元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

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ノーモア ヒバクシャ

長崎平和宣言 長崎平和祈念式典 2017年8月9日

「ノーモア ヒバクシャ」

この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。

私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

しかし、これはゴールではありません。今も世界には、1万5000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。

安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

日本政府に訴えます。

核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。

あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。

皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。

そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。

遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。

福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

2017年(平成29年)8月9日

長崎市長 田上富久

via: Huffington Post Japan

長崎は今日、72回目の原爆忌を迎えました。

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典には、核保有国を含む58カ国の代表と被爆者や遺族らが参列し犠牲者の冥福を祈りました。

この1年間で死亡が確認された3551人の原爆死没者が名簿に書き加えられ、長崎原爆の死没者は計17万5743人となりました。

田上市長は平和宣言の中で、国連で核兵器禁止条約が採択されたことを被爆者の長年の願いが形になったとして意義を強調するとともに、核兵器廃絶に向けた歩みをさらに進めることの重要性を訴えました。

そして、先の広島平和宣言と同じく、条約に反対する核保有国や日本を含む核の傘の下にある国々に対して核兵器に依存する安全保障の在り方を見直すよう強く求めました。

これに対して安倍首相の挨拶には、広島に引き続き条約についての言及はありませんでした。

今年もまた政治色の強い平和宣言になりましたが、核兵器禁止条約の話題が大きく取り上げられ、極東におけるきな臭い動きが活発になっている昨今、当然のことであろうと思います。

外交や国際政治には一筋縄では解決できな問題が山積している上に、難しい駆け引きが要求されますから理想や正論だけを声高に訴えることはできません。

しかし、世界唯一の被爆国であり、多くの罪のない市民の生命を失った我が国において核兵器廃絶の実現は責任であり悲願です。
キレイ事だけでは済まない難局もあるかと思いますが、とるべき進路の先にある核心部分については、日本国民の意志として常に明確にし決してブレることがあってはなりません。

被爆国の原点。

決して忘れてはならない譲ることのできない絶対条件です。

これだけは絶対に譲れないという姿勢を堅持するよう政府関係者に強く希望します。

長崎平和祈念式典2017
●1年前の今日:
核兵器の歴史は不信感の歴史です

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絶対に譲れないことがある

平和宣言 広島平和記念式典 2017年8月6日

皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか。鋭い閃光がピカーッと走り、凄まじい放射線と熱線。ドーンという地響きと爆風。真っ暗闇の後に現れた景色のそこかしこには、男女の区別もつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の屍。その間をぬって、髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が、焼けただれ裸同然で?がれた皮膚を垂らし、燃え広がる炎の中を水を求めてさまよう。目の前の川は死体で覆われ、河原は火傷(やけど)した半裸の人で足の踏み場もない。正に地獄です。「絶対悪」である原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪めてしまいました。

このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨たらしい目に遭うのは、あなたかもしれません。

それ故、皆さんには是非とも、被爆者の声を聞いてもらいたいと思います。

15歳だった被爆者は、「地獄図の中で亡くなっていった知人、友人のことを偲ぶと、今でも耐えられない気持ちになります。」と言います。そして、「一人一人が生かされていることの有難さを感じ、慈愛の心、尊敬の念を抱いて周りに接していくことが世界平和実現への一歩ではないでしょうか。」と私たちに問い掛けます。

また、17歳だった被爆者は、「地球が破滅しないよう、核保有国の指導者たちは、核抑止という概念にとらわれず、一刻も早く原水爆を廃絶し、後世の人たちにかけがえのない地球を残すよう誠心誠意努力してほしい。」と語っています。

皆さん、このような被爆者の体験に根差した「良心」への問い掛けと為政者に対する「誠実」な対応への要請を我々のものとし、世界の人々に広げ、そして次の世代に受け渡していこうではありませんか。

為政者の皆さんには、特に、互いに相違点を認め合い、その相違点を克服するための努力を「誠実」に行っていただきたい。また、そのためには、核兵器の非人道性についての認識を深めた上で、自国のことのみに専念して他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを自覚しておくことが重要です。

市民社会は、既に核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たないということを知り尽くし、核を管理することの危うさに気付いてもいます。核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器を保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。

今や世界中からの訪問者が年間170万人を超える平和記念公園ですが、これからもできるだけ多くの人々が訪れ、被爆の実相を見て、被爆者の証言を聴いていただきたい。そして、きのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の核兵器廃絶への願いを受け止めた上で、世界中に「共感」の輪を広げていただきたい。特に、若い人たちには、広島を訪れ、非核大使として友情の輪を広げていただきたい。広島は、世界の人々がそのための交流をし、行動を始める場であり続けます。

その広島が会長都市となって世界の7,400を超える都市で構成する平和首長会議は、市民社会において世界中の為政者が、核兵器廃絶に向け、「良心」に基づき国家の枠を超えた「誠実」な対応を行えるような環境づくりを後押ししていきます。

今年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取組を更に前進させなければなりません。

特に、日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。また、平均年齢が81歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々に寄り添い、その支援策を一層充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

私たちは、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々と共に、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

平成29年(2017年)8月6日

広島市長 松井 一實

広島市長の平和宣言全文 - 日本経済新聞

広島は今日、72回目の原爆忌を迎えました。

平和公園で行われた式典には、80か国の代表を含む約5万人が参列しました。
この1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された5530名を含む30万8725名の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められ、原爆が投下された午前8時15分に、参列者全員で黙とうを捧げました。

松井一実広島市長は、平和宣言の中で、国連で採択された核兵器禁止条約に反対した日本政府に対して、核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたいと強く求めました。

これに対して安倍首相は条約に言及することはありませんでした。

国際政治や外交においては一筋縄ではいかない駆け引きや困難な交渉が常につきまとっていることと思います。

しかし、核兵器は絶対悪です。

我が国にとっては、核兵器禁止条約は是が非でも締結を推進すべき課題の一つであるはずです。
唯一の被爆国である我が国の責任であるとも言えます。

平和を維持するために譲らざるをえない条件も少なくないとは思いますが、こればかりは如何なる難題を突きつけられても決して譲ることのできないこと。
今こそ大志、大義を貫いて自立した日本国民としての主張をして、日本の未来のために、世界の平和のためのに、役目を果たしていきたいものです。

平成29年(2017年)広島平和記念式典
●1年前の今日:
被爆71年目の広島原爆忌に思うこと

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核兵器の歴史は不信感の歴史です

被爆71周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典

長崎平和宣言 2016年

長崎平和宣言

核兵器は人間を壊す残酷な兵器です。

1945年8月9日午前11時2分、米軍機が投下した一発の原子爆弾が、上空でさく裂した瞬間、長崎の街に猛烈な爆風と熱線が襲いかかりました。あとには、黒焦げの亡骸(なきがら)、全身が焼けただれた人、内臓が飛び出した人、無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人があふれ、長崎は地獄と化しました。

原爆から放たれた放射線は人々の体を貫き、そのために引き起こされる病気や障害は、辛うじて生き残った人たちを今も苦しめています。

核兵器は人間を壊し続ける残酷な兵器なのです。

今年5月、アメリカの現職大統領として初めて、オバマ大統領が被爆地・広島を訪問しました。大統領は、その行動によって、自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを世界に示しました。

核兵器保有国をはじめとする各国のリーダーの皆さん、そして世界中の皆さん。長崎や広島に来てください。原子雲の下で人間に何が起きたのかを知ってください。事実を知ること、それこそが核兵器のない未来を考えるスタートラインです。

今年、ジュネーブの国連欧州本部で、核軍縮交渉を前進させる法的な枠組みについて話し合う会議が開かれています。法的な議論を行う場ができたことは、大きな前進です。しかし、まもなく結果がまとめられるこの会議に、核兵器保有国は出席していません。そして、会議の中では、核兵器の抑止力に依存する国々と、核兵器禁止の交渉開始を主張する国々との対立が続いています。このままでは、核兵器廃絶への道筋を示すことができないまま、会議が閉会してしまいます。

核兵器保有国のリーダーの皆さん、今からでも遅くはありません。この会議に出席し、議論に参加してください。

国連、各国政府及び国会、NGOを含む市民社会に訴えます。核兵器廃絶に向けて、法的な議論を行う場を決して絶やしてはなりません。今年秋の国連総会で、核兵器のない世界の実現に向けた法的な枠組みに関する協議と交渉の場を設けてください。そして、人類社会の一員として、解決策を見出す努力を続けてください。

核兵器保有国では、より高性能の核兵器に置き換える計画が進行中です。このままでは核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいます。

今こそ、人類の未来を壊さないために、持てる限りの「英知」を結集してください。

日本政府は、核兵器廃絶を訴えながらも、一方では核抑止力に依存する立場をとっています。この矛盾を超える方法として、非核三原則の法制化とともに、核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである「北東アジア非核兵器地帯」の創設を検討してください。核兵器の非人道性をよく知る唯一の戦争被爆国として、非核兵器地帯という人類のひとつの「英知」を行動に移すリーダーシップを発揮してください。

核兵器の歴史は、不信感の歴史です。

国同士の不信の中で、より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が開発されてきました。世界には未(いま)だに1万5000発以上もの核兵器が存在し、戦争、事故、テロなどにより、使われる危険が続いています。

この流れを断ち切り、不信のサイクルを信頼のサイクルに転換するためにできることのひとつは、粘り強く信頼を生み続けることです。

我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道をこれからも歩み続けなければなりません。

市民社会の一員である私たち一人ひとりにも、できることがあります。国を越えて人と交わることで、言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、身近に信頼を生み出すことです。オバマ大統領を温かく迎えた広島市民の姿もそれを表しています。市民社会の行動は、一つひとつは小さく見えても、国同士の信頼関係を築くための、強くかけがえのない礎となります。

被爆から71年がたち、被爆者の平均年齢は80歳を越えました。世界が「被爆者のいない時代」を迎える日が少しずつ近づいています。戦争、そして戦争が生んだ被爆の体験をどう受け継いでいくかが、今、問われています。

若い世代の皆さん、あなたたちが当たり前と感じる日常、例えば、お母さんの優しい手、お父さんの温かいまなざし、友だちとの会話、好きな人の笑顔…。そのすべてを奪い去ってしまうのが戦争です。

戦争体験、被爆者の体験に、ぜひ一度耳を傾けてみてください。つらい経験を語ることは苦しいことです。それでも語ってくれるのは、未来の人たちを守りたいからだということを知ってください。

長崎では、被爆者に代わって子どもや孫の世代が体験を語り伝える活動が始まっています。焼け残った城山小学校の校舎などを国の史跡として後世に残す活動も進んでいます。

若い世代の皆さん、未来のために、過去に向き合う一歩を踏み出してみませんか。

福島での原発事故から5年が経過しました。長崎は、放射能による苦しみを体験したまちとして、福島を応援し続けます。

日本政府には、今なお原爆の後遺症に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、被爆地域の拡大をはじめとする被爆体験者の一日も早い救済を強く求めます。

原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧(ささ)げ、私たち長崎市民は、世界の人々とともに、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くすことをここに宣言します。

2016年(平成28年)8月9日

長崎市長 田上 富久

via: 長崎市│平成28年長崎平和宣言(宣言文)

長崎は今日、71回目の原爆忌を迎えました。

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典には、53カ国の代表を含む約5600人の被爆者や遺族らが参列し犠牲者の冥福を祈りました。

この1年間で死亡が確認された3487人の原爆死没者の名簿が奉安され、長崎原爆の死没者は計17万2230人となりました。

田上市長は平和宣言の中で、核兵器保有国の首脳らに被爆地訪問を促すとともに、核軍縮交渉を前進させる枠組みを話し合う国連の会議への参加を要求。
日本政府には、非核三原則の法制化や北東アジア非核兵器地帯の検討を求め、唯一の戦争被爆国として行動に移すリーダーシップを発揮して欲しいと述べました。

年を重ねる毎に政治色の強くなる平和宣言ではありますが、それでも恒久平和の実現と核兵器廃絶を懇願する被爆地の首長スピーチとしては妥当な内容であったと思います。

例年同様この宣言に賛同しない意見も散見しますが、平和記念式典を主義主張の駆け引きの場に利用することなく、この日ばかりは平和の祈りを捧げ犠牲者の慰霊に注力していただきたいと切に願います。

そして自分自身もまた、世界唯一の被爆国の国民として、それ以前に日本人として、戦争の悲惨さと平和の大切さを忘れることなく、僅かでも後世に伝えていくことを改めて誓います。

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平和の理念

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被爆71年目の広島原爆忌に思うこと

(全録)広島「原爆の日」 松井一實市長が平和宣言

広島は今日、71回目の原爆忌を迎えました。

平和記念公園では例年通り平和記念式典が開かれ、約5万人が犠牲者を悼むとともに改めて平和を誓いました。

松井一実市長は平和宣言で、現職の米大統領として初めて広島を訪問したオバマ氏のスピーチを引用して、核兵器廃絶へ、情熱を持ち、世界が連帯して行動を起こすよう呼びかけました。

また、今日〈現地時間では5日〉リオデジャネイロではオリンピックの開会式が行われました。
21日までの会期中はオリンピックの話題が目白押しになることでしょう。

それは今日の朝刊が広島原爆忌よりもオリンピックの記事を大きく掲載していることを見ても明らかです。

オリンピックはスポーツを通じた世界的かつ平和的なイベントですから大きく取り上げられることに不思議はありません。
けれども、広島原爆忌は世界で初めて原爆が実践に使用された日であり、わが国はもちろん、世界各国で平和や核廃絶について考えるに相応しい日として認知されるべきだと思います。
オリンピックと比較することの是非はともかく、原爆忌の意義を軽んじてはならないし、繰り返してはならない過ちとしての認識が薄らぐことがあってはならないと思うのです。

被爆後71年が経過し被爆者の平均年齢が80歳を超えた今、ただでさえ風化を避けることができない状況を迎えていますが、だからこそ忘れてはならない日として強く意識したいものです。

オリンピックの開会式は、この日を避けてもらいたかったですし、意図的に同じ日にしたのではないことを強く願って止みません。

さらに、今夜は全国各地で花火大会が開催されました。
花火には鎮魂の意が込められていると言われていますから、これも行事自体には問題はないのですが、個人的にはこの日の花火見物は複雑な思いを抱かざるを得ません。
毎年このブログでも「なにわ淀川花火大会」の記事を掲載していますが、今年ばかりは爆音と閃光の映像をアップする気にはなれませんでした。

昨年の今日ここに、自分たちにできることは祈りだけではないはずだと書きました。
戦争や原爆の悲惨さにとどまらず、戦争や原爆投下に至る状況を知り、それを後世に伝えていかなくてはならないことにも触れました。
本質的な取り組みをさらに進めることを誓いました。
が、この一年を振り返ってみて、まだまだ実践が不足していることを反省させられた一日でした。

核兵器廃絶へ、情熱を持ち、世界が連帯して行動を起こす…
これをスピーチの台詞で終わらせることなく実行するために、自分は具体的に何をすれば良いのか再確認し、たとえ一つでも実践を増やしていきます。

被爆71周年 広島平和記念式典
●1年前の今日:
自分たちにできることは祈りだけではないはず

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平和の理念

70回目の長崎原爆の日

phot: mainichi.jp

長崎平和宣言

昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟と化しました。

大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。24万人の市民のうち、7万4000人が亡くなり、7万5000人が傷つきました。70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。しかし、放射線に体を蝕まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、あの日のことを一日たりとも忘れることはできません。

原子爆弾は戦争の中で生まれました。そして、戦争の中で使われました。

原子爆弾の凄まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。

今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。

70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。

原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。

若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。

世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、集まれば大きな力になります。長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。

私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。

今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。

NPT加盟国の首脳に訴えます。

今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。国連総会などあらゆる機会に、核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。

また、会議では被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。

改めて、長崎から呼びかけます。

オバマ大統領、そして核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。被爆者が、単なる被害者としてではなく、人類の一員として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。

日本政府に訴えます。

国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、「核の傘」から「非核の傘」への転換について、ぜひ検討してください。

この夏、長崎では世界の128の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。

11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。

「ピース・フロム・ナガサキ」。平和は長崎から。私たちはこの言葉を大切に守りながら、平和の種を蒔き続けます。

また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます。

現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます。

被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。

原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

2015年(平成27年)8月9日
長崎市長 田上富久

via: ハフィントンポスト

長崎で70回目の原爆の日を迎えました。

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典には約6千人の被爆者や遺族らが参列し、7万人もの犠牲者の冥福を祈りました。

長崎市の田上富久市長が平和宣言の中で、「日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています」と安倍政権が国会に提出した安保法案について触れ、会場は大きな拍手で共鳴しました。

一方、世論の中には宣言に賛同しないものも散見します

国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、「核の傘」から「非核の傘」への転換について、ぜひ検討してください。

そんな綺麗事で再発は防げない…
抑止力があればあの原爆投下も防げたはず…
北東アジア非核兵器地帯など夢物語…
田上市長の平和宣言に対して批判的なコメントを見かけました。

昨今は集団的自衛権や憲法論が話題となっている状況下、賛否を問わず鮮明な意思表示をする人が増えているのも頷けます。

実際のところ容易く解決できる問題ではないと思います。
状況の変化に応じて打つ手を考えていかなくてはならないのも事実です。
どのような方法であれ最善を尽くす他ありません。

そこで思い出すのは、終戦直前の昭和天皇の決断です。

当時の日本は、ジェット戦闘機や新型爆弾を既に完成させていました。ここで言う新型爆弾とは原爆のことだと言われています。

それが実際に使用されなかったのは、既に敗戦が確実となり資金資材ともに困窮していたためだとされていますが、昭和天皇がその使用を禁じたためだという記録が残っています。
「新型爆弾によって戦況が有利になったとしても、そのために新型爆弾の投下合戦になったり、何百万もの無辜の民が死ぬようなことになるとしたら先祖に申し訳がたたない」と。
国益のみならず世界平和を意識して苦渋の決断をした背景には、日本人としての生き方がありありと感じられます。

確かに、理想論だけでは平和を実現できないでしょう。
国際情勢を鑑みて何らかの抑止力を持つ必要もあると思います。
効果的かつ即効性の高い策があるかもしれません。
しかし我々が日本人である限りは、あくまで日本人らしい方法をとることが天与の役割ではないかと思うのです。
ギリギリの選択になると思いますが、最善を尽くすことを忘れたくありません。

世界唯一の被爆国の国民として、それ以前に日本人として、戦争の悲惨さと平和の大切さを改めて考え、僅かでも後世に伝えていきたいと思います。

●1年前の今日:
平和の原点が揺らいでいる

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自分たちにできることは祈りだけではないはず

2015年 原爆死没者慰霊式・平和祈念式

 私たちの故郷には、温かい家族の暮らし、人情あふれる地域の絆、季節を彩る祭り、歴史に育まれた伝統文化や建物、子どもたちが遊ぶ川辺などがありました。

 1945年8月6日午前8時15分、その全てが一発の原子爆弾で破壊されました。きのこ雲の下には、抱き合う黒焦げの親子、無数の遺体が浮かぶ川、焼け崩れた建物。幾万という人々が炎に焼かれ、その年の暮れまでにかけがえのない14万もの命が奪われ、その中には朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜なども含まれていました。

 辛うじて生き延びた人々も人生を大きく歪められ、深刻な心身の後遺症や差別・偏見に苦しめられてきました。生きるために盗みと喧嘩を繰り返した子どもたち、幼くして原爆孤児となり今も一人で暮らす男性、被爆が分かり離婚させられた女性など――苦しみは続いたのです。

 「広島をまどうてくれ!」。これは、故郷や家族、そして身も心も元通りにしてほしいという被爆者の悲痛な叫びです。

 広島県物産陳列館として開館し100年、被爆から70年。歴史の証人として、今も広島を見つめ続ける原爆ドームを前に、皆さんと共に、改めて原爆被害の実相を受け止め、被爆者の思いを噛みしめたいと思います。

 しかし、世界には、いまだに1万5000発を超える核兵器が存在し、核保有国等の為政者は、自国中心的な考えに陥ったまま、核による威嚇にこだわる言動を繰り返しています。また、核戦争や核爆発に至りかねない数多くの事件や事故が明らかになり、テロリストによる使用も懸念されています。

 核兵器が存在する限り、いつ誰が被爆者になるか分かりません。ひとたび発生した被害は国境を越え無差別に広がります。世界中の皆さん、被爆者の言葉とヒロシマの心をしっかり受け止め、自らの問題として真剣に考えてください。

 当時16歳の女性は「家族、友人、隣人などの和を膨らませ、大きな和に育てていくことが世界平和につながる。思いやり、やさしさ、連帯。理屈ではなく体で感じなければならない」と訴えます。当時12歳の男性は「戦争は大人も子どもも同じ悲惨を味わう。思いやり、いたわり、他人や自分を愛することが平和の原点だ」と強調します。

 辛く悲しい境遇の中で思い悩み、「憎しみ」や「拒絶」を乗り越え、紡ぎ出した悲痛なメッセージです。その心には、人類の未来を見据えた「人類愛」と「寛容」があります。

 人間は、国籍や民族、宗教、言語などの違いを乗り越え、同じ地球に暮らし一度きりの人生を懸命に生きるのです。私たちは「共に生きる」ために、「非人道性の極み」「絶対悪」である核兵器の廃絶を目指さなければなりません。そのための行動を始めるのは今です。既に若い人々による署名や投稿、行進など様々な取り組みも始まっています。共に大きなうねりを創りましょう。

 被爆70年という節目の今年、被爆者の平均年齢は80歳を超えました。広島市は、被爆の実相を守り、世界中に広め、次世代に伝えるための取り組みを強化するとともに、加盟都市が6700を超えた平和首長会議の会長として、2020年までの核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始に向けた世界的な流れを加速させるために、強い決意を持って全力で取り組みます。

 今、各国の為政者に求められているのは、「人類愛」と「寛容」を基にした国民の幸福の追求ではないでしょうか。為政者が顔を合わせ、対話を重ねることが核兵器廃絶への第一歩となります。そうして得られる信頼を基礎にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。その実現に忍耐強く取り組むことが重要であり、日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます。

 来年、日本の伊勢志摩で開催される主要国首脳会議、それに先立つ広島での外相会合は、核兵器廃絶に向けたメッセージを発信する絶好の機会です。オバマ大統領をはじめとする各国の為政者の皆さん、被爆地を訪れて、被爆者の思いを直接聴き、被爆の実相に触れてください。核兵器禁止条約を含む法的枠組みの議論を始めなければならないという確信につながるはずです。

 日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役として、議論の開始を主導するよう期待するとともに、広島を議論と発信の場とすることを提案します。また、高齢となった被爆者をはじめ、今この時も放射線の影響に苦しんでいる多くの人々の苦悩に寄り添い、支援策を充実すること、とりわけ「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

 私たちは、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、被爆者をはじめ先人が、これまで核兵器廃絶と広島の復興に生涯をかけ尽くしてきたことに感謝します。そして、世界の人々に対し、決意を新たに、共に核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすよう訴えます。

平成27年(2015年)8月6日

広島市長 松井一実

via: 広島平和宣言全文 : 読売新聞

70回目の広島原爆忌を迎えました。

午前8時から広島市中区の平和記念公園で開かれた平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)には約5万5千人が参列し犠牲者を悼みました。

被曝70年という節目を迎え注目を浴びた今年の平和記念式典でしたが、マスコミ等の報道は例年のそれと大きく変ることはありませんでした。

式典への参列者が例年より多かったり、海外からも過去最多の100ヶ国以上の代表者が出席したりしたことは、ある意味で象徴的な出来事であったと思いますが、それ以外には「いつも通り」を払拭する強いメッセージを感じることができませんでした。

このことこそが、未だに見えてこない核兵器廃絶への道を最も象徴しているような気がします。

原爆の悲惨さや平和の大切さを後世に伝えることについては、かねてから盛んに言われていることですし、そのことは紛れもなく重要な課題です。

しかし、なぜドイツやイタリアではなく日本に原爆が投下されたのか?、なぜ先の戦争をしなければならなかったのか?、そういった国際情勢や思想的な背景については、未だに詳しく語られることが多くありません。

どうしてこのような悲劇が起こってしまったのか?
それは地震や洪水のような自然災害とは違います。

このような本質的な議論がなされないまま、世界初、世界唯一の被曝を不幸な事故や天変地異と同じように悲観するだけでは、積極的に核兵器を廃絶する運動を盛り上げることは難しいのではないかと感じます。

被爆者の平均年齢が80歳を超えた今、体験者から直接話を伺う機会は多くありません。また、あまり市民に賢くなって欲しくない人たちは、あえて本質的な情報を広く報せようとはしません。
もっと自主的に本質的なことに目を向け、耳を傾け、自発的に考えて状況を判断しなければ、本当の平和を手にすることはできないのではないでしょうか?

単に戦争や原爆の悲惨さにとどまらず、戦争や原爆投下に至る状況を知り、それを後世に伝えていかなくてはなりません。

被曝の風化を避けることはできません。

しかも、戦争や核の脅威は今なお身近に潜んでいます。

複雑難解な国際情勢や国家レベルの利害関係に対して自分たち市民ができることは多くないかもしれません。

けれども、自分たちにできることは祈りだけではないはずです。

もっと主体的に本質を学び知ること…
もっと主体的に本質に迫り考えること…
もっと主体的に本質を伝えること…
戦後70年を本当の節目とするべく、本質的な取り組みをさらに進めます。

●1年前の今日:
「忘れない」とは「他人事にしない」ということ

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平和の原点が揺らいでいる

69年前のこの時刻、この丘から見上げる空は真っ黒な原子雲で覆われていました。米軍機から投下された一発の原子爆弾により、家々は吹き飛び、炎に包まれ、黒焦げの死体が散乱する中を多くの市民が逃げまどいました。凄まじい熱線と爆風と放射線は、7万4千人もの尊い命を奪い、7万5千人の負傷者を出し、かろうじて生き残った人々の心と体に、69年たった今も癒えることのない深い傷を刻みこみました。
今も世界には1万6千発以上の核弾頭が存在します。核兵器の恐ろしさを身をもって知る被爆者は、核兵器は二度と使われてはならない、と必死で警鐘を鳴らし続けてきました。広島、長崎の原爆以降、戦争で核兵器が使われなかったのは、被爆者の存在とその声があったからです。

もし今、核兵器が戦争で使われたら、世界はどうなるのでしょうか。 今年2月メキシコで開かれた「核兵器の非人道性に関する国際会議」では、146か国の代表が、人体や経済、環境、気候変動など、さまざまな視点から、核兵器がいかに非人道的な兵器であるかを明らかにしました。その中で、もし核戦争になれば、傷ついた人々を助けることもできず、「核の冬」の到来で食糧がなくなり、世界の20億人以上が飢餓状態に陥るという恐るべき予測が発表されました。
核兵器の恐怖は決して過去の広島、長崎だけのものではありません。まさに世界がかかえる“今と未来の問題”なのです。
こうした核兵器の非人道性に着目する国々の間で、核兵器禁止条約などの検討に向けた動きが始まっています。
しかし一方で、核兵器保有国とその傘の下にいる国々は、核兵器によって国の安全を守ろうとする考えを依然として手放そうとせず、核兵器の禁止を先送りしようとしています。
この対立を越えることができなければ、来年開かれる5年に一度の核不拡散条約(NPT)再検討会議は、なんの前進もないまま終わるかもしれません。
核兵器保有国とその傘の下にいる国々に呼びかけます。
「核兵器のない世界」の実現のために、いつまでに、何をするのかについて、核兵器の法的禁止を求めている国々と協議ができる場をまずつくり、対立を越える第一歩を踏み出してください。日本政府は、核兵器の非人道性を一番理解している国として、その先頭に立ってください。
核戦争から未来を守る地域的な方法として「非核兵器地帯」があります。現在、地球の陸地の半分以上が既に非核兵器地帯に属しています。日本政府には、韓国、北朝鮮、日本が属する北東アジア地域を核兵器から守る方法の一つとして、非核三原則の法制化とともに、「北東アジア非核兵器地帯構想」の検討を始めるよう提言します。この構想には、わが国の500人以上の自治体の首長が賛同しており、これからも賛同の輪を広げていきます。

いまわが国では、集団的自衛権の議論を機に、「平和国家」としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされています。
長崎は「ノーモア・ナガサキ」とともに、「ノーモア・ウォー」と叫び続けてきました。日本国憲法に込められた「戦争をしない」という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもあります。
被爆者たちが自らの体験を語ることで伝え続けてきた、その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます。
長崎では、若い世代が、核兵器について自分たちで考え、議論し、新しい活動を始めています。大学生たちは海外にネットワークを広げ始めました。高校生たちが国連に届けた核兵器廃絶を求める署名の数は、すでに100万人を超えました。
その高校生たちの合言葉「ビリョクだけどムリョクじゃない」は、一人ひとりの人々の集まりである市民社会こそがもっとも大きな力の源泉だ、ということを私たちに思い起こさせてくれます。長崎はこれからも市民社会の一員として、仲間を増やし、NGOと連携し、目標を同じくする国々や国連と力を合わせて、核兵器のない世界の実現に向けて行動し続けます。世界の皆さん、次の世代に「核兵器のない世界」を引き継ぎましょう。
東京電力福島第一原子力発電所の事故から、3年がたちました。今も多くの方々が不安な暮らしを強いられています。長崎は今後とも福島の一日も早い復興を願い、さまざまな支援を続けていきます。

来年は被爆からちょうど70年になります。
被爆者はますます高齢化しており、原爆症の認定制度の改善など実態に応じた援護の充実を望みます。
被爆70年までの一年が、平和への思いを共有する世界の人たちとともに目指してきた「核兵器のない世界」の実現に向けて大きく前進する一年になることを願い、原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市とともに核兵器廃絶と恒久平和の実現に努力することをここに宣言します。

2014年(平成26年)8月9日

長崎市長 田上 富久

via: ハフィントンポスト

台風11号が接近する中
今日、長崎では
69回目の原爆の日を迎えました。

爆心地近くの平和公園では
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれ
6千人近くの被爆者や遺族らが
約7万人の犠牲者の冥福を祈りました。

田上富久長崎市長は平和宣言で
来年開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議で
日本が唯一の被爆国として主導的役割を果たすよう
政府に求めるなど、改めて核兵器廃絶を訴えました。

また
政府が閣議決定した集団的自衛権の行使容認にも言及し
憲法に込められた不戦への誓いは
被爆国日本の原点であるとともに
被爆地長崎の原点でもあると述べ
国民に広がる不安や懸念に対して
真摯に向き合うことを政府に強く求めました。

これに対して式典に出席した安倍総理大臣は
来年は被爆から70年目という節目の年であり
核兵器のない世界を実現するための取り組みを
さらに前に進めると述べるに留まりました。

いつの頃からでしょうか。

原爆の日のニュースと言えば
このような政治家の発言を中心に
報道されるようになったのは…

しかも、そんなニュースですら
僅かな時間しか報じられなくなりました。

もちろん、政治家たちの発言は
不戦、非核を中心とした恒久平和に関するものですが
毎年、理想論やべき論が繰り返され
市民が政治家に期待しているものとは
かけ離れたものになっている気がしてなりません。

さらに
戦前戦後の歴史的社会的背景や
被爆者の並々ならぬ生活の様子、
被曝直後の惨劇の詳細を伝える番組や記事は
年々少なくなってきています。

終戦後69年を経て
被爆者や戦争体験者も少なくなり
先の戦争の真実は風化してゆく一方です。

けっして忘れてはならないと言いつつ
薄れゆく記憶を止めようとする行動や
風化を防ぐ対策はあまりにも少ないように感じます。

既得権者たちの政治的駆け引きが優先となり
被爆者や戦没者、その遺族への配慮や
本当の意味での恒久平和への思いが
薄れてきているような気がしてなりません。

かく言う自分もまた
史実の風化防止や平和のための具体的行動を
積極的に実行しているわけでもありませんから
偉そうなことは言えないのですが
せめて、原爆投下忌や終戦の日くらいは
世界唯一の被爆国の国民として
戦争の悲惨さと平和の大切さを改めて考え
身近な人たちと話合う日にし続けて
僅かでも後世に伝えていきたいと思います。

長崎平和宣言2014

 

●1年前の今日:被爆国の原点に返れ

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「忘れない」とは「他人事にしない」ということ

 被爆69年の夏。灼けつく日差しは「あの日」に記憶の時間を引き戻します。1945年8月6日。一発の原爆により焦土と化した広島では、幼子からお年寄りまで一日で何万という罪なき市民の命が絶たれ、その年のうちに14万人が亡くなりました。尊い犠牲を忘れず、惨禍を繰り返さないために被爆者の声を聞いてください。

 建物疎開作業で被爆し亡くなった少年少女は約6000人。当時12歳の中学生は、「今も戦争、原爆の傷跡は私の心と体に残っています。同級生のほとんどが即死。生きたくても生きられなかった同級生を思い、自分だけが生き残った申し訳なさで張り裂けそうになります。」と語ります。辛うじて生き延びた被爆者も、今なお深刻な心身の傷に苦しんでいます。

 「水を下さい。」瀕死の声が脳裏から消えないという当時15歳の中学生。建物疎開作業で被爆し、顔は焼けただれ、大きく腫れ上がり、眉毛や睫毛は焼け、制服は熱線でぼろぼろとなった下級生の懇願に、「重傷者に水をやると死ぬぞ。」と止められ、「耳をふさぐ思いで水を飲ませなかったのです。死ぬと分かっていれば存分に飲ませてあげられたのに。」と悔やみ続けています。

 あまりにも凄絶な体験ゆえに過去を多く語らなかった人々が、年老いた今、少しずつ話し始めています。「本当の戦争の残酷な姿を知ってほしい。」と訴える原爆孤児は、廃墟の街で、橋の下、ビルの焼け跡の隅、防空壕などで着の身着のままで暮らし、食べるために盗みと喧嘩を繰り返し、教育も受けられずヤクザな人々のもとで辛うじて食いつなぐ日々を過ごした子どもたちの暮らしを語ります。

 また、被爆直後、生死の境をさまよい、その後も放射線による健康不安で苦悩した当時6歳の国民学校1年生は「若い人に将来二度と同じ体験をしてほしくない。」との思いから訴えます。海外の戦争犠牲者との交流を通じて感じた「若い人たちが世界に友人を作ること」「戦争文化ではなく、平和文化を作っていく努力を怠らないこと」の大切さを。

 子どもたちから温かい家族の愛情や未来の夢を奪い、人生を大きく歪めた「絶対悪」をこの世からなくすためには、脅し脅され、殺し殺され、憎しみの連鎖を生み出す武力ではなく、国籍や人種、宗教などの違いを超え、人と人との繋がりを大切に、未来志向の対話ができる世界を築かなければなりません。

 ヒロシマは、世界中の誰もがこのような被爆者の思いを受け止めて、核兵器廃絶と世界平和実現への道を共に歩むことを願っています。

 人類の未来を決めるのは皆さん一人一人です。「あの日」の凄惨を極めた地獄や被爆者の人生を、もしも自分や家族の身に起きたらと、皆さん自身のこととして考えてみてください。ヒロシマ・ナガサキの悲劇を三度繰り返さないために、そして、核兵器もない、戦争もない平和な世界を築くために被爆者と共に伝え、考え、行動しましょう。

 私たちも力を尽くします。加盟都市が6200を超えた平和首長会議では世界各地に設けるリーダー都市を中心に国連やNGOなどと連携し、被爆の実相とヒロシマの願いを世界に拡げます。そして、現在の核兵器の非人道性に焦点を当て非合法化を求める動きを着実に進め、2020年までの核兵器廃絶を目指し核兵器禁止条約の交渉開始を求める国際世論を拡大します。

 今年4月、NPDI(軍縮・不拡散イニシアティブ)広島外相会合は「広島宣言」で世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛けました。その声に応え、オバマ大統領をはじめ核保有国の為政者の皆さんは、早期に被爆地を訪れ、自ら被爆の実相を確かめてください。そうすれば、必ず、核兵器は決して存在してはならない「絶対悪」であると確信できます。その「絶対悪」による非人道的な脅しで国を守ることを止め、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりに全力で取り組んでください。

 唯一の被爆国である日本政府は、我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があります。そして、今後も名実ともに平和国家の道を歩み続け、各国政府と共に新たな安全保障体制の構築に貢献するとともに、来年のNPT再検討会議に向け、核保有国と非核保有国の橋渡し役としてNPT体制を強化する役割を果たしてください。また、被爆者をはじめ放射線の影響に苦しみ続けている全ての人々に、これまで以上に寄り添い、温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう求めます。

 今日ここに、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向け、世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

 平成26年(2014年)8月6日

 広島市長 松井一実

via: 平和宣言の全文 - 日本経済新聞

69回目の広島原爆忌を迎えました。

広島市の平和記念公園では雨の中
平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)が開かれ
約4万5千人が犠牲者を悼み、平和を誓いました。

被爆二世でもある松井市長は平和宣言の中で
被爆者の高齢化が進んでいることに触れ
被爆体験と核兵器廃絶への思いを
広く共有することの重要性を訴えました。

注目された「集団的自衛権」については
事前に公表された骨子の通り、言及しませんでしたが
昨年に引き続き、核兵器を「絶対悪」と表現し
被爆国として核兵器廃絶と被爆者への更なる支援を
日本政府の役割として強く求めました。

一方、長崎市の田上市長は
9日の平和祈念式典で読み上げる長崎平和宣言で
集団的自衛権の行使容認に触れ
戦争につながるものとの懸念を表明する予定です。

松井市長は、平和主義をう謳うことで
立ち位置を明確にできるとし、
田上市長は、現状を明確に伝えるため
言葉を入れた方が伝わりやすいとしています。

たとえ表現は違っていても
両市ともに「非核」「不戦」への思いは変わりなく
被曝地として恒久平和への願いは共通だと思います。

しかし、不本意にも表面化しないところで
政治権力が働いている可能性を払拭し切れない以上、
市民として政府の動きに注意していなければなりません。

先の戦争が一部権力の煽動によって激化したことは
教訓にすべき史実であるからです。

個人的には、集団的自衛権の問題について
現段階では是非を明確にするつもりはありません。

あまりにも市民の間で議論が不足している今の状況で
結論めいたことを主張できないと考えています。

そういう意味では
今日の広島原爆忌についても同様に
報道や議論があまりにも少なすぎます。

ヒロシマ・ナガサキを忘れてはならない!
日本人の大半は、そう考えているはずです。

多くの外国人も同意していると思います。

ただでさえ年々風化してゆくにも関わらず
マスコミに取り上げられる時間は減る一方です。

平和宣言の内容もさることながら
まずは、原爆忌について改めて知らしめること、
被曝国としての役割や被曝者への支援、
核兵器廃絶などについての情報を増やして
市民が議論できる環境を整備することが必要です。

そして、われわれ市民は
マスコミや政府の流す一面的な情報だけに流されず
できる限り多角的に情報をとらえる努力を怠らず
自分の頭で考え、判断する姿勢が必要です。

そのような姿勢で自立的な市民とならなければ
集団的自衛権の問題についても真意を理解できず
偏った情報に翻弄されてしまうかもしれません。

理想とはかけ離れた政治的な駆け引きが
繰り広げられているかと思うと嘆かわしくなりますが、
決して諦めることなく
人としてあるべき姿を
永く後世に伝えていかねばならない!
そう強く感じています。

2014年 原爆死没者慰霊式・平和祈念式

 

●1年前の今日:原爆は「絶対悪」

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被爆国の原点に返れ


長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
長崎市長の長崎平和宣言(2013/8/9)

 68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が1発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力はすさまじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていたまちは一瞬で廃虚となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。

 このむごい兵器をつくったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。

 日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。

 今年4月、ジュネーブで開催された核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80カ国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。

 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。

 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。

 NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。

 日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。

 非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

 核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。

 2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。

 しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

 核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけに任せるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。

 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。

 若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。

 あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。

 地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。

 長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

 東京電力福島第1原子力発電所の事故は、いまだ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。

 先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。

 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意をささげ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。

 2013年8月9日

 長崎市長 田上富久

via: 【長崎・原爆の日】「平和宣言」の全文 - MSN産経ニュース
ウェブ魚拓 【1】 【2】 【3】 【4】

長崎に原爆が投下されてから
68年が経過しました。

平和祈念式典には約5800人が参列し
原爆投下時刻の午前11時2分
黙祷を捧げて犠牲者を悼みました。

長崎市長の田上富久氏は平和宣言で
政府が核兵器の非人道性を訴える共同声明に
賛同しなかったことを強く批判し
被爆国としての原点に返ることを繰返し求めました。

先日の松井広島市長の平和宣言と同様に
日本政府の原子力政策について
痛烈に批判する内容となっています。

それだけでなく
被爆国の原点に立ち返って
被爆国としての責務を果たすこと
という志が明確に打ち出されています。

これは、同式典に参列した安倍首相の
二枚舌的なスピーチとは違って
凛とした姿勢と強靭な意志が感じられます。

安倍首相あいさつ全文=長崎原爆忌:時事ドットコム

もちろん
国政と地方自治では立場が違います。

政治に限らず
大きな影響を及ぼすことに関しては
すべてを公明正大に正論を貫くだけでは
成し遂げられないこともあるでしょう。

キレイ事だけでは済まないことや
光とともに闇の存在を認めることも
避けて通れない事情があることも解ります。

けれども
とるべき進路の先にある
目指す成果の核心部分については
国民の意志として常に明確にし
決してブレることがあってはなりません。

妥協もやむを得ない時が訪れたとしても
決して譲ることのできない条件というものを
忘れてしまってはなりません。

被爆国の原点

これこそ
決して忘れてはならない
譲ることのできない絶対条件です。

外交上、やむを得ず
理不尽な態度を取らざるをえないことも
少なからずあるかとは思いますが
被爆国の原点は絶対に譲れない!
という姿勢だけは堅持することを
政府関係者には強く希望します。

被爆国の原点に返れ

 

●1年前の今日:赤ちゃんゾウがかわゆ過ぎる件

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原爆は「絶対悪」

 「あの日」から68年目の朝が巡ってきました。1945年8月6日午前8時15分、一発の原子爆弾によりそのすべてを消し去られた家族がいます。「無事、男の子を出産して、家族みんなで祝っているちょうどその時、原爆が炸裂(さくれつ)。無情にも喜びと希望が、新しい『生命』とともに一瞬にして消え去ってしまいました」

 幼くして家族を奪われ、辛うじて生き延びた原爆孤児がいます。苦難と孤独、病に耐えながら生き、生涯を通じ家族を持てず、孤老となった被爆者。「生きていてよかったと思うことは一度もなかった」と長年にわたる塗炭の苦しみを振り返り、深い傷跡は今も消えることはありません。

 生後8カ月で被爆し、差別や偏見に苦しめられた女性もいます。その女性は結婚はしたものの1カ月後、被爆者健康手帳を持っていることを知った途端、優しかった義母に「『あんたー、被爆しとるんねー、被爆した嫁はいらん、すぐ出て行けー』と離婚させられました」。放射線の恐怖は、時に、人間の醜さや残忍さを引き出し、謂れのない風評によって、結婚や就職、出産という人生の節目節目で、多くの被爆者を苦しめてきました。

 無差別に罪もない多くの市民の命を奪い、人々の人生をも一変させ、また、終生にわたり心身を苛(さいな)み続ける原爆は、非人道兵器の極みであり「絶対悪」です。原爆の地獄を知る被爆者は、その「絶対悪」に挑んできています。

 辛く厳しい環境の中で、被爆者は、怒りや憎しみ、悲しみなどさまざまな感情と葛藤し続けてきました。後障害に苦しみ、「健康が欲しい。人並みの健康を下さい」と何度も涙する中で、自らが悲惨な体験をしたからこそ、ほかの誰も「私のような残酷な目にあわせてはならない」と考えるようになってきました。被爆当時14歳の男性は訴えます。「地球を愛し、人々を愛する気持ちを世界の人々が共有するならば戦争を避けることは決して夢ではない」

 被爆者は平均年齢が78歳を超えた今も、平和への思いを訴え続け、世界の人々が、その思いを共有し、進むべき道を正しく選択するよう願っています。私たちは苦しみや悲しみを乗り越えてきた多くの被爆者の願いに応え、核兵器廃絶に取り組むための原動力とならねばなりません。

 そのために、広島市は、平和市長会議を構成する5700を超える加盟都市とともに、国連や志を同じくするNGOなどと連携して、2020年までの核兵器廃絶をめざし、核兵器禁止条約の早期実現に全力を尽くします。

 世界の為政者の皆さん、いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。威嚇によって国の安全を守り続けることができると思っているのですか。広島を訪れ、被爆者の思いに接し、過去にとらわれず人類の未来を見据えて、信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきではないですか。広島は、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する地であると同時に、人類の進むべき道を示す地でもあります。また、北東アジアの平和と安定を考えるとき、北朝鮮の非核化と北東アジアにおける非核兵器地帯の創設に向けた関係国の更なる努力が不可欠です。

 今、核兵器の非人道性を踏まえ、その廃絶を訴える国が着実に増加してきています。また、米国のオバマ大統領は核兵器の追加削減交渉をロシアに呼び掛け、核軍縮の決意を表明しました。そうした中、日本政府が進めているインドとの原子力協定交渉は、良好な経済関係の構築に役立つとしても、核兵器を廃絶する上では障害となりかねません。広島は、日本政府が核兵器廃絶をめざす国々との連携を強化することを求めます。そして、来年春に広島で開催される「軍縮・不拡散イニシアティブ」外相会合においては、NPT体制の堅持・強化を先導する役割を果たしていただきたい。また、国内外の被爆者の高齢化は着実に進んでいます。被爆者や黒い雨体験者の実態に応じた支援策の充実や「黒い雨降雨地域」の拡大を引き続き要請します。

 この夏も、東日本では大震災や原発事故の影響に苦しみながら故郷の再生に向けた懸命な努力が続いています。復興の困難を知る広島市民は被災者の皆さんの思いに寄り添い、応援し続けます。そして、日本政府が国民の暮らしと安全を最優先にした責任あるエネルギー政策を早期に構築し、実行することを強く求めます。

 私たちは、あらためてここに68年間の先人の努力に思いを致し、「絶対悪」である核兵器の廃絶と平和な世界の実現に向け力を尽くすことを誓い、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げます。

 平成25年8月6日

 広島市長 松井一実

via: 【広島原爆忌】「平和宣言」の全文 - MSN産経ニュース
ウェブ魚拓 【1】 【2】 【3】

68回目の広島原爆忌を迎えました。

広島市の平和記念公園では
平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)が開かれ
約5万人が犠牲者を悼み、平和への誓いを新たにしました。

平和宣言で被爆二世の松井市長は
無差別に命を奪い、心身を終生さいなむ原爆を
非人道兵器の極みであり「絶対悪」と強調しました。

松井市長は従前から
「原爆と原発は別のものだ。
 人殺しのための絶対悪の核兵器と
 エネルギー造成のための技術は
 きちっとした区分けが必要。」
との主張をされていましたが
これについては盛り込まれませんでした。

何か政治的圧力に対する配慮が
あったのではないかと懸念されます。

また、松井市長は今年4月
NPT再検討会議の準備委員会が開かれたスイスで
核兵器の非人道性を訴える共同声明に署名するよう
政府に迫ったことがあります。

ですが、その要請は認められず
「広島から強いメッセージを打ち出すべきだ」と
語ったと言われています。

そして今年の平和宣言の中では
参列した安倍晋三首相を前に
NPT体制の外で核開発を進めるインドに対し
原子力技術の移転をめざす日本政府の姿勢に
明確に懸念を表明しています。

核兵器廃絶は国の役割である旨については
これまで政府ヘの批判を避けていましたが
今回は圧力に屈することなく
かなり踏み込んだ内容になっていたと思います。

毎年この時期になると
恒久的平和や核兵器廃絶への理想が訴えられますが
その影で理想とはかけ離れた政治的な駆け引きが
繰り広げられているかと思うと嘆かわしくなります。

しかし
このような実態に匙を投げてしまうことなく
一歩でも理想に近づけるように努力を絶やさず
あるべき姿を忘れることのないよう
永く後世に伝えていかねばならないと
改めて強く感じています。

2013年68回目の広島原爆忌・平和宣言

 

●1年前の今日:人学ばざれば道を知らず

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人学ばざれば道を知らず

大和の後部が白煙を上げているのが私にも分かりました。
なおも攻撃が続けられ、魚雷が的中した時は
震度5にも感じられるほど激しく揺れました。

次第に船は傾いていきます。

砲術学校では、戦艦は十五度傾いたら限界と習ってきましたが、
二十五度、三十度とどんどん傾いていきます。
それでも、戦闘中は命令がない限り
持ち場を離れることはできません。

その時「総員、最上甲板へ」との命令が出ました。
軍には「逃げる」という言葉はありませんが、
これが事実上「逃げろ」という意味です。

すでに大和は五十度ほど傾いていましたが、
この時初めて、「大和は沈没するのか」と思いました。
それまでは本当に「不沈戦艦」だと思っていたのです。

もう海に飛び込むしかない。

そう思った時、衝撃的な光景を目の当たりにしました。


私が仕えていた少尉が日本刀を抜いたかと思うと、
自分の腹を掻っ捌いたのです。

噴き出す鮮血を前に、私は凍り付いてしまいました。

船はますます傾斜がきつくなっていきました。
九十度近く傾いた時、私はようやく海へ飛び込みました。
 

* *

 
飛び込んだのも束の間、沈む大和が生み出す渦の中へ
巻き込まれてしまいました。
その時、私の頭に過ったのは海軍で教わった
「生きるための数々の方策」です。

海軍に入ってからというもの、私たちが教わったのは、
ひたすら「生きる」ことでした。海で溺れた時、
どうしても苦しかったら水を飲め。

漂流した時は体力を消耗してしまうから泳いではならない……。
陸軍は違ったのかもしれませんが、海軍では
「お国のために死ね、天皇陛下のために死ね」などと
言われたことは一度もありません。

ひたすら「生きること、生き延びること」を教わったのです。

だからこの時も海の渦に巻き込まれた時の対処法を思い返し、
実践しました。しかしどんどん巻き込まれ、
あまりの水圧と酸欠で次第に意識が薄れていきます。

その時、ドーンという轟音とともに
オレンジ色の閃光が走りました。
戦艦大和が大爆破したのです。
そこで私の記憶はなくなりました。
 

* *

 
気づいたら私の体は水面に浮き上がっていました。
幸運にも、爆発の衝撃で水面に押し出されたようです。

しかし、一所懸命泳ぐものの、次第に力尽きてきて、
重油まみれの海水を飲み込んでしまいました。

「助けてくれ!」と叫んだと同時に、
なんともいえない恥ずかしさが込み上げてきました。
この期に及んで情けない、誰にも聞かれてなければいいが……。

すると、すぐ後ろに川崎勝己高射長がいらっしゃいました。
「軍人らしく黙って死ね」と怒られるのではないか。

そう思って身構える私に、彼は優しい声で


「落ち着いて、いいか、落ち着くんだ」


と言って、自分がつかまっていた丸太を押し出しました。
そして、なおもこう言ったのです。

「もう大丈夫だ。おまえは若いんだから、頑張って生きろ」

四時間に及ぶ地獄の漂流後、駆逐艦が救助を始めると、
川崎高射長はそれに背を向けて、
大和が沈んだ方向へ泳ぎ出しました。

高射長は大和を空から守る最高責任者でした。
大和を守れなかったという思いから、
死を以て責任を取られたのでしょう。

高射長が私にくださったのは、浮きの丸太ではなく、
彼の命そのものだったのです。

via: 人間力.com
『致知』2006年8月号 特集「人学ばざれば道を知らず」より

せめて、この時期くらいは、
改めて 史実に目を向け、戦没者への哀悼の意を表し、
戦争と平和、日本人などについて学び直したい。

できる限りのことを後世に伝え遺していきながら、
「これからの自分たちは、いかに生きるべきか」を
いつも心の根に抱き、意識し合っていきたい。

それこそが、日本人に与えられた使命であり
日本人が 知り、深め、体得し、伝えていくべき「叡智」。

昭和六十年のことです。

いつもピアノの発表会などでお会いしていた女性から
喫茶店に呼び出されました。

彼女は辺見さんが書かれた『男たちの大和』を取り出し、
こう言ったのです。


「八杉さん、実は川崎勝己は私の父です」


驚いたなんていうものじゃありません。
戦後、何とかしてお墓参りをしたいと思い、
厚生省など方々に問い合わせても何の手がかりもなかったのに、
前から知っていたこの人が高射長のお嬢さんだったなんて……。

念願叶って佐賀にある高射長の墓前に
手を合わせることができましたが、
墓石には「享年三十一歳」とあり、驚きました。
もっとずっと年上の人だと思い込んでいたからです。

その時私は五十歳を超えていましたが、
自分が三十一歳だった時を思い返すと
ただただ恥ずかしい思いがしました。

そして不思議なことに、それまでの晴天が
急に曇天となったかと思うと、突然の雷雨となり、
まるで「十七歳のあの日」が巡ってきたかのようでした。

天皇も国家も関係ない、自分の愛する福山を、
そして日本を守ろうと憧れの戦艦大和へ乗った感動。

不沈戦艦といわれた大和の沈没、
原爆投下によって被爆者になる、そして敗戦。
そのすべてが十七歳の時に一気に起こったのです。

十七歳といえば、いまの高校二年生にあたります。

最近は学校関係へ講演に行く機会もありますが、
現在の学生の姿を見ると、明らかに戦後の教育が
間違ったと思わざるを得ません。

いや、生徒たちだけではない。
間違った教育を受けた人が先生となり、親となって、
地域社会を動かしているのです。

その元凶は昭和史を学ばないことに
あるような気がしてなりません。

自分の両親、祖父母、曾祖父母が
どれほどの激動の時代を生きてきたかを知らず、
いくら石器時代を学んだところで、
真の日本人にはなれるはずがない。

現に「日本に誇りを持っていますか」と聞くと、
学校の先生ですら「持ってどうするんですか?」と
真顔で聞き返すのですから。

よく「日本は平和ボケ」などと言われますが、
毎日のように親と子が殺し合うこの日本のどこが平和ですか?

確かに昔も殺しはありました。
しかし、「殺してみたかった」などと、
意味もなく殺すことは考えられませんでした。

真の平和とは、歴史から学び、つくり上げていくほかありません。
鶴を折ったり、徒党を組んでデモをすれば
天から降ってくるものではないのです。

しかし、一流の国立大学の大学院生ですら、

「昭和史は教えてもらっていないので分かりません」

と平気で言います。

ならば自分で学べと私は言いたい。
自分で学び、考えることなしに、
自分の生きる意味が分かるはずがないのです。

人として生きたなら、その証を残さなければなりません。
大きくなくてもいいのです。

小さくても、精一杯生きた証を残してほしい。
戦友たちは若くして戦艦大和と運命をともにしましたが、
いまなお未来へ生きる我々に大きな示唆を与え続けています。

復員後、長く私の中に渦巻いていた
「生き残ってしまった」という罪悪感。

それはいま使命感へと変わりました。

私の一生は私だけの人生ではなく、
生きたくても生きられなかった戦友たちの人生でもあるのです。

うかうかと老年を過ごし、死んでいくわけにはいきません。
未来の日本を託す若者たちが歴史を学び、
真の日本人になってくれるよう私は大和の真実を語り続け、
いつか再び戦友たちに会った時、
「俺も生かされた人生でこれだけ頑張った」と
胸を張りたいと思います。

via: 人間力.com
『致知』2006年8月号 特集「人学ばざれば道を知らず」より

玉不琢不成器 人不学不知道

 

●1年前の今日:知のジムナスティックス

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長崎 映像の証言


The photoes of NAGASAKI (原爆投下直後の長崎) 1/5


The photoes of NAGASAKI (原爆投下直後の長崎) 2/5


The photoes of NAGASAKI (原爆投下直後の長崎) 3/5


The photoes of NAGASAKI (原爆投下直後の長崎) 4/5


The photoes of NAGASAKI (原爆投下直後の長崎) 5/5

 
2008年8月6日の記事
このように書いたことがある。

戦争や原爆をテーマにした本や映画は、
ショッキングで恐ろしい描写が多い。

戦争の悲惨を伝えることは大切だと思うし、
原爆の恐ろしさを伝えたいのは…  わかる。

被爆国の日本であっても
充分に知らない人が多いし、
他人事になっている感もある。

でも...
実際のところ、それで伝わるものは何か?

---(中略)---

事実を伝えることの 本来の意図は、
「これからの自分たちは、いかに生きるべきか」
それを意識しあうことにあるはずであって、
そうならない方法での伝え方は
そろそろ考え直してもイイように思う。

 
今でも、その思いは変わらない。

ただ、今年は、
原発事故という一大事が起こった今年は、
事故の真相が明らかにされない今年は、
二次被害の防止策が充分だと思えない今年は、

核の1つの横顔として
原爆の惨事を改めて認識し直した方が良いと思う。

むやみに危機感を煽るという意味ではなく、
歴史的な事実から目を逸らさないという意味で、
核の恐ろしい一面について再確認することは、
今、最も重要なことの1つだと思う。

 

●1年前の今日:餃子づくりデビュー

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知のジムナスティックス

知のジムナスティックス

昨晩、
大阪大学コミュニケーションデザイン・センターが主催する
知のジムナスティックス~学問の臨床、人間力の鍛錬とは何か~
という公開講座に参加した。

生きる為の智恵と術に長けた多分野のゲストと学生有志を交えた
ラウンドテーブル形式のシンポジウム型講座で、
18時から3時間半(予定では3時間)にも及ぶ
新たな視点や気づきの多い、刺激的なイベントだった。

七大陸最高峰登頂、人力踏破の写真家の 石川直樹さん、
原子力工学研究の第一人者、東北大名誉教授、北村正晴さん、
ソーシャルプロデューサー、文部科学副大臣、鈴木寛さん、
ドキュメンタリー映画監督で作家の 森達也さん、
文章表現・コミュニケーションインストラクター、山田ズーニーさん、
哲学者、大阪大学総長、鷲田清一さん、
そして、東北大、阪大、京大、神大の院生・学部生5名、
進行役は、阪大CSCD教授・小林傳司さん。

現在を如何に乗り越え、未来を生きていけるのか。
バラエティ豊かで知的好奇心をくすぐるパネラーによって、
知性の体力や耐性/複眼をもつこととしての教養と
人生における学びの重要性について議論が展開された。

 
手垢のついた知、感情が大切

知とは、体一つで向き合うこと

ブリコラージュ

聞くことの力

だよねじゃないところから議論してみる

知ることが怖い

問いを見つける

立脚点を明確にする

大学が工業化している

ダイナミックに変化して行く時代に
権利、義務、保証などというものはそぐわない

インターネットはベストエフォート

大学に入って世界が広がったと思っていたが、
本質的な学びは田舎でもできたように思う

教育がサービスになってからおかしくなった

パスワークしかしてこなかった

現代と結びついた学問をやって行きたい

先の大震災は、見て見ぬふりをしてきた現実を
目の当たりにさせられる機会になった

・・・など、
新たな視点や気づきを得るとともに、
薄ぼんやりと感じていたことを確信させキーワードに触れ、
ギャラリーの1人でしかないにも関わらず
ラウンドテーブルに どっぷりと浸からせていただいた。

 
そして、今日は、広島原爆投下忌。

唯一の被爆国であると言われながらも
年々風化していく惨事の記憶。

今年は奇しくも未曾有の大震災の被害を受け、
あってはならない原発の大事故を目の当たりにし
原爆投下への関心がやや高まったように思う。

しかし、それは、
未だに終息の目処がたたない放射能汚染への関心であり、
原発の存続に関する利害についての関心であり、
政局運営のための政治的な関心であって、
戦争や人権などに対しての関心ではないように見える。

ある一面で、前向きな姿勢であると言えなくはないが、
歴史に目を背け省みない愚行である色合いが強い。

 
なぜ、このようなことが繰り返されるのか?
どうすれば、同じ過ちを繰り返さずに済むのか?

 
その疑問に答え、改善できる余地があるとすれば、
まさに それが 「人智」 ではないだろうか?

 
この時期は、広島・長崎原爆投下忌、終戦の日と、
大切な問題を考え直し、「人智」を養うための機会が
われわれ日本人には与えられている。

震災や原発事故の対策は最重要課題ではあるけれど、
せめて、この時期くらいは、
改めて 史実に目を向け、戦没者への哀悼の意を表し、
戦争と平和、日本人などについて学び直したい。

できる限りのことを後世に伝え遺していきながら、
「これからの自分たちは、いかに生きるべきか」を
いつも心の根に抱き、意識し合っていきたいと思う。

それこそが、日本人に与えられた使命であり
日本人が 知り、深め、体得し、伝えていくべき
「知」というものではないか。

昨晩の講座を受けて迎えた66回目の広島原爆投下忌。
今、改めて、そう確信している自分の責任の重さを感じた。

 

●1年前の今日:花があったら

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被爆ピアノ

被爆ピアノ

 広島で原爆に遭ったピアノを使うコンサートが各地を巡り始めて5年になる。北海道から沖縄まで200カ所近くを回った。九州では今年は4月に初めて熊本で開かれた

▼「被爆ピアノ」は数台ある。爆心地から2キロ前後の民家や小学校などで爆風にさらされた。ガラス片が刺さった無数の傷あとは当時のまま。鍵盤が一部傷んだものもある。音は64年前と変わらない

▼ピアノ調律師の矢川光則さん(広島市在住)が、修理を託されたピアノを再生する日々の中で、「被爆60年」を機に巡回演奏会を思い立った。それまでは2001年から毎年8月6日に広島で開いていた

▼巡回先では子どもたちも待っている。実際に弾いてみたり、ピアニストの伴奏に合わせて歌ったりする。ピアノの傷あとにも触れてもらう。「戦争が二度と起きませんようにと祈って歌いました」。そんなふうに話す子もいるという

▼昨年は長崎でも開かれた。原爆で多くの児童が亡くなった長崎市内の山里小で開かれた。医師として被爆者救護に尽くして逝った永井隆博士が同小児童のために作詞した「あの子」を全校児童で合唱した。〈壁に残ったらくがきの おさない文字のあの子の名…〉

▼惨禍をくぐり抜けた楽器と命を思う子どもたちの心が共鳴して和音を奏でてきた。6日のヒロシマ、9日のナガサキ、そして終戦の日と続く鎮魂の季節に、大人たちは何を思い何を誓うかと蝉(せみ)時雨が言う。

2009/08/06付 西日本新聞朝刊

 
オバマや麻生のパフォーマンスなんかよりも
ずっと意味のある地道な活動だと思う。

人の記憶や歴史認識は風化が早い。

遺物の方が多少なりとも永くもつ。

できるだけ多くの人が
このピアノに触れることによって
さらに風化を遅らせることができるかもしれない。

 
このコンサートのことは
今日まで まったく知らなかった。

知らなかったことが悔しい。

そして、
なにか恥ずかしい気分になった。
 

立派な国民がいれば政治も立派なものになり、
国民が無知と腐敗から抜け出せなければ
劣悪な政治が幅をきかす。

国家の価値や力は国の制度ではなく
国民の質によって決定されるのである。

自助論

 
やはり!

私たちの 最も深い罪は

無知 だと思う。

知的好奇心だけじゃなく
責任ある役割としての勉強を心がけたい。

 

 

●1年前の今日:何としても語り継ぎたい!

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何としても語り継ぎたい!

戦争や原爆をテーマにした本や映画は、
ショッキングで恐ろしい描写が多い。

戦争の悲惨を伝えることは大切だと思うし、
原爆の恐ろしさを伝えたいのは…  わかる。

被爆国の日本であっても
充分に知らない人が多いし、
他人事になっている感もある。

 
でも...
実際のところ、それで伝わるものは何か?

 
これまで何度も…
ショッキングな内容や
目を背けたくなるような映像を見せられて、
ちゃんと向き合わなくちゃと教えられてきた。。。

 
果たして…
つい!そういうものを避けようとしてしまったり、
うわべだけの反戦メッセージだけが一人歩きしてしまったり、
ゲームの世界と同化させてしまったり、
そういうことを助長しているような…  気がする。

 
事実を伝えることの 本来の意図は、
「これからの自分たちは、いかに生きるべきか」
それを意識しあうことにあるはずであって、
そうならない方法での伝え方は
そろそろ考え直してもイイように思う。

伝わらなければ、存在しないのと同じ...
そうは させたくない! させてはならない!

 

そういう意味で、
この本のスタンスは、非常に参考になりますね。

 
 

●1年前の今日:プチコ de ギョウザ

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