元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

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仲良くなる秘訣

文鳥さんは見つめられるのが苦手 なので文鳥さんと仲良くなりたい時は 目を合わせた後、ゆっくり目をつむってみせると ちょっとだけ仲良くなりやすかったりします

いきもの、文鳥さんと仲良くなるためのひとつの手段。
このわざが使えるのは小鳥さんのほか、
小動物やいぬやねこ、人間の赤ちゃんにも有効なんだそうです。

via: Buncho box

そーかー!
そういうことなのか!!

コレやってみたいなー

目をつむって
文鳥さんと仲良くなってみたい

他の動物たちにもやってみたい
そして仲良くなれたらイイなー

人間の赤ちゃんに効くのなら
人間の大人にも効くのかな?

効き目があるとイイのにな

目をつむって
みんなと仲良くなりたいな

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
威嚇って どういう意味でしたっけ?

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「アボガド」or「アボカド」どちらが正解?

説教するでもなく、いいねをする事でアカウント名を使ってそれとなく指摘するその謙虚な姿勢に胸を打たれた
これからは間違えない様に気をつけるw

via: Twitter / @syutendouji

あなたが学校で、職場で、電車の中で、「アボガド」と呟くとき、私は見ています。感じています。言葉の乱れを。そしてじぃっと、あなたの背中をみつめるのです。

森のバターと呼ばれるアボカド。

昨今ではスーパーなどで容易く手に入る馴染み深い食品です。

が、依然としてアボガドと誤表記している例も少なくありません。

かく言う自分も、アボカドか アボガドか 思い出せなくなる時もあり、曖昧なまま深く触れないようにしている場合もあることを ここに打ち明けておきます。

そんな状況にあって、アボガドをアボカドに訂正する委員会(Twitter: @avogado_janai)は、文字通りアボガドをアボカドに訂正するために活動を続けています。

日夜Twitterの投稿を監視し、アボガドを見つけると直ちに訂正行動を実施します。

しかし「アボガドじゃない。アボカドが正しい。訂正せよ」などとコメントするようなことはしません。

そっと「いいね」をつけるだけ。
ただ それだけです。

「いいね」されたことが通知され、「アボガドをアボカドに訂正する委員会」というアカウント名と「この世界からアボガドという誤表記をなくし、人々を正しく導くために立ち上げられた団体です。手動だよ」というプロフイールがツイート主に伝わるというしくみ。

直接的かつ批判的に訂正文をコメントすることなく、さりげなく訂正を促す趣旨を伝えています。

炎上やブロック騒ぎで殺伐とした雰囲気が漂うことも少なくないTwitter界隈においては異例のさわやか路線アカウント。

「いいね」をされたツイ主は思わず素直に受け容れてしまいますね。

アボガドをアボカドに訂正する委員会は、1日100~200件のいいねを続けており、既に約8万回もの訂正活動を行ってきたとのこと。

それが功を奏したのか、最近では少しずつアボガド表記が減っているのだとか。

しかし、訂正の「いいね」欲しさに敢えてアボガドを含んだツイートをするアカウントも増えているらしく、この話題が拡がれば拡がるほどアボガドは増えていくかもしれません。

さらに最近では一日の「いいね」回数が規定数をオーバーすることもあり、アボガドを発見してもいいねをつけることが制限される事態が発生しているそうです。

興味本位にアボガド表記を撒き散らすことは避けたいものです。

「アボカド・アボガドどちらが正しいか」ということよりも言葉に対する感受性をきちんと持って欲しいという思いで地道な活動を続けている @avogado_janaiさん。今後とも陰ながら見守っていきたいとアカウントです。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

いつも「いいね」で誤字を指摘させていただいているのですが、著名な方はフォロワーが多いので「いいね」に気づいてもらえません。
影響力が強い方には、なかなか小市民の声は届かないんですね。
社会の縮図かもしれません。

via: Twitter / @syutendouji

●1年前の今日:
効き目あるのか!?

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どストレートな注意書き

この犬は噛みます

via: Untitled

最近あんまり見かけないな
こういうビビらせ方

疑って痛い目に遭ういたくないから
なんだかんだ言いながらも怖さが勝る

見かけはカワイイんだけどねぇ

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

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多くを語らずとも雄弁な看板
犬も見かけによらぬもの!?
●1年前の今日:
懐かしいパッケージ! その中身は…

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もう7年? まだ7年?

東北好き! あの日をわすれないよ
東北好き! あの日をわすれないよ

今日は、東日本大震災から7年。テレビ番組表を見てたら「NHK」で気付いた事が・・・。ちょっと良い話!

via: Twitter / MizunoKatsuaki

あれから7年。

アッという間の7年。

まだ、たったの7年。

なのに、
もうずっと昔のことのように…
とっくに復興できているかのように…
過去の教訓に学ぼう的な報道が多いような気がする。

過去の出来事にしてしまうには、ちょっと早すぎませんか?
自分は関西に住んでいるので余計にそう感じるのかもしれませんが、阪神淡路大震災よりも風化の進み具合が早いのでは?

否、地元ではそんなことはないのかもしれません。
ただ、関西に伝わってきていないのかもしれません。

けど、全国ネットのニュースを観ていても、なんだか扱いが軽いというか、記念日的な雰囲気になってませんか?

風化っていうより、沈静化みたいな意図すら感じる。

まだまだ多くの方々が自宅へ帰れずにいるのに…
場合によっては二度と帰れないかもしれないのに…
原発事故は治まるどころか未だ発生中なのに…

心あたたまるエピソードだとか
復興の象徴的な再開発のニュースだとか
なんだか良い話ばかり聞こえてきますけど。

希望が持てる話も少なくないですから、それはそれでイイんですけどね。
無用で過剰な心配をするつもりもないんですけどね。
明らかに情報が偏っている面がありますよね。

自分が知らないだけなのかな?
地方まで詳しい情報が届いていないだけなのかな?
初老のおっさんの取越し苦労ならイイんですが。

あれほどの大事だったのですから
あれほどの生命が奪われた災害なのですから
未だに心安らかでいられない人たちが大勢いるのですから
もう少し大きな話題にしてみんなで考えたい!

あの日を忘れない。

忘れないということがイチバンの供養になる。
忘れないということがイチバンの防災になる。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
いろいろと思うことはあるのだけど…

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あたたかい義理チョコ文化は大賛成

いつもありがとう

『義理チョコ文化無くなったら困るよね。義理チョコって言わないと好きな人にチョコ渡せない人もいるのにね』って女子高生が話してて青春を感じてる

via: Twitter / reiko_souda

おっさんが言うのもなんですが…
思わず「わかるわかる…」と頷いてしまいました^^;

青春やのぉ~

そういえば、高級チョコ店の「日本は、義理チョコをやめよう」っていう広告が話題になり、多くの人たちが共感していましたね。

でも、よほどのセレブでない限り、あのショップのチョコを義理チョコにする人なんていませんよ。
競合にならない市場を叩かなくてもよかったのでは、という気がします。

そもそも「義理」っていうのは悪いことなんでしょうか?
義理と人情に厚い人は断然イイ人だと思うのですが…

「義理を通す」とは「筋を通す」ということ。
人として守るべき正しい道のことですからね。

「日頃の感謝のキモチを伝えるために贈り物をする」という意味での義理チョコは、やめなくていい… というより、あり続けて欲しい風習だと思います。

もちろん、感謝のキモチもないのに仕方なく配布しているチョコはやめた方がイイかもしれませんが、心配しなくても最近はそういうカタチだけの義理チョコは減ってますよね。

まぁ 賛否両論あるとは思いますが、個人的には今後も「あたたかい義理チョコ」は大歓迎です!

というわけで、遠慮なく義理チョコください。

ブラックサンダーで充分うれしいです。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

一目で義理とわかるチョコ

とある広告が話題のようですね(‘-‘*)
よそはよそ、うちはうち。
みんなちがって、みんないい。
ということで有楽製菓は引き続き「日頃の感謝を伝えるきっかけ」として義理チョコ文化を応援いたします(‘-‘*)

via: Twitter / Black_Thunder_

●1年前の今日:
ほんのりと潮の香りが漂ってくる!?

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伝えたいことと伝えなくてはならないこと

23年目の1.17

23年目の1月17日。

冷たい雨がそぼ降る中、いつものように参拝を済ませた後、テレビのスイッチを入れました。
特別な番組はなく、5時46分の黙祷の様子が中継されただけでした。

神戸市民の既に半数近くが、震災後に生まれたり転居してきた人になっています。
ましてや、他の地域の人たちにとって震災への記憶や関心はなくなりつつあるのも当然です。

悪天候が重なったこともあり、神戸市中央区の東遊園地で開かれた追悼のつどいに訪れた人は、最少だった昨年をさらに割り込みました。
震災を直に体験した人にとっては残念でなりません。

しかし、旧きを淘汰し新しい息吹を取り入れることは、被災地の復興や活性化そのものであることも確かです。

震災後23年、先の戦争が終結してからボクが生まれるまでの期間よりも長い時間が経過しています。
戦争で日本中が焼け野原になったことは教科書などでしか見たことがありませんから、目覚ましい高度成長やバブル経済の華やかさを何食わぬ顔で謳歌していました。

戦争も震災も伝説となり、新たな暮らしが営まれています。
こうして時代は移ろいゆくのですね。

風化は致し方たないことだと、何年か前から思うようになりました。

ですが、人間は社会を形成して生活している動物です。
個人的な感傷を引きずらせることは、あまり社会の役にたたないかもしれませんが、震災で得た体験や気づきを後世に伝え、次世代の人たちはそれを活かしてより安全で快適な社会を作っていく使命があるはずです。
地震を避けることのできない日本に住んでいる限り、防災面では特に過去の体験を活かしていくことは大切です。

今朝、こんなニュースを目にしました。

時間差が怖い「通電火災」とはー阪神淡路大震災から学ぶー

1995年に発生した阪神淡路大震災では、古い耐震基準だった建物の倒壊、室内の家具の転倒に加え、火災の被害が目立ちました。なぜ火災が起きたのか?それは『通電火災』が原因だったと言われます。

大地震が発生した際は、広範囲で停電が発生する可能性があります。このときブレーカーを落とさずに外へ避難すると…。電気が復旧した際に地震で倒れていたり、家具の下敷きになっていた電気製品が再び作動。これが火元となって起こるのが、通電火災です。

通電火災が怖いのが、時間差で発生するため発見が遅れることです。地震発生とともに出火した場合、人が対応できるのですが、避難し無人となったあとに電気が復旧し、出火する事が多いのです。これにより発見、消火が遅れ、揺れで散乱した室内の物に引火。あっという間に火災が拡大してしまうのです。さらに冬場は、ヒーターやストーブなど熱源となる家電を使う時期のため、リスクが他の季節よりも高くなります。

元を断つ。電気が復旧しても、通電しないように「ブレーカー」をおとして避難すれば通電火災は防げます。もちろん、最近の暖房器具は倒れたら起動しないような安全装置がついていたり、揺れを感知してブレーカーが自動で落ちるような器具もそろっています。ただ、万が一のことを考え、避難時は慌てて外に出る前に、「ブレーカー」をチェックするということをこころがけてください

via: livedoor NEWS

通電火災を防ぐためにブレーカーを切って避難すること

阪神大震災の場合、火災の6割はこの「通電火災」だったとも言われています。
このことを知っていたら、かなりの出火を防ぐことができたのではないでしょうか。 事前にブレーカーを振動感知式のものに交換しておいたり、地震が起きて避難することになった時はブレーカーを切ったりすることができたはず。

悲惨さや無念の思いを伝えることもさることながら、同じ思いをする人を一人でも少なくするために、こうした情報を伝えていかなければならないと思います。

何を伝えたいかとともに何を伝えなくてはならないか

追悼のつどいで灯された「伝」の文字に込められた大切な課題。

今年も静かに祈りを捧げ誓います。
体験者として何か少しでもお役にたてますように…

・・・などと、 思いを巡らせながら過ごした22年目の断食日。

●1年前の今日:
22年目の祈り

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死んでからゆうてもあかんねん

私はゴッホにゆうたりたい

春が煙っておる。なんか立ち込めている。

何でもないよな一面をさあっと塗ったようなこんな空も、
ゴッホには、
うろこみたいに、飛び出して、
それは憂う活力を持ち、美しく、強く、見えておったんやろうか。

春がこんこんと煙る中
私は、
ゴッホにゆうたりたい。
めっちゃゆうたりたい。

今はな、あんたの絵をな、観にな、
世界中から人がいっぱい集まってな、ほんですんごいでっかいとこで
展覧会してな、みんながええええゆうてな、ほんでな、どっかの金持ちはな、
あんたの絵が欲しいってゆうて何十億円も出して、みんなで競ってな、なんかそんなことになってんねんで、

パンも食べれんかったし最後のパンも消しゴム代わりに使ってな、
あの時もどの時も、あんたはいっつもおなじように、描いててな、苦しかったな、
才能って言葉は使わんとくな、なんかの誰からかの命令なんかな、
なんか使命なんかな、
多分絶対消えへんなんか恐ろしいもの、恐ろしいくらいの、美しい、でも苦しい、
そういう理みたいな、そんなもんに睨まれてあんたは、
いっつも独りで絵を、絶対睨まれたものからは絶対逃げんと、や、逃げる選択もなかったんかな、
それでもとにかく、絵を、絵を描いて、

そら形にするねんから、誰かに認めてもらいたかったやろうな、
誰かに「この絵を見て感動しました、大好きです」
ってゆわれたかったやろうな、
それでもいつまでも独りぼっちでよう頑張ったな、淋しかったし悲しかったな、

それが今ではあんたは巨匠とかゆわれてんねんで、みんながあんたをすごいすごいってゆってほんで、
全然関係ない時代の日本に生まれた私も、あんたの絵が大好きになった、

教科書にも載ってるねんで、
夜もな、空もな、ベッドの絵もな、麦畑も、月も、デッサンいっぱい練習したやつもな、
全部観たで、きれいなあ、あんな風に観てたんやなあ、

みんなあんたの生きてきたことを知ってるねんで、
耳をちぎったことも、キチガイ扱いされたことも、
悲しくて悲しくて悲しくてしょうがなかったこと、
そんなあんたが書いた絵が、ほんまにほんまに美しいことも、
今はみんな、あんたのことを思ってんねんで、

私の知り合いの、男の職業絵描きの人とな、
随分前にあんたの話になってな、
私はあんたの生き様、芸術って言葉も使わんとくわな、
もう、それをするしかなかったっていうものと死ぬまで向き合ってな、そういう生き方を思うと、
それ以上に、なんていうの、ほんまなもんってないやろって思うわ、私は信頼するわって話をしたん、

そしたらその絵描きな、未映ちゃんがそう思うのは全然いいけど、
あんな誰にも認められんで苦しくて貧しくて独りぼっちでゴッホが幸せやっと思うかってゆわれてん、
俺は絶対にいらんわってゆわれてん、

ほんでそっからしばらくあんたの幸せについて考えてみてん、
幸せじゃなかったやろうなあ、お金なかったら
おなかもすくし、惨めな気持ちに、なるもんなあ、 おなか減るのは辛いもんなあ、ずっとずっと人から誰にも相手にされんかったら、死んでしまいたくもなるやろうな、
いくら絵があっても、いくらあんたが強くても、しんどいことばっかりやったろうなあ、

そやけど、多分、
あんたがすっごい好きな、すっごいこれやっていう絵を描けたときは、
どんな金持ちよりも、どんな愛されてる人よりも、比べるんも変な話やけど、
あんたはたぶん世界中で、一番幸せやったんやと、私は思いたい。

今はみんながあんたの絵を好きで、世界中からあんたが生きてた家にまで行って、
あんたを求めてるねんで、
もうあんたはおらんけど、今頃になって、みんながあんたを、
今頃になって、な、それでも、あんたの絵を、知ってんねんで。知ってるねんで。

あんたは自分の仕事をして、やりとおして、ほいで死んでいったなあ、
私は誰よりも、あんたが可哀相で、可哀相で、それで世界中の誰も適わんと思うわ あんたのこと思ったらな、
こんな全然関係ないこんなとこに今生きてる私の気持ちがな、
揺れて揺れて涙でて、ほんでそんな人がおったこと、絵を観れたこと、
わたしはあんたに、もうしゃあないけど、
やっぱりありがとうっていいたいわ

だからあんたの絵は、ずっと残っていくで、すごいことやな、すごいなあ、よかったなあ、
そやから自分は何も残せんかったとか、そんな風には、そんな風には思わんといてな、
どんな気持ちで死んでいったか考えたら、私までほんまに苦しい。
でも今はみんなあんたの絵をすきやよ。

私はどうにかして、これを、それを、
あんたにな、めっちゃ笑ってな、
ゆうたりたいねん。
ゆうたりたいねん

全文引用: 私はゴッホにゆうたりたい 川上未映子

そうやねん
ゆうたりたいねん

ゆうてもゆうても足らんくらい
ゆうたりたいねん

けど
死んでからゆうてもあかんねん

贔屓のチームの
身売りが決まってから
球場に通い始めてもあかんねん

めったに行かなかったお店
廃業してから美味しかったのに
やめんといてゆうてもあかんねん

エエ人やった
惜しい人をなくした
そんなことゆうてもあかんねん

今ここで言わなあかんねん

自分が生まれる前に
死んでる人やったら
どうしようもないけどな

後になってから
ゆうたりたいねんって
思うやろなという人がいたら
今のうちに言わなあかんねん

死んでからゆうてもあかんねん

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
ゆるすぎる液状化ニャンコ!?

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絶対に譲れないことがある

平和宣言 広島平和記念式典 2017年8月6日

皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか。鋭い閃光がピカーッと走り、凄まじい放射線と熱線。ドーンという地響きと爆風。真っ暗闇の後に現れた景色のそこかしこには、男女の区別もつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の屍。その間をぬって、髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が、焼けただれ裸同然で?がれた皮膚を垂らし、燃え広がる炎の中を水を求めてさまよう。目の前の川は死体で覆われ、河原は火傷(やけど)した半裸の人で足の踏み場もない。正に地獄です。「絶対悪」である原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪めてしまいました。

このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨たらしい目に遭うのは、あなたかもしれません。

それ故、皆さんには是非とも、被爆者の声を聞いてもらいたいと思います。

15歳だった被爆者は、「地獄図の中で亡くなっていった知人、友人のことを偲ぶと、今でも耐えられない気持ちになります。」と言います。そして、「一人一人が生かされていることの有難さを感じ、慈愛の心、尊敬の念を抱いて周りに接していくことが世界平和実現への一歩ではないでしょうか。」と私たちに問い掛けます。

また、17歳だった被爆者は、「地球が破滅しないよう、核保有国の指導者たちは、核抑止という概念にとらわれず、一刻も早く原水爆を廃絶し、後世の人たちにかけがえのない地球を残すよう誠心誠意努力してほしい。」と語っています。

皆さん、このような被爆者の体験に根差した「良心」への問い掛けと為政者に対する「誠実」な対応への要請を我々のものとし、世界の人々に広げ、そして次の世代に受け渡していこうではありませんか。

為政者の皆さんには、特に、互いに相違点を認め合い、その相違点を克服するための努力を「誠実」に行っていただきたい。また、そのためには、核兵器の非人道性についての認識を深めた上で、自国のことのみに専念して他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを自覚しておくことが重要です。

市民社会は、既に核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たないということを知り尽くし、核を管理することの危うさに気付いてもいます。核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器を保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。

今や世界中からの訪問者が年間170万人を超える平和記念公園ですが、これからもできるだけ多くの人々が訪れ、被爆の実相を見て、被爆者の証言を聴いていただきたい。そして、きのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の核兵器廃絶への願いを受け止めた上で、世界中に「共感」の輪を広げていただきたい。特に、若い人たちには、広島を訪れ、非核大使として友情の輪を広げていただきたい。広島は、世界の人々がそのための交流をし、行動を始める場であり続けます。

その広島が会長都市となって世界の7,400を超える都市で構成する平和首長会議は、市民社会において世界中の為政者が、核兵器廃絶に向け、「良心」に基づき国家の枠を超えた「誠実」な対応を行えるような環境づくりを後押ししていきます。

今年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取組を更に前進させなければなりません。

特に、日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。また、平均年齢が81歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々に寄り添い、その支援策を一層充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

私たちは、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々と共に、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

平成29年(2017年)8月6日

広島市長 松井 一實

広島市長の平和宣言全文 - 日本経済新聞

広島は今日、72回目の原爆忌を迎えました。

平和公園で行われた式典には、80か国の代表を含む約5万人が参列しました。
この1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された5530名を含む30万8725名の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められ、原爆が投下された午前8時15分に、参列者全員で黙とうを捧げました。

松井一実広島市長は、平和宣言の中で、国連で採択された核兵器禁止条約に反対した日本政府に対して、核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたいと強く求めました。

これに対して安倍首相は条約に言及することはありませんでした。

国際政治や外交においては一筋縄ではいかない駆け引きや困難な交渉が常につきまとっていることと思います。

しかし、核兵器は絶対悪です。

我が国にとっては、核兵器禁止条約は是が非でも締結を推進すべき課題の一つであるはずです。
唯一の被爆国である我が国の責任であるとも言えます。

平和を維持するために譲らざるをえない条件も少なくないとは思いますが、こればかりは如何なる難題を突きつけられても決して譲ることのできないこと。
今こそ大志、大義を貫いて自立した日本国民としての主張をして、日本の未来のために、世界の平和のためのに、役目を果たしていきたいものです。

平成29年(2017年)広島平和記念式典
●1年前の今日:
被爆71年目の広島原爆忌に思うこと

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核兵器の歴史は不信感の歴史です

被爆71周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典

長崎平和宣言 2016年

長崎平和宣言

核兵器は人間を壊す残酷な兵器です。

1945年8月9日午前11時2分、米軍機が投下した一発の原子爆弾が、上空でさく裂した瞬間、長崎の街に猛烈な爆風と熱線が襲いかかりました。あとには、黒焦げの亡骸(なきがら)、全身が焼けただれた人、内臓が飛び出した人、無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人があふれ、長崎は地獄と化しました。

原爆から放たれた放射線は人々の体を貫き、そのために引き起こされる病気や障害は、辛うじて生き残った人たちを今も苦しめています。

核兵器は人間を壊し続ける残酷な兵器なのです。

今年5月、アメリカの現職大統領として初めて、オバマ大統領が被爆地・広島を訪問しました。大統領は、その行動によって、自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを世界に示しました。

核兵器保有国をはじめとする各国のリーダーの皆さん、そして世界中の皆さん。長崎や広島に来てください。原子雲の下で人間に何が起きたのかを知ってください。事実を知ること、それこそが核兵器のない未来を考えるスタートラインです。

今年、ジュネーブの国連欧州本部で、核軍縮交渉を前進させる法的な枠組みについて話し合う会議が開かれています。法的な議論を行う場ができたことは、大きな前進です。しかし、まもなく結果がまとめられるこの会議に、核兵器保有国は出席していません。そして、会議の中では、核兵器の抑止力に依存する国々と、核兵器禁止の交渉開始を主張する国々との対立が続いています。このままでは、核兵器廃絶への道筋を示すことができないまま、会議が閉会してしまいます。

核兵器保有国のリーダーの皆さん、今からでも遅くはありません。この会議に出席し、議論に参加してください。

国連、各国政府及び国会、NGOを含む市民社会に訴えます。核兵器廃絶に向けて、法的な議論を行う場を決して絶やしてはなりません。今年秋の国連総会で、核兵器のない世界の実現に向けた法的な枠組みに関する協議と交渉の場を設けてください。そして、人類社会の一員として、解決策を見出す努力を続けてください。

核兵器保有国では、より高性能の核兵器に置き換える計画が進行中です。このままでは核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいます。

今こそ、人類の未来を壊さないために、持てる限りの「英知」を結集してください。

日本政府は、核兵器廃絶を訴えながらも、一方では核抑止力に依存する立場をとっています。この矛盾を超える方法として、非核三原則の法制化とともに、核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである「北東アジア非核兵器地帯」の創設を検討してください。核兵器の非人道性をよく知る唯一の戦争被爆国として、非核兵器地帯という人類のひとつの「英知」を行動に移すリーダーシップを発揮してください。

核兵器の歴史は、不信感の歴史です。

国同士の不信の中で、より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が開発されてきました。世界には未(いま)だに1万5000発以上もの核兵器が存在し、戦争、事故、テロなどにより、使われる危険が続いています。

この流れを断ち切り、不信のサイクルを信頼のサイクルに転換するためにできることのひとつは、粘り強く信頼を生み続けることです。

我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道をこれからも歩み続けなければなりません。

市民社会の一員である私たち一人ひとりにも、できることがあります。国を越えて人と交わることで、言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、身近に信頼を生み出すことです。オバマ大統領を温かく迎えた広島市民の姿もそれを表しています。市民社会の行動は、一つひとつは小さく見えても、国同士の信頼関係を築くための、強くかけがえのない礎となります。

被爆から71年がたち、被爆者の平均年齢は80歳を越えました。世界が「被爆者のいない時代」を迎える日が少しずつ近づいています。戦争、そして戦争が生んだ被爆の体験をどう受け継いでいくかが、今、問われています。

若い世代の皆さん、あなたたちが当たり前と感じる日常、例えば、お母さんの優しい手、お父さんの温かいまなざし、友だちとの会話、好きな人の笑顔…。そのすべてを奪い去ってしまうのが戦争です。

戦争体験、被爆者の体験に、ぜひ一度耳を傾けてみてください。つらい経験を語ることは苦しいことです。それでも語ってくれるのは、未来の人たちを守りたいからだということを知ってください。

長崎では、被爆者に代わって子どもや孫の世代が体験を語り伝える活動が始まっています。焼け残った城山小学校の校舎などを国の史跡として後世に残す活動も進んでいます。

若い世代の皆さん、未来のために、過去に向き合う一歩を踏み出してみませんか。

福島での原発事故から5年が経過しました。長崎は、放射能による苦しみを体験したまちとして、福島を応援し続けます。

日本政府には、今なお原爆の後遺症に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、被爆地域の拡大をはじめとする被爆体験者の一日も早い救済を強く求めます。

原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧(ささ)げ、私たち長崎市民は、世界の人々とともに、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くすことをここに宣言します。

2016年(平成28年)8月9日

長崎市長 田上 富久

via: 長崎市│平成28年長崎平和宣言(宣言文)

長崎は今日、71回目の原爆忌を迎えました。

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典には、53カ国の代表を含む約5600人の被爆者や遺族らが参列し犠牲者の冥福を祈りました。

この1年間で死亡が確認された3487人の原爆死没者の名簿が奉安され、長崎原爆の死没者は計17万2230人となりました。

田上市長は平和宣言の中で、核兵器保有国の首脳らに被爆地訪問を促すとともに、核軍縮交渉を前進させる枠組みを話し合う国連の会議への参加を要求。
日本政府には、非核三原則の法制化や北東アジア非核兵器地帯の検討を求め、唯一の戦争被爆国として行動に移すリーダーシップを発揮して欲しいと述べました。

年を重ねる毎に政治色の強くなる平和宣言ではありますが、それでも恒久平和の実現と核兵器廃絶を懇願する被爆地の首長スピーチとしては妥当な内容であったと思います。

例年同様この宣言に賛同しない意見も散見しますが、平和記念式典を主義主張の駆け引きの場に利用することなく、この日ばかりは平和の祈りを捧げ犠牲者の慰霊に注力していただきたいと切に願います。

そして自分自身もまた、世界唯一の被爆国の国民として、それ以前に日本人として、戦争の悲惨さと平和の大切さを忘れることなく、僅かでも後世に伝えていくことを改めて誓います。

●1年前の今日:
平和の理念

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被爆71年目の広島原爆忌に思うこと

(全録)広島「原爆の日」 松井一實市長が平和宣言

広島は今日、71回目の原爆忌を迎えました。

平和記念公園では例年通り平和記念式典が開かれ、約5万人が犠牲者を悼むとともに改めて平和を誓いました。

松井一実市長は平和宣言で、現職の米大統領として初めて広島を訪問したオバマ氏のスピーチを引用して、核兵器廃絶へ、情熱を持ち、世界が連帯して行動を起こすよう呼びかけました。

また、今日〈現地時間では5日〉リオデジャネイロではオリンピックの開会式が行われました。
21日までの会期中はオリンピックの話題が目白押しになることでしょう。

それは今日の朝刊が広島原爆忌よりもオリンピックの記事を大きく掲載していることを見ても明らかです。

オリンピックはスポーツを通じた世界的かつ平和的なイベントですから大きく取り上げられることに不思議はありません。
けれども、広島原爆忌は世界で初めて原爆が実践に使用された日であり、わが国はもちろん、世界各国で平和や核廃絶について考えるに相応しい日として認知されるべきだと思います。
オリンピックと比較することの是非はともかく、原爆忌の意義を軽んじてはならないし、繰り返してはならない過ちとしての認識が薄らぐことがあってはならないと思うのです。

被爆後71年が経過し被爆者の平均年齢が80歳を超えた今、ただでさえ風化を避けることができない状況を迎えていますが、だからこそ忘れてはならない日として強く意識したいものです。

オリンピックの開会式は、この日を避けてもらいたかったですし、意図的に同じ日にしたのではないことを強く願って止みません。

さらに、今夜は全国各地で花火大会が開催されました。
花火には鎮魂の意が込められていると言われていますから、これも行事自体には問題はないのですが、個人的にはこの日の花火見物は複雑な思いを抱かざるを得ません。
毎年このブログでも「なにわ淀川花火大会」の記事を掲載していますが、今年ばかりは爆音と閃光の映像をアップする気にはなれませんでした。

昨年の今日ここに、自分たちにできることは祈りだけではないはずだと書きました。
戦争や原爆の悲惨さにとどまらず、戦争や原爆投下に至る状況を知り、それを後世に伝えていかなくてはならないことにも触れました。
本質的な取り組みをさらに進めることを誓いました。
が、この一年を振り返ってみて、まだまだ実践が不足していることを反省させられた一日でした。

核兵器廃絶へ、情熱を持ち、世界が連帯して行動を起こす…
これをスピーチの台詞で終わらせることなく実行するために、自分は具体的に何をすれば良いのか再確認し、たとえ一つでも実践を増やしていきます。

被爆71周年 広島平和記念式典
●1年前の今日:
自分たちにできることは祈りだけではないはず

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最後の七五三詣り

最後の七五三参り

次女もっちゃんが満7歳ということで、今日は遅ればせながら七五三参りに行ってきました。

摂津一宮・坐摩神社は、三連休の中日で大明日の大吉日とあって結婚式やお宮参りの予約が一杯でした。

その先陣を切って朝一番のご祈祷を賜ったもっちゃん…
神事が始まる前と終わった後に「おねがいします」「ありがとうございます」を大きな声でハッキリと言うことができました。

長女ゆきちゃんと比べると甘えん坊だと言われがちなもっちゃんですが、肝心な時にはキチンとご挨拶できるお姉さんに成長してくれています。

九条のフミ祖母ちゃんにもその勇姿を見てもらって満足気でした。

こうして家族そろってハレの日を迎えることができたことは何よりのしあわせです。

祈祷の後には例のごとく千歳飴をもらいます。

この千歳飴、20cmくらいしかありません。

自分が子どもの頃はもっと長かった  はず。
まぁ 幼い時には何でも大きく見えるものですが、たしか袋いっぱいの長さはあった  はず。
だって、あの長い袋は、長い飴を入れるためだった  はず!

って、そう言えば・・・
ゆきちゃん満3歳の時にも、ゆきちゃん満7歳、もっちゃん数え3歳の時にも、同じことを書いていました~(^^ゞ

短くなっちゃった千歳飴…
それでも受け継がれている千歳飴…
そんな風習も本来の意味や願いは忘れられがち。

次の七五三詣りの時には、七五三や千歳飴の意味や由来を教えてあげよう… って、8年前のblogにも、4年前のblogにも書いていたにも関わらず、結局ちゃんと説明してあげていませんでした^^;

せめて、その時だけでも 思い出して話をすることができれば、また次の世代へ受け継がれていく…

行事ってやつは そうやって、大事なこと、忘れかけていることを思い出す機会でもあるのだと思います。

今回は愛娘たちの最後の七五三詣り。
今度こそ、連休中に必ず説明してあげよう!  うん。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

●1年前の今日:
ギネス記録が出せるかもしれない紙飛行機

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平和の理念

70回目の長崎原爆の日

phot: mainichi.jp

長崎平和宣言

昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟と化しました。

大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。24万人の市民のうち、7万4000人が亡くなり、7万5000人が傷つきました。70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。しかし、放射線に体を蝕まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、あの日のことを一日たりとも忘れることはできません。

原子爆弾は戦争の中で生まれました。そして、戦争の中で使われました。

原子爆弾の凄まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。

今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。

70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。

原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。

若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。

世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、集まれば大きな力になります。長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。

私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。

今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。

NPT加盟国の首脳に訴えます。

今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。国連総会などあらゆる機会に、核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。

また、会議では被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。

改めて、長崎から呼びかけます。

オバマ大統領、そして核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。被爆者が、単なる被害者としてではなく、人類の一員として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。

日本政府に訴えます。

国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、「核の傘」から「非核の傘」への転換について、ぜひ検討してください。

この夏、長崎では世界の128の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。

11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。

「ピース・フロム・ナガサキ」。平和は長崎から。私たちはこの言葉を大切に守りながら、平和の種を蒔き続けます。

また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます。

現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます。

被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。

原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

2015年(平成27年)8月9日
長崎市長 田上富久

via: ハフィントンポスト

長崎で70回目の原爆の日を迎えました。

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典には約6千人の被爆者や遺族らが参列し、7万人もの犠牲者の冥福を祈りました。

長崎市の田上富久市長が平和宣言の中で、「日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています」と安倍政権が国会に提出した安保法案について触れ、会場は大きな拍手で共鳴しました。

一方、世論の中には宣言に賛同しないものも散見します

国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、「核の傘」から「非核の傘」への転換について、ぜひ検討してください。

そんな綺麗事で再発は防げない…
抑止力があればあの原爆投下も防げたはず…
北東アジア非核兵器地帯など夢物語…
田上市長の平和宣言に対して批判的なコメントを見かけました。

昨今は集団的自衛権や憲法論が話題となっている状況下、賛否を問わず鮮明な意思表示をする人が増えているのも頷けます。

実際のところ容易く解決できる問題ではないと思います。
状況の変化に応じて打つ手を考えていかなくてはならないのも事実です。
どのような方法であれ最善を尽くす他ありません。

そこで思い出すのは、終戦直前の昭和天皇の決断です。

当時の日本は、ジェット戦闘機や新型爆弾を既に完成させていました。ここで言う新型爆弾とは原爆のことだと言われています。

それが実際に使用されなかったのは、既に敗戦が確実となり資金資材ともに困窮していたためだとされていますが、昭和天皇がその使用を禁じたためだという記録が残っています。
「新型爆弾によって戦況が有利になったとしても、そのために新型爆弾の投下合戦になったり、何百万もの無辜の民が死ぬようなことになるとしたら先祖に申し訳がたたない」と。
国益のみならず世界平和を意識して苦渋の決断をした背景には、日本人としての生き方がありありと感じられます。

確かに、理想論だけでは平和を実現できないでしょう。
国際情勢を鑑みて何らかの抑止力を持つ必要もあると思います。
効果的かつ即効性の高い策があるかもしれません。
しかし我々が日本人である限りは、あくまで日本人らしい方法をとることが天与の役割ではないかと思うのです。
ギリギリの選択になると思いますが、最善を尽くすことを忘れたくありません。

世界唯一の被爆国の国民として、それ以前に日本人として、戦争の悲惨さと平和の大切さを改めて考え、僅かでも後世に伝えていきたいと思います。

●1年前の今日:
平和の原点が揺らいでいる

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自分たちにできることは祈りだけではないはず

2015年 原爆死没者慰霊式・平和祈念式

 私たちの故郷には、温かい家族の暮らし、人情あふれる地域の絆、季節を彩る祭り、歴史に育まれた伝統文化や建物、子どもたちが遊ぶ川辺などがありました。

 1945年8月6日午前8時15分、その全てが一発の原子爆弾で破壊されました。きのこ雲の下には、抱き合う黒焦げの親子、無数の遺体が浮かぶ川、焼け崩れた建物。幾万という人々が炎に焼かれ、その年の暮れまでにかけがえのない14万もの命が奪われ、その中には朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜なども含まれていました。

 辛うじて生き延びた人々も人生を大きく歪められ、深刻な心身の後遺症や差別・偏見に苦しめられてきました。生きるために盗みと喧嘩を繰り返した子どもたち、幼くして原爆孤児となり今も一人で暮らす男性、被爆が分かり離婚させられた女性など――苦しみは続いたのです。

 「広島をまどうてくれ!」。これは、故郷や家族、そして身も心も元通りにしてほしいという被爆者の悲痛な叫びです。

 広島県物産陳列館として開館し100年、被爆から70年。歴史の証人として、今も広島を見つめ続ける原爆ドームを前に、皆さんと共に、改めて原爆被害の実相を受け止め、被爆者の思いを噛みしめたいと思います。

 しかし、世界には、いまだに1万5000発を超える核兵器が存在し、核保有国等の為政者は、自国中心的な考えに陥ったまま、核による威嚇にこだわる言動を繰り返しています。また、核戦争や核爆発に至りかねない数多くの事件や事故が明らかになり、テロリストによる使用も懸念されています。

 核兵器が存在する限り、いつ誰が被爆者になるか分かりません。ひとたび発生した被害は国境を越え無差別に広がります。世界中の皆さん、被爆者の言葉とヒロシマの心をしっかり受け止め、自らの問題として真剣に考えてください。

 当時16歳の女性は「家族、友人、隣人などの和を膨らませ、大きな和に育てていくことが世界平和につながる。思いやり、やさしさ、連帯。理屈ではなく体で感じなければならない」と訴えます。当時12歳の男性は「戦争は大人も子どもも同じ悲惨を味わう。思いやり、いたわり、他人や自分を愛することが平和の原点だ」と強調します。

 辛く悲しい境遇の中で思い悩み、「憎しみ」や「拒絶」を乗り越え、紡ぎ出した悲痛なメッセージです。その心には、人類の未来を見据えた「人類愛」と「寛容」があります。

 人間は、国籍や民族、宗教、言語などの違いを乗り越え、同じ地球に暮らし一度きりの人生を懸命に生きるのです。私たちは「共に生きる」ために、「非人道性の極み」「絶対悪」である核兵器の廃絶を目指さなければなりません。そのための行動を始めるのは今です。既に若い人々による署名や投稿、行進など様々な取り組みも始まっています。共に大きなうねりを創りましょう。

 被爆70年という節目の今年、被爆者の平均年齢は80歳を超えました。広島市は、被爆の実相を守り、世界中に広め、次世代に伝えるための取り組みを強化するとともに、加盟都市が6700を超えた平和首長会議の会長として、2020年までの核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始に向けた世界的な流れを加速させるために、強い決意を持って全力で取り組みます。

 今、各国の為政者に求められているのは、「人類愛」と「寛容」を基にした国民の幸福の追求ではないでしょうか。為政者が顔を合わせ、対話を重ねることが核兵器廃絶への第一歩となります。そうして得られる信頼を基礎にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。その実現に忍耐強く取り組むことが重要であり、日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます。

 来年、日本の伊勢志摩で開催される主要国首脳会議、それに先立つ広島での外相会合は、核兵器廃絶に向けたメッセージを発信する絶好の機会です。オバマ大統領をはじめとする各国の為政者の皆さん、被爆地を訪れて、被爆者の思いを直接聴き、被爆の実相に触れてください。核兵器禁止条約を含む法的枠組みの議論を始めなければならないという確信につながるはずです。

 日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役として、議論の開始を主導するよう期待するとともに、広島を議論と発信の場とすることを提案します。また、高齢となった被爆者をはじめ、今この時も放射線の影響に苦しんでいる多くの人々の苦悩に寄り添い、支援策を充実すること、とりわけ「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

 私たちは、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、被爆者をはじめ先人が、これまで核兵器廃絶と広島の復興に生涯をかけ尽くしてきたことに感謝します。そして、世界の人々に対し、決意を新たに、共に核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすよう訴えます。

平成27年(2015年)8月6日

広島市長 松井一実

via: 広島平和宣言全文 : 読売新聞

70回目の広島原爆忌を迎えました。

午前8時から広島市中区の平和記念公園で開かれた平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)には約5万5千人が参列し犠牲者を悼みました。

被曝70年という節目を迎え注目を浴びた今年の平和記念式典でしたが、マスコミ等の報道は例年のそれと大きく変ることはありませんでした。

式典への参列者が例年より多かったり、海外からも過去最多の100ヶ国以上の代表者が出席したりしたことは、ある意味で象徴的な出来事であったと思いますが、それ以外には「いつも通り」を払拭する強いメッセージを感じることができませんでした。

このことこそが、未だに見えてこない核兵器廃絶への道を最も象徴しているような気がします。

原爆の悲惨さや平和の大切さを後世に伝えることについては、かねてから盛んに言われていることですし、そのことは紛れもなく重要な課題です。

しかし、なぜドイツやイタリアではなく日本に原爆が投下されたのか?、なぜ先の戦争をしなければならなかったのか?、そういった国際情勢や思想的な背景については、未だに詳しく語られることが多くありません。

どうしてこのような悲劇が起こってしまったのか?
それは地震や洪水のような自然災害とは違います。

このような本質的な議論がなされないまま、世界初、世界唯一の被曝を不幸な事故や天変地異と同じように悲観するだけでは、積極的に核兵器を廃絶する運動を盛り上げることは難しいのではないかと感じます。

被爆者の平均年齢が80歳を超えた今、体験者から直接話を伺う機会は多くありません。また、あまり市民に賢くなって欲しくない人たちは、あえて本質的な情報を広く報せようとはしません。
もっと自主的に本質的なことに目を向け、耳を傾け、自発的に考えて状況を判断しなければ、本当の平和を手にすることはできないのではないでしょうか?

単に戦争や原爆の悲惨さにとどまらず、戦争や原爆投下に至る状況を知り、それを後世に伝えていかなくてはなりません。

被曝の風化を避けることはできません。

しかも、戦争や核の脅威は今なお身近に潜んでいます。

複雑難解な国際情勢や国家レベルの利害関係に対して自分たち市民ができることは多くないかもしれません。

けれども、自分たちにできることは祈りだけではないはずです。

もっと主体的に本質を学び知ること…
もっと主体的に本質に迫り考えること…
もっと主体的に本質を伝えること…
戦後70年を本当の節目とするべく、本質的な取り組みをさらに進めます。

●1年前の今日:
「忘れない」とは「他人事にしない」ということ

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平和の原点が揺らいでいる

69年前のこの時刻、この丘から見上げる空は真っ黒な原子雲で覆われていました。米軍機から投下された一発の原子爆弾により、家々は吹き飛び、炎に包まれ、黒焦げの死体が散乱する中を多くの市民が逃げまどいました。凄まじい熱線と爆風と放射線は、7万4千人もの尊い命を奪い、7万5千人の負傷者を出し、かろうじて生き残った人々の心と体に、69年たった今も癒えることのない深い傷を刻みこみました。
今も世界には1万6千発以上の核弾頭が存在します。核兵器の恐ろしさを身をもって知る被爆者は、核兵器は二度と使われてはならない、と必死で警鐘を鳴らし続けてきました。広島、長崎の原爆以降、戦争で核兵器が使われなかったのは、被爆者の存在とその声があったからです。

もし今、核兵器が戦争で使われたら、世界はどうなるのでしょうか。 今年2月メキシコで開かれた「核兵器の非人道性に関する国際会議」では、146か国の代表が、人体や経済、環境、気候変動など、さまざまな視点から、核兵器がいかに非人道的な兵器であるかを明らかにしました。その中で、もし核戦争になれば、傷ついた人々を助けることもできず、「核の冬」の到来で食糧がなくなり、世界の20億人以上が飢餓状態に陥るという恐るべき予測が発表されました。
核兵器の恐怖は決して過去の広島、長崎だけのものではありません。まさに世界がかかえる“今と未来の問題”なのです。
こうした核兵器の非人道性に着目する国々の間で、核兵器禁止条約などの検討に向けた動きが始まっています。
しかし一方で、核兵器保有国とその傘の下にいる国々は、核兵器によって国の安全を守ろうとする考えを依然として手放そうとせず、核兵器の禁止を先送りしようとしています。
この対立を越えることができなければ、来年開かれる5年に一度の核不拡散条約(NPT)再検討会議は、なんの前進もないまま終わるかもしれません。
核兵器保有国とその傘の下にいる国々に呼びかけます。
「核兵器のない世界」の実現のために、いつまでに、何をするのかについて、核兵器の法的禁止を求めている国々と協議ができる場をまずつくり、対立を越える第一歩を踏み出してください。日本政府は、核兵器の非人道性を一番理解している国として、その先頭に立ってください。
核戦争から未来を守る地域的な方法として「非核兵器地帯」があります。現在、地球の陸地の半分以上が既に非核兵器地帯に属しています。日本政府には、韓国、北朝鮮、日本が属する北東アジア地域を核兵器から守る方法の一つとして、非核三原則の法制化とともに、「北東アジア非核兵器地帯構想」の検討を始めるよう提言します。この構想には、わが国の500人以上の自治体の首長が賛同しており、これからも賛同の輪を広げていきます。

いまわが国では、集団的自衛権の議論を機に、「平和国家」としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされています。
長崎は「ノーモア・ナガサキ」とともに、「ノーモア・ウォー」と叫び続けてきました。日本国憲法に込められた「戦争をしない」という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもあります。
被爆者たちが自らの体験を語ることで伝え続けてきた、その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます。
長崎では、若い世代が、核兵器について自分たちで考え、議論し、新しい活動を始めています。大学生たちは海外にネットワークを広げ始めました。高校生たちが国連に届けた核兵器廃絶を求める署名の数は、すでに100万人を超えました。
その高校生たちの合言葉「ビリョクだけどムリョクじゃない」は、一人ひとりの人々の集まりである市民社会こそがもっとも大きな力の源泉だ、ということを私たちに思い起こさせてくれます。長崎はこれからも市民社会の一員として、仲間を増やし、NGOと連携し、目標を同じくする国々や国連と力を合わせて、核兵器のない世界の実現に向けて行動し続けます。世界の皆さん、次の世代に「核兵器のない世界」を引き継ぎましょう。
東京電力福島第一原子力発電所の事故から、3年がたちました。今も多くの方々が不安な暮らしを強いられています。長崎は今後とも福島の一日も早い復興を願い、さまざまな支援を続けていきます。

来年は被爆からちょうど70年になります。
被爆者はますます高齢化しており、原爆症の認定制度の改善など実態に応じた援護の充実を望みます。
被爆70年までの一年が、平和への思いを共有する世界の人たちとともに目指してきた「核兵器のない世界」の実現に向けて大きく前進する一年になることを願い、原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市とともに核兵器廃絶と恒久平和の実現に努力することをここに宣言します。

2014年(平成26年)8月9日

長崎市長 田上 富久

via: ハフィントンポスト

台風11号が接近する中
今日、長崎では
69回目の原爆の日を迎えました。

爆心地近くの平和公園では
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれ
6千人近くの被爆者や遺族らが
約7万人の犠牲者の冥福を祈りました。

田上富久長崎市長は平和宣言で
来年開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議で
日本が唯一の被爆国として主導的役割を果たすよう
政府に求めるなど、改めて核兵器廃絶を訴えました。

また
政府が閣議決定した集団的自衛権の行使容認にも言及し
憲法に込められた不戦への誓いは
被爆国日本の原点であるとともに
被爆地長崎の原点でもあると述べ
国民に広がる不安や懸念に対して
真摯に向き合うことを政府に強く求めました。

これに対して式典に出席した安倍総理大臣は
来年は被爆から70年目という節目の年であり
核兵器のない世界を実現するための取り組みを
さらに前に進めると述べるに留まりました。

いつの頃からでしょうか。

原爆の日のニュースと言えば
このような政治家の発言を中心に
報道されるようになったのは…

しかも、そんなニュースですら
僅かな時間しか報じられなくなりました。

もちろん、政治家たちの発言は
不戦、非核を中心とした恒久平和に関するものですが
毎年、理想論やべき論が繰り返され
市民が政治家に期待しているものとは
かけ離れたものになっている気がしてなりません。

さらに
戦前戦後の歴史的社会的背景や
被爆者の並々ならぬ生活の様子、
被曝直後の惨劇の詳細を伝える番組や記事は
年々少なくなってきています。

終戦後69年を経て
被爆者や戦争体験者も少なくなり
先の戦争の真実は風化してゆく一方です。

けっして忘れてはならないと言いつつ
薄れゆく記憶を止めようとする行動や
風化を防ぐ対策はあまりにも少ないように感じます。

既得権者たちの政治的駆け引きが優先となり
被爆者や戦没者、その遺族への配慮や
本当の意味での恒久平和への思いが
薄れてきているような気がしてなりません。

かく言う自分もまた
史実の風化防止や平和のための具体的行動を
積極的に実行しているわけでもありませんから
偉そうなことは言えないのですが
せめて、原爆投下忌や終戦の日くらいは
世界唯一の被爆国の国民として
戦争の悲惨さと平和の大切さを改めて考え
身近な人たちと話合う日にし続けて
僅かでも後世に伝えていきたいと思います。

長崎平和宣言2014

 

●1年前の今日:被爆国の原点に返れ

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「忘れない」とは「他人事にしない」ということ

 被爆69年の夏。灼けつく日差しは「あの日」に記憶の時間を引き戻します。1945年8月6日。一発の原爆により焦土と化した広島では、幼子からお年寄りまで一日で何万という罪なき市民の命が絶たれ、その年のうちに14万人が亡くなりました。尊い犠牲を忘れず、惨禍を繰り返さないために被爆者の声を聞いてください。

 建物疎開作業で被爆し亡くなった少年少女は約6000人。当時12歳の中学生は、「今も戦争、原爆の傷跡は私の心と体に残っています。同級生のほとんどが即死。生きたくても生きられなかった同級生を思い、自分だけが生き残った申し訳なさで張り裂けそうになります。」と語ります。辛うじて生き延びた被爆者も、今なお深刻な心身の傷に苦しんでいます。

 「水を下さい。」瀕死の声が脳裏から消えないという当時15歳の中学生。建物疎開作業で被爆し、顔は焼けただれ、大きく腫れ上がり、眉毛や睫毛は焼け、制服は熱線でぼろぼろとなった下級生の懇願に、「重傷者に水をやると死ぬぞ。」と止められ、「耳をふさぐ思いで水を飲ませなかったのです。死ぬと分かっていれば存分に飲ませてあげられたのに。」と悔やみ続けています。

 あまりにも凄絶な体験ゆえに過去を多く語らなかった人々が、年老いた今、少しずつ話し始めています。「本当の戦争の残酷な姿を知ってほしい。」と訴える原爆孤児は、廃墟の街で、橋の下、ビルの焼け跡の隅、防空壕などで着の身着のままで暮らし、食べるために盗みと喧嘩を繰り返し、教育も受けられずヤクザな人々のもとで辛うじて食いつなぐ日々を過ごした子どもたちの暮らしを語ります。

 また、被爆直後、生死の境をさまよい、その後も放射線による健康不安で苦悩した当時6歳の国民学校1年生は「若い人に将来二度と同じ体験をしてほしくない。」との思いから訴えます。海外の戦争犠牲者との交流を通じて感じた「若い人たちが世界に友人を作ること」「戦争文化ではなく、平和文化を作っていく努力を怠らないこと」の大切さを。

 子どもたちから温かい家族の愛情や未来の夢を奪い、人生を大きく歪めた「絶対悪」をこの世からなくすためには、脅し脅され、殺し殺され、憎しみの連鎖を生み出す武力ではなく、国籍や人種、宗教などの違いを超え、人と人との繋がりを大切に、未来志向の対話ができる世界を築かなければなりません。

 ヒロシマは、世界中の誰もがこのような被爆者の思いを受け止めて、核兵器廃絶と世界平和実現への道を共に歩むことを願っています。

 人類の未来を決めるのは皆さん一人一人です。「あの日」の凄惨を極めた地獄や被爆者の人生を、もしも自分や家族の身に起きたらと、皆さん自身のこととして考えてみてください。ヒロシマ・ナガサキの悲劇を三度繰り返さないために、そして、核兵器もない、戦争もない平和な世界を築くために被爆者と共に伝え、考え、行動しましょう。

 私たちも力を尽くします。加盟都市が6200を超えた平和首長会議では世界各地に設けるリーダー都市を中心に国連やNGOなどと連携し、被爆の実相とヒロシマの願いを世界に拡げます。そして、現在の核兵器の非人道性に焦点を当て非合法化を求める動きを着実に進め、2020年までの核兵器廃絶を目指し核兵器禁止条約の交渉開始を求める国際世論を拡大します。

 今年4月、NPDI(軍縮・不拡散イニシアティブ)広島外相会合は「広島宣言」で世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛けました。その声に応え、オバマ大統領をはじめ核保有国の為政者の皆さんは、早期に被爆地を訪れ、自ら被爆の実相を確かめてください。そうすれば、必ず、核兵器は決して存在してはならない「絶対悪」であると確信できます。その「絶対悪」による非人道的な脅しで国を守ることを止め、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりに全力で取り組んでください。

 唯一の被爆国である日本政府は、我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があります。そして、今後も名実ともに平和国家の道を歩み続け、各国政府と共に新たな安全保障体制の構築に貢献するとともに、来年のNPT再検討会議に向け、核保有国と非核保有国の橋渡し役としてNPT体制を強化する役割を果たしてください。また、被爆者をはじめ放射線の影響に苦しみ続けている全ての人々に、これまで以上に寄り添い、温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう求めます。

 今日ここに、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向け、世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

 平成26年(2014年)8月6日

 広島市長 松井一実

via: 平和宣言の全文 - 日本経済新聞

69回目の広島原爆忌を迎えました。

広島市の平和記念公園では雨の中
平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)が開かれ
約4万5千人が犠牲者を悼み、平和を誓いました。

被爆二世でもある松井市長は平和宣言の中で
被爆者の高齢化が進んでいることに触れ
被爆体験と核兵器廃絶への思いを
広く共有することの重要性を訴えました。

注目された「集団的自衛権」については
事前に公表された骨子の通り、言及しませんでしたが
昨年に引き続き、核兵器を「絶対悪」と表現し
被爆国として核兵器廃絶と被爆者への更なる支援を
日本政府の役割として強く求めました。

一方、長崎市の田上市長は
9日の平和祈念式典で読み上げる長崎平和宣言で
集団的自衛権の行使容認に触れ
戦争につながるものとの懸念を表明する予定です。

松井市長は、平和主義をう謳うことで
立ち位置を明確にできるとし、
田上市長は、現状を明確に伝えるため
言葉を入れた方が伝わりやすいとしています。

たとえ表現は違っていても
両市ともに「非核」「不戦」への思いは変わりなく
被曝地として恒久平和への願いは共通だと思います。

しかし、不本意にも表面化しないところで
政治権力が働いている可能性を払拭し切れない以上、
市民として政府の動きに注意していなければなりません。

先の戦争が一部権力の煽動によって激化したことは
教訓にすべき史実であるからです。

個人的には、集団的自衛権の問題について
現段階では是非を明確にするつもりはありません。

あまりにも市民の間で議論が不足している今の状況で
結論めいたことを主張できないと考えています。

そういう意味では
今日の広島原爆忌についても同様に
報道や議論があまりにも少なすぎます。

ヒロシマ・ナガサキを忘れてはならない!
日本人の大半は、そう考えているはずです。

多くの外国人も同意していると思います。

ただでさえ年々風化してゆくにも関わらず
マスコミに取り上げられる時間は減る一方です。

平和宣言の内容もさることながら
まずは、原爆忌について改めて知らしめること、
被曝国としての役割や被曝者への支援、
核兵器廃絶などについての情報を増やして
市民が議論できる環境を整備することが必要です。

そして、われわれ市民は
マスコミや政府の流す一面的な情報だけに流されず
できる限り多角的に情報をとらえる努力を怠らず
自分の頭で考え、判断する姿勢が必要です。

そのような姿勢で自立的な市民とならなければ
集団的自衛権の問題についても真意を理解できず
偏った情報に翻弄されてしまうかもしれません。

理想とはかけ離れた政治的な駆け引きが
繰り広げられているかと思うと嘆かわしくなりますが、
決して諦めることなく
人としてあるべき姿を
永く後世に伝えていかねばならない!
そう強く感じています。

2014年 原爆死没者慰霊式・平和祈念式

 

●1年前の今日:原爆は「絶対悪」

コメント:2 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  戦争 原爆 伝える  自主自立 

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