元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

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一億総ツッコミ時代

「夢中」になっている人の遠心力

誰かが何かに夢中になっている姿を見ると、いろいろな人が放っておけなくなって何か言いたくなったりする。これも「夢中」が持つ、ひとつの力だと思います。

・・・

何かに夢中になっている人は、ツッコミを入れられる側、つまり「ボケ」です。

via: 一億総ツッコミ時代 - 槙田 雄司

確かに、「夢中」になっていると
いろいろな人に笑われたり、中傷されたりします。

逆に、場合によっては
共感してくれたり、応援してくれたりすることもあります。

いろいろな意味で
「夢中」や「ボケ」は
「放っておけない」のでしょうね。

「夢中」や「ボケ」には
何か強烈な「惹きつける力」があります。

ところが、
「ボケ」ではなく
「ツッコミ」にまわろうとする人が
圧倒的に多いような気がします。

ボク自身も例外ではなく、往々にして
「ツッコミ」にまわりがちになっています。

しかし、それは
漫才でいうところの「ツッコミ」役などではなく
無責任なシロウト評論家に過ぎません。

「ボケ」はウケるとオイシイけれど
スベると笑い者や晒され者になるリスクも高いから
単に、それを避けたいだけなのだと思うのです。

そして、自分がツッコまれないように
先に誰かにツッコミを入れることで防御しています。

ネット上や公的な場所で
意見を述べたり、何か表現をしたりすることは
世間の評価や他人の眼が気になるものですし
時には激しく攻撃されることもあるわけで
やはり勇気と覚悟が要るものです。

けれども
我を忘れて「夢中」になることには
何か強烈な「惹きつける力」があります。

防戦一方で「ツッコミ」にまわっている人も
実は そのことに気づいているはずです。

本当は自分も
「夢中」になりたい…
「ボケ」になりたい…
そう思っているにちがいありません。

いや… 少なくとも
ボク自身は そう感じています。

勇気や覚悟は まだ足りないけれど
「夢中」や「ボケ」には憧れる。。。

ならば… せめて…
自分を防御するための「ツッコミ」ではなくて
「夢中」や「ボケ」を応援する「ツッコミ」を
いれ続けていきたいと思うのです。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

 

 

●1年前の今日:まんざら捨てたもんじゃない

コメント:2 | TB:0 【しあわせメモ♪】   自主自立 孤独 共感 

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孤独と独創性

類は友を呼ぶってのが正しいなら友達いない人は相当なオリジナリティを持ってることになるな

via: Twitter / Fshiana

一見、身も蓋もない呟きですが(^^ゞ
なかなか含蓄のある視点かも… ですね。

元来のコトバの意味からすると、
オリジナリティを持っている人は
他のオリジナリティを持っている人を呼んで
互いに友だちになったりするのだと思うのですが…

しかし、
友を呼んでいる程度のオリジナリティは
所詮「類」に過ぎず、
本当のオリジナリティとは言えないかもしれません。

べらぼうにオリジナリティが高いことを
「類稀なる…」と言い表すことからも
どうやら、真のオリジナリィとは
孤独の中にあることは間違いなさそうです。

孤独を感じることがあったら
そこにあるはずのオリジナリティを
見出していくことを意識すれば良いということですね。

そのオリジナリティを打ち出していくことで
自己評価も高まり、充実感につながります。

その延長には、社会からの評価の向上が見込まれますから
そうなれば、もう孤独などと言える状況ではありません。

ただ、その時点では、
もしかすると真のオリジナリティは
既に、なくなっているのかもしれませんが…

真のオリジナリティを維持し続けている人は
孤独を積極的に受入れている人だとも言えますね。

"Loneliness"ではなく、"Solitude"。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

孤独と独創性

 

●1年前の今日:夢に出てきそ~ ^^;

コメント:2 | TB:0 【しあわせメモ♪】  孤独 オリジナル 自主自立 お気楽 

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孤立が稀有な時代の孤立って?

 現代の学生さんにぜひ知っていてほしいのは、ほんの少し前までは、単独行動の学生はそんなに珍しい存在ではなかったということだ。少なくとも、私が学生だった30年前には、一人で昼飯をとる学生の姿は、キャンパス内に普通にある自然な風景だった。
 友達のいる学生であっても、携帯電話で連絡がつかなかった時代は、別々に過ごさざるを得なかったわけで、そういう意味では、われわれは、誰であれ、単独で過ごす時間をけっこうたくさん持っていた。だから、そのことをひどく気に病んではいなかった。 そう思ってみれば、「孤立」という状況を孤立化(←分かりにくいでしょうか?
 「孤立が一般的だった時代の孤立」は、現在の、「孤立が稀有な時代の孤立」ほど孤独ではなかったという意味です)させることに寄与しているコミュニケーションツールは、あれはあれで罪な仕事をしているのかもしれない。

via: フェイスブックで友達何人できたかな:日経ビジネスオンライン

 
孤立というのは、
一人で過ごしている時間のことではない。

孤立というのは、
誰からも相手にされないということではない。

孤立というのは、
誰とも関係を持とうとしない自らの心持ち。

 
自分が充実している時、あるいは、
自分の内面を見つめている時は、
他者との関係への依存心は高くない。

自分自身の不満が高まるにつれて
他者に期待したり、不平をぶつけたりして
自らの本質から目を逸らそうとしがちになる。

孤独を強く感じる時、
それは外部からの無関心であるように見えて、
実は、自分自身が内面に向き合っていない時。

自立した者同士が 助け合い 分かち合うことと、
歩みを止めて ただ単にもたれ合うことは、まったく違う。

 
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に..(^^)/~~~

孤独

 

●1年前の今日:「信頼」と「責任」

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  孤独   天命 自主自立 

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孤独力

小学校の休み時間に、何気なく各教室をのぞきながら歩いていると、
全員が運動場や図書室などに出たクラスの中で、
ひとりぽつんと机に向かって本を読んでいる子がいたりする。

私は、いいなあ!と思う。
周りに、
休み時間まで合わせることをしないで、
一人で自分のしたいことをしている。
そういう力を
斎藤孝先生は「孤独力がある」と表現していた。

それって、いいなあと思う。

via: 今のところではありますが…
「ぽつんと、ひとり。それがいい。」

 
孤独力

いいなあ 孤独力...

 
どうして孤独力が養われたのか...
そこは少しばかり気になるのだけれど、

こういう風に人の存在を認める視点は
何よりも大切にしたいな と思う。

 
しかし、谷澤さんのブログって...
共感ポイントや気づきが多くて、
ひとりPCの前で 頷いたり 唸ったり
いつも読みふけってしまうんねんな   うん。

引用元の記事のつづきも 実に深い...(^_^)v

孤独力

 

●1年前の今日:もはや!SPAMとは言えないかも?

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  存在 共感 孤独 コミュニケーション 

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