴きたがられていなくても
あきらめずに、あらゆる手を尽くして
伝えていかなくてはならないのかもしれません。

誰かが伝え始めないかぎり
いつまでも 誰も 知ろうとはしないのですから。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

ベートーベンの第七・第八交響曲は、名曲にもかかわらず知られていない

 

●1年前の今日:欲張りすぎると…

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良い「問いかけ」、悪い「問いかけ」

「宿題やったの?」
「手は洗ったの?」
「いつまで遊んでるの?」
「何度いえばわかるの?」

子育てをしている人なら
誰しも何気なく使っているコトバですね。

本来、「問いかけ」というのは
とても有効なコミュニケーション法です。

問いかけに自分のコトバで応えることによって
考えが整理されたり、気づきを得たりして
思考が活性化し、自発的行動につながります。

他人に直接的に指摘されると
それが事実だとしても受入れにくかったり
反発を感じてしまうこともありますし
なんとなく解った気になっただけで
消極的な行動しかできなかったりするようです。

けれども、
「問いかけ」なら何でもイイのか?
というと、決して そういうわけではありませんね。

相手に考える余地、気づく余地を与えて
本人が自分で問題解決に関わることが大切なのであって
外的刺激や「投げかけ」になってしまっては
「問いかけ」であって「問いかけ」ではないんですね。

そういう意味でいうと
冒頭の「問いかけ」の例は
「問いかけ」であって「問いかけ」でないものの
典型的なパターンだと思います。

ちゃんと質問形式になっています。

その点では「問いかけ」なんです。

けれども、
相手に考える余地、気づく余地を与えていません。

質問形式ではありますが
事実上の「指摘」であり「断定」になっています。

「まだ宿題やってないんだな」
「まだ手を洗ってないな」
「いつまでも遊んでるんじゃないぞ」
「何度いってもわからないな」

そう言っているのと同じですね。

これでは本人が自分で考えて気づいて
自発的に問題解決することはできません。

不機嫌になって反抗するか
しぶしぶ言うことを聞くしかありません。

こうなると
コミュニケーションが悪くなるばかりか
教育的な効果もほとんど期待できなくなってしまいますね。

大人はもちろんのことですが
子どもだって少しずつ自我が目覚めてくるにつれて
自分で考え自分で行動したくなるのは当然です。

自分で考え、自分で気づき、
自分で失敗したり解決したりすることが
ひとつひとつ経験として積み重ねられていきます。

幼い子どもには
言い聞かせなければならないことは多いものですが
自我に目覚め始めたら
何もかも教えたり叩きこむのではなく
良い「問いかけ」を通じて
自分で考え、自分で気づき、
自分で問題解決に関われるように
促してあげたいものです。

そのためには
「断定的な問いかけ」はNGです!

そして、このことは
子育てだけではなく
職場や教育現場、サークルなど
あらゆるコミュニティに共通して言えることです。

くれぐれも「断定的な問いかけ」に注意して
相手の自主性を尊重した「問いかけ」をしていきたいですね。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

おまえは何を言っているんだ?

 

●1年前の今日:自分のレベルの上げ方

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親しき仲には・・・

先日,私の友人から聞いた話が印象に残っています。その友人は,剣道を長いことやっている男なのですが,彼はあるとき老師範から,

「あなたは『礼儀』という言葉の意味がわかりますか」

と聞かれたそうです。そのとき友人は考えた末に,

「礼儀とは,相手を敬うことである」

と答えました。すると師範は,

「全く違う」

と否定したそうです。

「礼儀とは,相手を敬うことではありません。礼儀の『礼』とは,相手を認めることです。相手がそこにいることを,ただ,認めることです。そして『儀』とは,そのことを形に表すことです。礼儀とは,相手がただそこににあることを,自分は認めていますよ,と相手に伝えることなのです。」

via: CogDiv+

ただ認める…

ただ… としながらも
相手を大切にしている気持ちや
真正面から向合っている態度を
これほど如実に示す行為はないかもしれません。

ところが、普段は
あまり意識されることもなく
軽く流されていることかもしれません。

あるいは
やろうとしても、実はなかなかできない…
というのが、「相手を認める」ということですね。

自分では 認めているつもりでも
それは物体として認識しているだけで
一人の人間としての存在を意識できていなかったり
自分の感覚と違う存在を否定したりしがちです。

自分とは異なる価値観を持った
自分とは異なる人格が
自分とは異なる意思で行動することを
世の中にはこういう人もいるのだと
評価することなく存在そのものを認めることは
敬意や好意を示すこと以上の
最上級の礼節なのですね。

これを極めることこそが
「礼を尽くす」 ということなのでしょう。

そして
礼を尽くさない限り
本当の意味での対話は始まらないと思うのです。

違いを認めず、互いに尊重し合う姿勢がなければ
そこには一方的な情報伝達と評価的対応があるだけです。

このような不均衡が生じている状況では
本来のコミュニケーションは育まれません。

そういう意味で「礼儀」とは
コミュニケーションに必須の要件だと言えると思います。

なるほど…
単に丁寧なコトバや謙ったコトバだけでは
心の通った感じがしないわけです。

互いが尊重し合うこと…
もっと大切にしていきたいものです。

そう言えば…

親しき仲にも礼儀あり とは
よく言われるコトバですが
そこに礼儀があるからこそ
親しい仲でいられるのであって
実のところは
親しき仲には礼儀あり ですね。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

親しき仲には礼儀あり

 

●1年前の今日:地下鉄のバイオリニスト

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善意や愛の空回りをなくす

祖母が携帯電話が着信したときの操作を覚えられないというので、「電話が鳴っています。電話機を開いて、黄色いボタンを押してください」と着信音に吹き込んだ母は天才だと思った。

via: Twitter / keigomi29

いくら教えてあげても
どうして できないんだ! …と
イライラをつのらせたり
感情的になってしまったり
何度も そんな不本意を味わっています。

相手のためになると思って教えてあげている…
相手のことを思いやって
善かれと思ってやっていることなのに
どうして不本意な結果を招いてしまうのか?

でも、きっと
相手も辛い思いをしているのです。

いくら教えてもらっても
どうしてできないんだ! …と
イライラをつのらせたり
感情的になってしまったり
何度も そんな不本意を味わっているかもしれません。

迷惑をかけないようにと教えてもらっている…
相手のことを思いやって
善かれと思ってやっていることなのに
どうして不本意な結果を招いてしまうのか?

そんな相手の気持ちを
理解できずにいたり
うっかり見落としてしまったりしている時が
確かにあることに愕然とします。

そんな気持ちを ちゃんと解っていたとしたら
自分のやり方に固執することはなかったと思います。

本当の意味で相手のことを思いやる気持ちが
欠けていたのではないかと反省されられます。

もっと解りやすい教え方はないか?
もっとカンタンな方法はないか?
もっと覚えやすい工夫はないか?
そういうことを考えて
自分にできる最善を尽くしているか?

…と、問われたら

恥ずかしながら、ほとんどの場合
できていないと言わざるを得ません。

自分にできることが どうしてできない?
そういう自分中心の視座に立っている限り
伝わるものも伝わらないということなのですね。

やっぱり!
大切なのは 聴くことですね。

話を聴く。
心の声を聴く。
理解しようという態度。

ちゃんと聴いてから
話をしたり行動に移したりすれば
善意や愛の空回りや独りよがりを
もっと少なくすることができると確信しています。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

相手の気持ちに耳を傾ける

 

●1年前の今日:ばんばん ?

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「えっ?」って言われると…

「僕、人に『えっ?』って言われると、傷つくんですよ」

via: 聞く力―心をひらく35のヒント

そういえば…
相手の声が聞き取りにくかったとき
言ってしまうことがありますよね 「えっ?」って。

けれども、よく考えてみると…
「えっ?」って言われた方は
「えっ? そんなこと考えていたの?」とか
「えっ? そんな声で聞こえると思ってるの?」とか
批判的というか、何か刺されたような雰囲気や
バカにされたように感じることがあるかもしれません。

もちろん、「えっ?」と言っている方は
そんなつもりはない場合がほとんどだと思うのですが
不本意な受け止め方をされる可能性は否定できませんね。

ただ、聞こえにくかったから確認したかっただけなのに…
それも、ちゃんと聞きたかったからだったのに…
思わぬギクシャク感を生んでしまうなんて!

筆者は、こういう場面では
「えっ?」ではなく、「はい?」と聞き返す
…と著しています。

「はい?」・・・?

この方法に効き目があるとは
正直、あまり思えないのですが
たしかに、「えっ?」よりは
少し印象が良いような気はします。

ただ、ノウハウとして
こういう方法を取り入れたとしても
やはり、効果は小さいような気がします。

コミュニケーションでイチバン大切なことは
誠意、そして、相手を尊重することだと思います。

そういう意味で
不本意な捉えられ方を避けたいという
自我を満たす行動を優先するのではなく、
できるだけ相手に不安感や不快感を与えないようにする
配慮や気遣いをするということが
スムーズに心を通わせることに繋がるような気がします。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

 

 

●1年前の今日:これは 面白そう! トランポリン de ドッジボール

コメント:0 | TB:0 【見逃せない!この1冊】  聴く姿勢 態度 承認 尊重 コミュニケーション 

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なんと読むか わかりますか?

聴す

コレ、なんと読むか わかりますか?

知っている人にはカンタンな問題かもしれません。

でも、
日常、あまり使わない書き表し方ですよね。

実は、そういう自分も
最近まで 知りませんでした(^^ゞ

そして、
この読み方を知った瞬間、
思わず、膝を打って 納得してしまいました。

普段から知っている文字の意味と
この読みが意味するところが
あまりにも敵っていることに驚きました。

衝撃的な共感を覚えました。

聴す   と書いて

ゆるす   と読むんです!

スゴイでしょ!

何が スゴイって?

「聴く」ことは 「ゆるす」ことなんです。

これまで 十数年間 「聴く」ことを追求してきました。

「聴かれる」ということは「認められる」ことであり、
「聴く」ということは「認め、尊重する」ということ。

そのことに気がついて以来、ずっとベースにあったのが
「聴く」ことは 「ゆるす」ことでした。

まさか、そのことが
そのまんま 字に表されていたなんて・・・!

とっても驚いて、とっても歓んでいます(^^)/

「聴く」ことは 「ゆるす」こと、
「聴く」は受身ではなく能動的な行動、
人は「聴く」人に向かって「話す」、
「聴く」から「伝わる」  ・・・などについて
今では、迷いなく確信を持っていますが、
「聴す」と書いて「ゆるす」と読むことを知った今、
その確信は、さらに揺るぎないものへとなりました。

この確信を改めて胸に熱く刻み直し
これからも「聴く」「聴す」を追求し続けます。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

いや、完全に 思ってる!

では、お気楽に...(^^)/~~~

ゆる・す【許す】

[動サ五(四)]《「緩(ゆる)」「緩(ゆる)い」と同語源》

  1. (「聴す」とも書く)不都合なことがないとして、そうすることを認める。希望や要求などを聞き入れる。「外出が―・される」「営業を―・す」
  2. (「赦す」とも書く)過失や失敗などを責めないでおく。とがめないことにする。「あやまちを―・す」
  3. (「赦す」とも書く)義務や負担などを引き受けなくて済むようにする。免除する。「税を―・す」「兵役を―・す」
  4. 相手がしたいようにさせる。まかせる。「追加点を―・す」「わがままを―・す」「肌を―・す」
  5. そうするだけの自由を認める。ある物事を可能にする。「楽観は―・されない」「時間が―・せば」「事情の―・すかぎり」
  6. 警戒や緊張状態などをゆるめる。うちとける。「気を―・す」「心を―・した友」
  7. 高い評価を与える。世間が認める。「自他ともに―・すその道の大家」
  8. 引き張ったものをゆるめる。
    「猫の綱―・しつれば」〈源・若菜上〉
  9. 捕らえたものを逃がす。
    「つととらへて、さらに―・し聞こえず」〈源・紅葉賀〉

via: ゆるす【許す】の意味 - 国語辞書 - goo辞書

聴す

via: ひでぶー

 

●1年前の今日:みんなちがって みんないい

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ひとり ひとり

人は最後は一人なんだよ。

徹夜で語り合って、
手を絡いで抱き合って眠っても、違う夢を見るんだよ。

だからこそ、人は人に影響受けたり、人を大切に思ったり、
その人間の生き様を尊重出来るんじゃねーのか。

via: 「下妻物語―ヤンキーちゃんとロリータちゃん」

 
ひとりひとり違うからこそ
ひとりひとりを尊重できる

ひとりひとりが違っているというのは
ひとりひとり みんな同じ

ひとりひとり違う道を
ひとりひとり一緒に歩いていきましょう

ひとりひとり みんな一人
でも ひとりひとり ず~っと一緒

 

●1年前の今日:船をつくりたかったら

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戦い続けなければ しあわせになれないのか?

本田宗一郎のこんな一言が好きだ。路面電車が無くなる話に賛同しながらも、電車で働いていた人を気遣う。「たとえ時代遅れといわれても、自分の仕事には愛着があるものだ。その誇りを傷つけず、より時代に合致した新しい仕事に安心してつけるようねがわずにはいられない」つくづく、会いたかった。

via: Twitter/kikakuya3

 
競争して勝たなければ
しあわせは手に入れられない...

競争し続け、勝ち続けなければ
しあわせは続かない...

子どもの頃から、ずっと
学校でも会社でも
テレビや雑誌やネットでも
みんなに そう教えられてきた気がする。

有名校への進学のために
官僚や大企業への就職のために
受験戦争・就職戦線に駆り出され
本物の戦争さながらの競争をしてきた。

増収増益のために
事業存続のために
戦略・戦術・オペレーション…
戦争用語や手法を駆って
本物の戦争さながらの競争をしてきた。

 
競争して勝たなければ
しあわせは手に入れられない...

競争し続け、勝ち続けなければ
しあわせは続かない...

それって ホントなの・・・?

 
確かに、戦争に負けたら
しあわせじゃない...という気はする。

だけど、
戦争に勝ったら しあわせになれるの?

 
人生は戦いだ! 勝負だ! 負けるな!
逃げちゃいけない! 下を見るな上を見ろ!

それって ホントに正しいの?

 
じゃ 一体 誰と戦えって言うの?

誰と戦って、誰を撃ちのめせって言うの?

ライバル? 自分?

 
過度の現実逃避は 良いことだとは思わない。

でも、
戦闘して何かを撃ちのめして
戦利品のように奪い取ることが正しいの?

そういうやり方だけが しあわせなの?

 
戦略や戦術でビジネスやっている人は
一体 誰と戦争をしているんだろう?

同業他社? 異業他社?
もしかして、自社や同僚?
まさか、お客様? 協力会社?

他社と戦って撃ちのめして
限りあるパイを奪い合っていても
右肩上がりが続くわけはないのに...?

自分を切磋琢磨するのは良いけど
戦って撃ちのめす必要はないはずなのに...?

ましてや、お客様や協力者から奪取するやり方で
良い事業が継続できるはずはないのに...?

 
野生動物の世界は
喰うか喰われるかの戦時体制のように見える。

頭が良くてカワイイ鯨を食べる日本人は
海洋生物に侵略戦争をしかけているように見える。

しかし、
肉食動物は、意外に狩りが上手くないし
その時に必要な分だけしか狩猟しようとしない。

だから バランスが保たれている。

日本人は鯨の肉を食べているが、
骨も皮も油も毛も全部、無駄にせずに使っている。

遊牧民やイヌイット達が そうするように。

生命を頂いた者への感謝と敬意が込められている。

戦って奪いとっているわけじゃない。

互いが互いの役割を認め合って尊重していなければ
いずれ歪が大きくなってバランスが崩れることを...
そういう先人の智慧を受け継いでいくことで生きてきたからだ。

 
もう 仮想敵をつくるのは やめようよ。

もう むやみに戦うのは やめようよ。

 
植物や動物や自然からの恵み、
あるいは人様からの恵みがなければ、
自分たちは生き続けていくことは困難だと思う。

戦わずとも他者を踏み台にしていることは多い。

だからこそ、
互いの存在と役割を認め合い
尊重していく気持ちと態度が大切なのだと思う。

 
そのために 何ができるかは状況次第。

何もできない状況であっても、
祈ること 願うこと 感謝することは できる。

差別化ではなく独自化

●関連記事:戦わない 競わない 差別化ではなく独自化!

 

●1年前の今日:イタリアンでお気楽に…

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