元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

EDIT

知っていますか?「認知症サポーター」

認知症サポーター養成講座

今日の午後、
「認知症サポーター養成講座」を受講しました。

縁あって地域包括支援センターで
介護サービスなどのお話を伺っていたのですが
その流れで認知症についても話題にあがりました。

認知症の実態やや患者への応対などの説明を受け
DVDを観たりしているうちに
オレンジ色のリングが配布されました。

すると・・・
「今日から あなたも認知症サポーターです!」
と言われました。

えっ? 何?
と、一瞬ひるみましたが…
これが養成講座だったんだと気づききました。

というわけで…
受講しました  というよりは
ひょんなことから気がついたら
受講してしまっていた  の方が正確ですね^^;

なにはともあれ
今日からオレンジリング保持者ですww

認知症サポーター事業は
高齢者人口の増加による認知症対策として
厚生労働省が2005年から始めたものです。
6時間の講座を受けた「キャラバン・メイト」が講師となって
一般市民を対象に「認知症サポーター養成講座」を開きます。

この「認知症サポーター養成講座」を受講した人が
「認知症サポーター」と呼ばれます。

90分の養成講座で認知症の基礎知識を身につけ
地域で認知症の人を支えることを目指しています。

認知症サポーターは
何か「特別なこと」を行うわけではありません。

講座を通じて認知症を正しく理解し、
偏見を持たず、自分のできる範囲で
認知症の方やその家族を応援するのが認知症サポーターです。

地域や職場で、どんな支援ができるのか
一人ひとりが考えていくことが大切です。

  • 友人や家族に認知症の正しい知識を伝える
  • 認知症の人やその家族の気持ちを理解するよう努める
  • 職場で働きながら、地域で生活しながら、できる範囲で手助けをする

活動内容は人それぞれ、
ちょっとした気遣いや見守りが
地域の大きな支えになります。

認知症サポーターにはその「目印」として
「オレンジリング」が付与されています。

具体的な対応・7つのポイント

  1. まずは見守る
  2. 余裕をもって対応する
  3. 声をかける時は1人で
  4. 後ろから声をかけない
  5. 相手に目線を合わせてやさしい口調で
  6. おだやかに、はっきりした滑舌で
  7. 相手の言葉に耳を傾けてゆっくり対応する

認知症の人への対応の心得・3つの「ない」

  1. 驚かせない
  2. 急がせない
  3. 自尊心を傷つけない

こうして見てみると
当たり前のことのようで
とっさの時には難しいことですね。

普段から意識を持って
練習しておく必要があると思います。

そして
このことは認知症患者に対してだけでなく
コミュニケーション全般に共通しているこです。

どんな人に対してであっても
日頃から このようなことに気をつけることで
いざ認知症の方と接する機会が訪れたとしても
自然にサポートができるのではないでしょうか。

既に全国で410万人以上が
「認知症サポーター養成講座」を受講したとのことです。

専門の知識や技能を認定する資格ではなく
老若男女を問わず常識として誰でも知っておくべき講座内容です。

チャンスがあれば、ぜひ受講してみてください。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

 

●1年前の今日:微笑ましさに隠された切なさ…

コメント:2 | TB:0 【しあわせメモ♪】  学び 老い 応援 傾聴 コミュニケーション 

ページTOPへ↑

EDIT

「聴き上手」になるには…

ときどき…
「聴き上手」になるにはどうすればイイですか?
という質問をされることがあります。

「聴き上手」というと
聴き方が上手いということだと思われがちですが
実は、聴き方の技術が高いかどうかではなくて
聴きたい欲求が強いかどうかというところに
かかっているのだと思うのです。

つまり、
相手に興味があるかどうか?

興味のない相手の話を
積極的に聴くことは難しいし、
たとえ訓練によって聴けるようになったとしても
その相手が表現しないでいる内なる声を聴くことは
なかなかできないものです。

確かに、聴き方にも いくつかのポイントがあって
そのポイントを押さえて注意を向けることによって
相手が表現したことを理解することは可能です。

けれども、
「聴き上手」な人というのは、それにとどまらず
相手が表現しなかったことまで理解できたり
共感していることを相手に伝えることができたり
相手が更に多くのことを表現しようという気にさせ
コミュニケーションが拡がっていったり
深まっていったりすることが少なくありません。

その差は、やはり!
相手に興味があるかどうか?

好奇心旺盛な心の状況というのが
いわゆる「聴き上手」ということなのだと思うのです。

「聴く」という行為にこだわらず、とどまらず、
知りたい… 関わりたい… という欲求が
自分自身の心を開き、相手の心も開いて
意思疎通が活性化する可能性が高まるのです。

そういう意味で、「聴き上手」な人というのは
「好きこそものの上手なれ」を地でいく人です。

というわけで、
「聴き上手」になるには…と訊かれたなら
「相手を好きになること」とでも答えるほかありません。

これでは、現実的なノウハウではありませんが
テクニックの世界ではないという意味なのだと思います。

言い方を変えると、
テクニックが必要なのではなく
好奇心旺盛な人であれば誰でも
「聴き上手」になれるということです。

聴く態度や技術を磨くことは
とても有意義なことであると思いますが、
「聴き上手」を目指すのであれば、まず、
何にでも興味を持って触れてみることを繰り返し
好奇心旺盛なキモチを養うのが良いのかもしれません。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

あなたを・もっと・知りたくて

 

●1年前の今日:ハンロンの剃刀

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  コミュニケーション 聴く 好奇心 傾聴 テクニック  

ページTOPへ↑

EDIT

なんと読むか わかりますか?

聴す

コレ、なんと読むか わかりますか?

知っている人にはカンタンな問題かもしれません。

でも、
日常、あまり使わない書き表し方ですよね。

実は、そういう自分も
最近まで 知りませんでした(^^ゞ

そして、
この読み方を知った瞬間、
思わず、膝を打って 納得してしまいました。

普段から知っている文字の意味と
この読みが意味するところが
あまりにも敵っていることに驚きました。

衝撃的な共感を覚えました。

聴す   と書いて

ゆるす   と読むんです!

スゴイでしょ!

何が スゴイって?

「聴く」ことは 「ゆるす」ことなんです。

これまで 十数年間 「聴く」ことを追求してきました。

「聴かれる」ということは「認められる」ことであり、
「聴く」ということは「認め、尊重する」ということ。

そのことに気がついて以来、ずっとベースにあったのが
「聴く」ことは 「ゆるす」ことでした。

まさか、そのことが
そのまんま 字に表されていたなんて・・・!

とっても驚いて、とっても歓んでいます(^^)/

「聴く」ことは 「ゆるす」こと、
「聴く」は受身ではなく能動的な行動、
人は「聴く」人に向かって「話す」、
「聴く」から「伝わる」  ・・・などについて
今では、迷いなく確信を持っていますが、
「聴す」と書いて「ゆるす」と読むことを知った今、
その確信は、さらに揺るぎないものへとなりました。

この確信を改めて胸に熱く刻み直し
これからも「聴く」「聴す」を追求し続けます。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

いや、完全に 思ってる!

では、お気楽に...(^^)/~~~

ゆる・す【許す】

[動サ五(四)]《「緩(ゆる)」「緩(ゆる)い」と同語源》

  1. (「聴す」とも書く)不都合なことがないとして、そうすることを認める。希望や要求などを聞き入れる。「外出が―・される」「営業を―・す」
  2. (「赦す」とも書く)過失や失敗などを責めないでおく。とがめないことにする。「あやまちを―・す」
  3. (「赦す」とも書く)義務や負担などを引き受けなくて済むようにする。免除する。「税を―・す」「兵役を―・す」
  4. 相手がしたいようにさせる。まかせる。「追加点を―・す」「わがままを―・す」「肌を―・す」
  5. そうするだけの自由を認める。ある物事を可能にする。「楽観は―・されない」「時間が―・せば」「事情の―・すかぎり」
  6. 警戒や緊張状態などをゆるめる。うちとける。「気を―・す」「心を―・した友」
  7. 高い評価を与える。世間が認める。「自他ともに―・すその道の大家」
  8. 引き張ったものをゆるめる。
    「猫の綱―・しつれば」〈源・若菜上〉
  9. 捕らえたものを逃がす。
    「つととらへて、さらに―・し聞こえず」〈源・紅葉賀〉

via: ゆるす【許す】の意味 - 国語辞書 - goo辞書

聴す

via: ひでぶー

 

●1年前の今日:みんなちがって みんないい

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  聴く 傾聴 承認 尊重 コトバ 天命  

ページTOPへ↑

EDIT

「私も…」は危うい

「私も…」という言葉は、
「お前も頑張れよ」 と聞こえる時もある

via: 人知れず微笑まん

 
うん  そうやねん
「私も…」は 意外と伝わらない。

「私も一緒」という意味では
受けとってもらえないことが多い。

 
共感を示しているつもりでいても
そんな風にはとってもらえないことが少なくない。

実は、自分のことが話したいだけだったり
表面的にしか理解していないなんていうことや
それでも共感だけは示したいという意図なんかが
見え見えのバレバレで伝わってしまっている。

隠しているつもりなのは本人だけ、
頭隠して尻隠さず状態に陥りやすい。

 
原因は ただ1つ。

コトバと行動が一致していないから。

本当の「私も…」になっていないから。

 
「私も…」を使う場面というのは
他者の話を聞き、それを受けて話すとき。

相手の話を受けなきゃならない場面で
ちゃんと話を聞くことに専念せずに
自分の話に切り替えてしまったのでは
話した相手が覚めてしまうのは もちろん、
自分の話に耳を傾けてもらうことなどできない。

今は、相手が話す場面なのだということを
うっかり忘れてしまっていたり、
ひと通り聞いたのだから今度はコチラから…
などと一方的に話を切り替えてしまうことは
いわゆる「話しの腰を折る」こと そのものだ。

他者の話を聞いていて
カンタンに「私も…」と続けることは
意図せずして互いの距離を遠ざけてしまう。

そして、
距離が空いてしまった関係では
「私も…」は
「私もそうだったが乗り切った。お前も頑張れ」
と受け取られても仕方がない。

 
とことん聞いて聞いて聞ききったとき初めて
「私も…」は
「あなたほどではないかもしれないけど、私は…」
と受け取ってもらえるのようになる。

けれども、
とことん聞いて聞いて聞ききるなんてことは
想像以上にカンタンなことではない。

聞いて聞いて聞き過ぎるほどに聞いて
さらに念を押すために聞くくらいまで聞いたつもりでも
相手が聞いてもらったと感じない限りは
聞ききったとは言えないのだから。

聞く場面での「私も…」は、とても危うい。

いや、
聞く場面でしか使わない「私も…」は、いつも危うい。

 
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

 

●1年前の今日:ハッとしては また忘れる...

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  コミュニケーション 聴く コトバ 自我 傾聴 

ページTOPへ↑

EDIT

言葉のない物語


言葉のない物語

 
伝えることばかり意識していても
言葉は伝わらないんだよ。

まず、自分に伝わってなきゃ始まらない。

伝えたいだけの人達の言葉は
五月蝿いだけで ちっとも響かない。

言葉にならない言葉を聴いているからこそ
言葉に頼らないメッセージをおくることができる。

 
いろいろ あるけれど
世の中 捨てたもんじゃない。

あの後、彼は どんな行動で 応えただろうか?

自分なら どんな風に応えるだろうか?

言葉のない物語の続きに 興味津々...

言葉のない物語

 

●1年前の今日:「一音一会」 成尾亜矢子ピアノリサイタル

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  コトバ 伝える 聴く コミュニケーション 傾聴 心の叫び メッセージ 

ページTOPへ↑

EDIT

沈黙を聴く

沈黙

ことばがでてくる前に、
やがてことばになるはずの
元の考えや思いがあって、
それが、でてきたことばよりも大切な
沈黙というものだ。

ほぼ日刊イトイ新聞

 
やがてことばになる...

 
だから 黙って聴く。

 

●1年前の今日:逆効果

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  信頼 傾聴 聴く コミュニケーション 

ページTOPへ↑

EDIT

聴くということ

「目を放しちゃいけない」であるとか、
「じっと見ていればわかる」だとか、
仕事をしていくうえでも、
「見る」の大事さはいつでも言われている。

「見る」は、いかにも主体的な行為で、
「見られる」対象にはたらきかけるという感じです。

それにくらべると、「聞く」のほうは、
「ちゃんと聞け」なんて具合で、
主人公は相手の側で、
「聞く」ほうの人はそれに対して受動的にいるだけ。
一見、なんにもしてないようにも見えます。
耳はまばたきもしないしね、
よく聞いているからといって輝いたりもしない。
だから、どうしても「聞く」って
たいしたことないと思われがちなんだよなぁ。

via: ほぼ日刊イトイ新聞
ダーリンコラム:<聞くは、最高の仕事。>

 
かつて、
「受ける」は「受け身」じゃない
というエントリーで書いたことがあるけど...

「聴く」という行為は、
「わかりたい!」と思うこと…
そのキモチを端的に現すこと…

それは、
とっても積極的で能動的なことなんじゃないかと思う。

だけど、確かに...
たいしたことないと思われがちやねんなぁ
 

だけどね、「聞く」っていうのは、
もう、ほんとにすごいことなんだ。
しかも、誰でもできる。
企業とかに勤めはじめたばかりの新人だったら、
とにかく人の言うことをよく「聞く」だけで、
実にいい仕事をしていることになるんだよ。
「言う」人は、聞かれたいから言ってるんだからね。

 
「言う」人は、聴かれたいから言ってる

そう!

そうやねん!
糸井さん ありがとう!

そして、聴くということは
ホント、誰にでもできること。

ただ ただ 聴くということ。
それだけ。
 

人っていうのは、「聞く」人に向かって話すからね。
こいつは「聞く」な、と思えば、
その人のために、どんなことでも話すようになる。
そういうものなんだ。

 
聴いてくれてないなと感じてしまうと、
「言う」ことをやめてしまう。

だって、
聴かれたいから「言う」のだから。

 
聴けば聴くほどに
このことは実感できる。

自分の聴かれたいキモチはもちろん、
相手の聴かれたいキモチも確認してきた。

 
「言う」人は、聴かれたいから言ってる

「聴く」人も、聴かれたいから聴いてる

 
だから 聴くねん。

だから 聴きたいねん。
 

聴くということ

 

●1年前の今日:カレー屋 !?

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  コミュニケーション 傾聴 聴く コトバ 天命  

ページTOPへ↑

EDIT

情動を味わいつくす

最優先でやるべきは、作者や登場人物の情動回路を自分の脳内で動かすことだと思う。

作者や登場人物になりきって作者や登場人物の目から見える世界を思い浮かべ、

作者や登場人物が感じた息苦しさ、悔しさ、理不尽さ、憤りを自分も味わってみることだ。

それも、作者や登場人物の背の高さ、体の重さ、姿勢の歪みからくるにぶい苦痛、自分の筋肉や骨や間接や胃や腸やさまざまな内臓が蠢いたり痛んだりする生々しい感覚、汗で服が皮膚に貼り付く不快感、まさぐられ、押さえつけられる苦痛、抵抗できない悔しさ、視界から見えたり触っているさまざまなもののディテールを、リアルに生々しく、自分がいままさに体験しているかのように、作者や登場人物の中に「入り込み」そこでわき起こる様々な感情を自分の感情として味わうことだ。

ここで重要なのは、文章に出てきた全ての登場人物や作者の情動を、並列に、あるいは、切り換えながら自分の脳内で血が出るほど誠実にシミュレートすることだ。自分の好きな登場人物や作者の情動の、感情移入しやすい部分だけシミュレートするのは、ただの精神的自慰行為にすぎない。自分がむかついたり反発を感じる作者や登場人物の身体、立場、気持ちになりきって、そこから見える世界を味あわなければならない。

このような情動シミュレーションさえしっかりできれば、文章の論理構造など、さして努力しなくても自然に浮かび上がってくる。

それも、単に論理骨格を追いかけるより、はるかに精密に論理構造が見えるようになる。

意外と知られてない、自分を飛躍的に成長させる読書テクニック

 
知性ではなく情動を通じて味わうことによって
はじめて、構造が見えてくるのだと...

というか、
自分の感情として捉えなければ
味わったとは言えないのであって、
味わって はじめて理解できるものなのだと...

 
すこし乱暴なところもあるけれど(^^ゞ
まさに!その通りだと思う。 うん、納得!

筆者もまた、筆者の情動から湧き出た論理を描いているのであって
その感情に影響下にある登場人物の目線に立つことや
筆者の感情に迫ることで、理解が深まることになるんやね。
 

そもそも、文章の論理構造の把握に、情動シミュレーションが重要であることの、
根本的な理由はなんだろうか?

それは、一切の意味と価値が、究極的には論理ではなく、情動から生じているから、という理由だ。

情動を一切無視した論理というのは、文字通り無意味な論理だからだ。

意外と知られてない、自分を飛躍的に成長させる読書テクニック

 
これは読書に限ったことではなくて、
情緒、情動よりも、論理構造という情報が
たいていの場合、優先されているということ。

そのアンバランスは常識として固定観念化されている...
そのことは、以前から、ちょっと危ないと思ってる。

 
人の話を聞くとき、
何かのメッセージにに触れるときは もちろん!
モノや情報に接するときだって...

その奥に見え隠れしている情緒・情動を捉え
それこそ…"自分の脳内で血が出るほど誠実に"
味わいつくすことによって、
その真意や本当に大切なことが
見えてくるのではないかと思う。。。

しかも、意外に それが近道だったりする。

 
普段、自分の言う「聴き方」ってやつも
まさに、そういうことなんやと 改めて自覚した。

 
「感動」というものは あっても、
「知動」「理動」というものは ない。

情動を味わいつくす

 

●1年前の今日:ぴんぼけ堂

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  感性 情緒 情報 傾聴 味わう 

ページTOPへ↑

EDIT

「受ける」は「受け身」じゃない

コミュニケーションは、
人と人が、情報や意見や気持ちを伝え合うこと。

分かり合うことを目的として行われることだ。

よくキャッチボールに例えられるが、
ボールを投げる、その投げ方と、
受け取る、その受け取り方にコツがある。

 
受け取り方の練習を、あらためてする人はあまり多くなく、
投げ方には訓練が必要と考えている人が多い。

 
~~~
 

誰かとの関係がなんだかうまくいっていなくて、
しかし、関係を改善したいと考えているとき、
一番効果があるのは、
その人の話をいかに聴けるかにかかっていると思う。

 
「聴く」という行為は、
「あなたのことがわかりたいんです」
ということを、最も端的に現すものだ。

 
「わかってほしい」ではなくて、
「わかりたい」からスタートすること、
それが信頼関係構築の第一歩で、
それを行動に現すと「聴く」ことになるのだ。

via: 「わかりたい」から始まる。(don't worry!な毎日)

 
「受ける」ということは
文字通り「受け身」なのだ…
という思い込みは誰にでもある。

攻撃は最大の防御…
受け身ではなく、もっと積極的に…
待ちの姿勢ではダメ…
そんな常識に縛られている。

 
いや、べつに…
その常識を覆そうという訳じゃないのだけど、

「受ける」ということは
本当に「受け身」なのか?

 
「わかりたい!」と思うこと…
そのキモチを端的に現すこと…

それは、
とっても積極的で能動的なことなんじゃないかと思う。

 
そもそも…
「聴く」というコトバは、動詞なんやな。

言うまでもなく、
動詞っていうのは、行動・動きを現すコトバ。

本来、「聴く」という行動は
とっても積極的で能動的なことなんじゃないかと思う。

 
そんなことを意識してる人は
少ないと思うけど…   きっと!

 
意識していない行動は
実は、行動になっていないのかも知れない。

 
能動的な意識を持って動くから行動なのであって
な~んとなく動いているのは、行動じゃなくて
ただ風にたなびく草木のようなものなのかも。。。

 
そういう意味で
「受ける」ということは
ちゃんと意識して受けるかぎりは
「受け身」なんかではないと...

やっぱり!
とっても積極的で能動的なことなんじゃないかと...

なんか 改めて確信されられたかも。。。

 

それにしても…
ktanizawaさんのブログは気づきが多い。

もちろん!新しい気づきも多いのだけど
既知の考えに改めて気づかせてくれることも多い。

ktanizawaさんの文に自分を投影して
自分に向き合っているということなのかも知れない。

いつも ありがとうございます。

「受ける」は「受け身」じゃない

 

●1年前の今日:冷しておいしい…

コメント:2 | TB:0 【しあわせメモ♪】  コミュニケーション 傾聴 聴く コトバ 

ページTOPへ↑

EDIT

ココロの時代

 
手紙 ~親愛なる子供たちへ~
歌詞(歌:樋口了一)
原作詞:不詳/訳詞:角 智織/補足詞:樋口了一/
作曲:樋口了一/ストリングス・アレンジ:本田優一郎
 

年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
あなたと話をする時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本の暖かな結末は
いつも同じでも 私の心を平和にしてくれた
悲しい事ではないんだ 消え去っていくように見える 私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを
悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない
足も衰えて立ち上がることすら出来なくなったら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらいことだけど
私を理解して支えてくれる心だけ持って欲しい
きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに私がしっかり付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
私のこどもたちへ
愛するこどもたちへ

(via: ♪童謡・唱歌・歌詞ナビ♪さん)

 
この春頃から、よく耳にする唄ですね。
有線やラジオでも流行ってるみたい。

こういう唄が流行るっていうのは…
社会の高齢化とか、介護問題とかが
浮き彫りになってきているからなのか?

せちがらい世の中を憂いての
センチなお涙ちょうだい的流行なのか?

いや~
それはそれで的を射ているのだろうけれど、
実は、
これって既に 流行じゃないような気がする。

一時の流行り廃りというよりも
こういう時代に入ったんだと思う。

 
どういう時代なんだ?
っていうと、それは たぶん…

「ココロの時代」 なんじゃないかと。。。

 
…で、
♪童謡・唱歌・歌詞ナビ♪さんの
この記事に対するコメントが、コレ↓

この記事へのコメント

毎日、毎日、有線で流れていて ワタシは万度、万度、涙を流して聴き入っております。。
両親への感謝~見方が変わります
<(_ _)> <(_ _)>
Posted by ケイチャン at 2009年04月26日 03:10

<(_ _)> <(_ _)>
°・(ノД`)・°・
Posted by けいちやん at 2009年04月26日 03:12

ケイチャンさんへ。コメント有難うございます。私は昨年母を送りました。強く優しく悔いなく日々を楽しみましょう。by.komori
Posted by at 2009年04月27日 22:41

要介護となってから、没するまでの平均寿命は約七年。人生の終わりに少しだけなんて限りません。
甘すぎます。反吐がでます。
Posted by いち介護士 at 2009年05月11日 23:28

私は幼稚で卑怯な歌詞だと思います。
子供への愛情をそのまま親へと転化しているのがそもそもの勘違い。親への愛と子への愛は生物の本質からして違います。
生き物は次世代を生み出した時点でミッション終了、介護は子の仕事ではなく福祉の役割です。
「昔やってやったんだから俺にもやれよ」ははっきり言って我が子へのタカリです。子供を児童ポルノや労働力として売る外道にも等しい発想。親の資格はないですね。
Posted by たこす at 2009年05月28日 01:10

要介護認定されている親を持つ者です。
実際、歩くのもままならない様子を見ていると辛い気持ちになります。
↑のお二人は身内にそういう事が起きていないのでそんな事が言えるんですね。
身内が、特に自分の親が要介護になったらそんな風に思えなくなりますよ。
ネットだから何を言っても良い訳では無いですし、そういう考えをしているから介護福祉行政がなかなか改善されないのです。
歌詞を改めて見て、思わず目頭が熱くなりました。
同時に非人道的なコメントに怒りを覚えました。
いつまでも、私も貴方達も五体満足とは限らないのですから。
Posted by 淳 at 2009年06月05日 14:42

俺も上の2人のコメントは嫌だな。
そういう考えをしてしまう人ってめちゃくちゃかわいそうな人だと思う。
Posted by at 2009年06月14日 01:31

人それぞれ考え方や感じ方は
ちがうかもしれないけど
こんなにもひどい心の人が
いたかとおもうとすごく悲しいです。
Posted by at 2009年06月16日 20:12

 
うん。
賛否両論、人によって
いろいろ考え方や感じ方が違うんやね。

まぁ、ネガティブなことを書かれると
少なからず気になるし、場合によっては凹むけど、
それは、当然のことだし、健全だと思う。

そう。
この唄をイイと思う心。
そんなのは甘いと感じる心。
嫌だと思う心。凹む心。

そのことが正しいとか誤りとかは ともかく、
そう感じる心があるということは、
明らかに、紛れもない真実。

 
目の前で起こっている現象やその情報、
そのことが正しいとか誤りかということより
どう感じるか、どう思うか、

そういうことに焦点が向けられてきている…
そんな時代に入ってきたんだな...と思う。

 
勝ち負け、正誤、強弱、善悪、らしさ、などを基準として
正論、論理的思考、あるべき姿、理想なんかが語られて、
小さい頃から ずっと それを叩き込まれてきて…

そうじゃないとダメなんだ!
そうなれるように頑張るんだ!
って、思い込んできて…

でも、難しいな~、辛いな~ とか、
休みたいな~とか、もうダメだ とか、
そんな ダメダメな 心の声は、
ゼッタイ!出しちゃダメだから

押し殺してみたり、ごまかしてみたり、
知らないフリしてみたりしてみて
何も なかったことにしてきた時代。

がんじがらめに縛られて、
心の声を無視してきた時代が
そろそろ終わろうとしてるのじゃないかな。

 
これまで通り、バリバリ頑張るのもよし、
ちょっとヘコたれて弱さを見せるのもよし、

それらが正しいとか誤りであるかだけでなく、
そう感じたという現実に目を向けて
それに呼応していく生活に
少しずつシフトしてきているように思う。

 
ココロの時代だからこそ

心の声に耳を傾けたい。

 
自分自身の…

大切な人の、愛する人の…

そして、できるだけ多くの人の…

心の声に耳を傾けたい。

 
それが、
今の自分の 心の声かな。 うん。

 

 

●1年前の今日:未来の水上都市

コメント:7 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  心の叫び  傾聴 あるがまま 自分らしさ お気楽 

ページTOPへ↑

EDIT

よく聴くためのコツ

「傾聴ボランティア」という活動を展開している
京都ノートルダム女子大学の村田久行教授は、
「よく聴くためのコツ」として次の5つの条件をあげている。

  1. 自分の意見・感想をはさまない
  2. 相手の気持ちをそのまま返す術を活用する
  3. 沈黙を怖がらず、次の言葉を待つ
  4. 秘密をもらさない
  5. 尊厳と思いやりの気持ちをもって聴く

(朝日新聞 2004年1月1日)

ロジャリアンにも、話聞禅にも通じる
まさに「よく聴くためのコツ」ですね。

どの項目も、スキルとしてのレベルアップではなく
態度能力が問われる人間学の追求とも言える領域です。

 

●1年前の今日:着々と…

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  傾聴 話聞禅 

ページTOPへ↑

EDIT

秋田 延泊

プチコ in 秋田

昨日は、聴き方体験会「プチコ in 秋田」。

29ヶ所目のプチコ開催でした。

プチコ in 秋田

聴くことに集中して、場の共鳴を誘います。

プチコ in 秋田

自己紹介の途中にありながり
既にメンバーの傾聴が高まってきました。

プチコ in 秋田

聞き手の聴き方が良くなると
話し手の話し方も良くなってきます。

プチコ in 秋田

「聴く」というより「わかる」というキモチ。
「わかる」というより「わかっている」というカンカク。

プチコ in 秋田

今日も貴重な体験をすることができました。 よかった よかった(^^)/

そして、反省会の後は…
久しぶりに、岩田写真・いわちゃんと再会!

帰りの列車が出るまで
ゆっくり…話して聴いて呑んで楽しみます(^^♪

 
…と、予定通り
秋田の旨いモノを満喫し
つのる話も盛り上がりました。

 
そして…

寝台特急「日本海」は
大阪へ向けて 秋田駅を発ちました。。。

 
その姿を見送って…
中華そば屋にて話を続ける2人 (^^ゞ

 
0泊3日のはずが…
結局、1泊することになり
今朝、一番の新幹線を乗り継いで帰ってきました。

岩田写真・スマイリーにて

いろいろ お世話になりました。
いわちゃん ありがと(^^)/

いろいろあるけど…
ご縁を大切にしてください。

 

 

●1年前の今日:一方通行

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  話聞禅 共鳴 傾聴 

ページTOPへ↑

EDIT

結果オーライ

今日は、プチコ in 石川。
早朝から電車で小松へ…

外は雪。
しかも、この辺では珍しいボタ雪の吹雪。

北陸方面の天候は大丈夫か?

≫ つづきを読む

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  話聞禅 傾聴 一如 

ページTOPへ↑

EDIT

自分が変われば組織も変わる

≫ つづきを読む

コメント:0 | TB:0 【見逃せない!この1冊】  傾聴 聴く コミュニケーション 

ページTOPへ↑

EDIT

プチコ de 祭!

朝から新幹線で福岡へ…
昼過ぎには、今日の目的地 八女に到着した。

八女

この日、八女は お祭の真っ最中だった。

そして…

≫ つづきを読む

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】   おもてなし 傾聴 八女 話聞禅 

ページTOPへ↑

| PAGE-SELECT |