元気!本気!勇気!毎日の しあわせメモ

EDIT

サンマ塩焼きに大根おろしは欠かせません

サンマにかぶりつく大根おろしにゃんこ

だいぶ秋らしくなって
サンマがおいしい季節になりましたね(●>v<●)

というわけで晩御飯はサンマの塩焼きです♪

そしてサンマにかぶりつく
大根おろしにゃんこでした( Φ ω Φ )

via: Twitter @tomos0105

大学生の頃 初めて入ったとある居酒屋で
サンマの塩焼きを注文したのですが
大根おろしが添えられていませんでした。

「この店では大根おろし付けてないの?」
と尋ねたところ
「すいません。大根が品切れなんです」
との回答。

すると
一緒に呑みに来た友人が
「じゃ 返品!」
と、すかさず一言。

一瞬、たじろいだ店の親父に向かって
「いつもは付いてるんでしょ。」
と、追い打ちをかけると…

友人の顔が強面だったせいもあってか
「それ、今日はお代はイイから食べて…」
と言って返した皿を再びコチラへ差し出しました。

ヤバイ雰囲気になってきたなと思いましたが
それ以上のことはなく
あとは普通に呑み喰いしました。

あの時の友人・・・
卒業後は不動産関係の会社に就職して
事実上、地上げ屋のようなシゴトをしていましたが
その会社は、10年ほど前に倒産しています。

音信不通になってしまいましたが
元気でやっているでしょうか?

その後、これまでに幾度か
大根おろし抜きのサンマ塩焼きに遭遇しましたが
一度も返品することなく大人しく頂いています(^^ゞ

でも、やっぱり!
サンマの塩焼きに
大根おろしは付きものでしょ!

魚と大根が渾然一体となって
一つの秋の味覚を織り成しているのですよ。

ホントは返品したいくらい
残念なキモチやねんて・・・

まぁ お代は要らないって言うんなら
一回くらい我慢してもイイかもれないけど…

いや
そうじゃなくて^^;

サンマ塩焼きにおける大根おろしは
絶対はずせないマストアイテムです!

これからの季節
どの居酒屋さんも
大根が品切れしないよう
充分に注意してください!

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

サンマにかぶりつく大根おろしにゃんこ
それにしても、この「大根おろしにゃんこ」カワイイね~♪

 

●1年前の今日:史上最強の404エラー!

コメント:0 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  季節 料理 一体 組合せ 美味 

ページTOPへ↑

EDIT

一言では言いきれないこともあるよ

好きとか嫌いとかって感情はごっちゃにもわっと一緒くたに感じるからこそ妙味が生まれるのであって、好きとか嫌いとかしっかり分別つけて物事をみるのはハッピーターンをわざわざ砂糖と塩に分別してなめるようなもんで、むなしきことこのうえなし。

via: Twitter / shh7

たしかに…!
ホント そう思います。

「魚が大キライだ!」という人がいたとしても
「魚はカルシウムやDHAが豊富で身体にイイ」
ということは否定できっこないと思うのです。

いや… その…
あんまり良い例じゃなかったかも…
ではありますが^^;

ついつい… 一面的な捉え方が
強く出てくることがあったとしても
そうじゃない点についても
実は、ちゃんと感じ取っていたりするものです。

端的に表現してしまうと
自ずとデフォルメせざるを得ず
単純化されたアウトプットになります。

しかしながら
詳細説明を求められるとしたら
省略されていた周辺の情報や
打ち消されていた真反対の情報までが
少しずつ顕になってくるのではないでしょうか。

宇宙は至極シンプルにできている… だとか
世界は複雑に絡み合ってできている… だとか
相反する表現が存在し得るのは
こういう事情があるからなのかもしれません。

一面的、限定的、単純、などと感じることも
多面的、一般的、複雑、などと感じることも
それは感じる人それぞれの
観方や表し方次第であるということ。

宇宙や世界の実相は
単純でもあり複雑でもあるのだと思うのです。

ということで
自分にとって心地良い観方で捉えた方が
心地良い環境に囲まれることになるという
所謂ポジティブ思考がもてはやされるのも
不思議ではありません。

けれども
偏った観方、一面的な観方を続けていると
見なかったことにして省略してきた
その他の詳細な諸々の要素が蓄積してきて
いずれ表面化することは間違いありません。

単純だ感じることも
複雑だと感じることも
観方や表し方次第であるということ。

それは、現象というものが
単純であり、且つ、複雑でもあるという
両側面を持っているからなのかもしれません。

そう思うと、やっぱり
喜怒哀楽や好き嫌いのコントロールは
ムリにするもんじゃないような気がします。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

花びら占い
花びら占いっていうのは
最後の一枚は「好き」か「嫌い」かどちらかだけど
途中には「好き」も「嫌い」も両方あるんですよね

 

●1年前の今日:二夜連続のスーパームーン!

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  自我 視点 思い込み 一体 一如 あるがまま 

ページTOPへ↑

EDIT

画期的!? 新商品

ニーハイとパンストを一体化させました!

via: Instagram

おぉ!
この発想はなかった!

この季節にピッタリの
なかなか良いアイデアですね。

…って、
思っている人は
どれくらいいるのでしょうか?

ニーハイ世代のおしゃれな女性は
こういうのは好まないと思うんですけど…

おっさんの感覚ですが… 違いますか?

そして、
全男性は もちろん!
原典にも記されているように…

許されざる絶対領域に対する裏切

と感じているに違いありません!

フィギュアスケートの
コスチュームじゃないんだから…(^^ゞ

おっさんの感覚ですが… 違いますか?

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

 

●1年前の今日:コレは もしかして・・・

コメント:0 | TB:0 【なに?コレ?】  おもしろグッズ アイデア 一体 お気楽 

ページTOPへ↑

EDIT

「政治」と「経済」は両輪

復興策や原発事故への対応、
守られることのないマニフェスト等…
政府、政治家の惨状が明白にする情報は
日に日に増え続け、後を絶ちません。

このことが、ガセネタや情報操作でないことは
自分の身の回りの生活の変化を見れば明らかですし、
多くの人が実感していることでしょう。

 
・・・で、
こう言う人が増えるわけです。

政治に力はあるのか?
政治では世の中は変わらない。
 …と。

そして、
さらに、こう付け加えるのです。

政治より経済の方が力がある。
経済が日本を支えるのだ。
 …と。

 
なるほど、そう言いたくなるのは解ります。

政治家や行政機関を当てにするよりも
自らの手で自らの権利を勝ち取りにいくのだ。
そういう意気込みで世の中を少しでも良くしたい…
考えるのも不思議ではありません。

 
でも、
もう一歩下がって視野を拡げて観ると・・・

政治家の資金源になっているのは民間企業。
行政の天下り先になっているのは民間企業。
贈収賄の片棒をかついでいるのは民間企業。
使途不明金の支払先は全て民間企業。
選挙の大票田になっている民間企業労組。
原発の誘致に賛成したのは地元の市民と企業。
課税を免れた資金で圧力団体になっている宗教組織。
投票率を下げて既得権益をサポートしている市民。
利権維持のために行政に汚職を薦める民間企業。

こういう事例は、枚挙に暇がありません。

「政治」と「経済」は、強く癒着しています。
少なくとも、その一部では。

そして、
その結果に不都合が生じないように...
その活動を独占的に継続できるように...
少なからぬ「政治」と「経済」が結託することによって
真面目な市民、無知な市民、弱者たちに
多大な負担となって しわ寄せが生じています。

 
ボクは、こう思います。

「政治」と「経済」は両輪 なのだ。

「政治」がダメだから「経済」に期待しよう…
それは、ちょっと違う...っていうか、
かなり言葉足らずな説明ではないかと思います。

今の「政治」がダメになったのは、
それに加担した「経済」にも責任があります。

「政治」だけのせいにしてはいけないと思うのです。

 
かつて高度成長期には、
日本の政治は比較的安定していました。

明治政府発足以来、最も安定していたかも知れません。

それは、経済が順調に成長していたからです。

一部の特権企業だけではなく、全体が伸びていたから
国民の間に不満が蓄積することはなかったと言えます。

だから、だからこそ、
今、「経済」が頑張って成長すること、
そのことが「政治」の安定にも、被災地の復興にも、
そして何よりも国民1人1人の生活の糧となります。

そうです。そのことは正しいと思います。

けれども、高度成長期だって、
「政治」と「経済」は強く癒着していました。
良い意味でも、悪い意味でも。

「政治」は、積極的に経済政策を打ち出しました。
「経済」は、その財源を安定的に支えてきました。

それが、今は、
「政治」は、一部既得者だけの利権を保護しています。
「経済」は、自分だけの生き残りのために活動しています。

 
「政治」に力があった時、「経済」にも力があった。
「政治」に力がない今は、「経済」にも力が不足している。

つまり、今は、
「経済」が頑張ることによって
「政治」を支えることが必要なのであって、
「経済」だけで何とかしようというのではなく、
「政治」と共にという姿勢が必要なのではないか。

「政治」と「経済」が、互いの役割を全うし、
互いの存在を認め合い、互いに協力し合うことでしか、
この両輪を上手く回していくことはできないのではないか…
そんな風に思います。

 
そして、こうも思うのです。

自分たちは「経済」側の立場にいると思い込んでいるけれど、
果たして、それは事実なんだろうか。

少しでも経済活動をしているなら、それは事実なんだけれど、
それだけでは「政治」側でない理由にはならない。

つまり、自分たちは「政治」側であるかも知れない。

実際、成人には参政権が誰にも平等に与えられていて
日本国民には、選挙権と被選挙権がもれなく付いてくる。

その権利は自由に行使することができるわけで、
そういう意味では、自分たちも「政治」側にも立っている。

その権利を充分に活用することなく政治屋や官僚に任せ切り
文句や責任追及だけする市民たちは、
彼らが非難している政治屋たちと何ら違いはない。

そんな風に感じています。

「政治」には力がない。あてにならない。
そんな風に「政治」に ますます無関心になるのではなく、
もっと「政治」を支える一員として自覚を持って、
その上で「経済」の発展にも貢献していきたいものです。

 
「政治」にだけ責任転嫁することのないように…
「経済」の力を過信して「政治」を軽視することなく…
「経済」の大儀が、経世済民にあることを忘れずに…

「政治」と「経済」は二人三脚で歩んでいくもの。

「政治」は「経済」を補完し「経済」は「政治」を補完して
まさに両輪の如く、互いの役割を果たしきることによって
バランス良く前進して行けるのだと思うのです。

「経済」には、まだ力が残っているのなら、
「政治」にも、まだ秘めたる力があるはずです。

今一度、自身にも「政治」責任があることを自覚して、
「経済」を支えることで「政治」を支えていきましょう。

「政治」と「経済」は両輪 なのだ。

 
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

今日は やたら長いなぁ

では、お気楽に...(^^)/~~~

 

●1年前の今日:お気楽ライフは視点から…

コメント:2 | TB:0 【伝えたいことが あるんや】  一体 政治 経済 責任 権利 

ページTOPへ↑

EDIT

「自己」と「非自己」

仕事は、「CAN」。
私もこれまで、ずっとWANTをもとめたり、MUSTに苦しんだりしていました。

最近思うのは、I CAN に、FOR YOU をつけた感じが一番しっくりくるなぁ、ということ。

自分ができること、というのに変わりはないのですが、それは「自分以外のだれかのため」にすることなんじゃないかな? ということです。

via: おとなの小論文教室。

 
そう。そうやねん。

ここで言う「仕事」とは
「職業」という狭義的な意味ではない。

この世に生を受け、
天与の素質を活かしきり
自分が生きている限り為すこと。

それは、一般的に
「為すべきこと」という風に
誤解されている傾向があるけれど、
実は、自分に「できること」であり、
自分が「したいこと」なのだと思う。

この「したいこと」というのは、
自分のためにだけ「したいこと」と
他者のために「したいこと」があって、
ここでも また、
他者のために「したいこと」こそが
本来「為すべきこと」なのだという風に
思い込まれている節がある。

それは、倫理観や文化の影響があるのだろう。

そのことについては置いておいたとしても、
現実として、
自分のためにだけ「したいこと」は
思いのほか長続きしないものだし、
他者のために「したいこと」は
うまくいった場合、
結果として自分のためにもなることが多い。

そして、
他者のために「したいこと」がうまくいかない場合、
その先にある「自分のためにもなる」結果を求めて
手続きとして「他者のため」を装っているものの
実は「自分のためだけ」だという場合なのだと思う。

心底、本心から...
というよりも、むしろ、
無意識に自然に実践している「したいこと」は、
自ずと他者を意識した行動になっている。

そのことが、
シゴト=天命を全うするということが
「他者のために」と結びつけているのだろう。
 

いつも気になり、魅かれる言葉は、
「自己」と「非自己」というものです。

生物は、厳密に自分以外と区別されている。

ときどき、そんな自分を考えると、宇宙の暗闇に漂うような心もとなさを感じます。
それだけに、他人とつながりたい、というのは、生命の本能だと思うのです。

仕事は、他人に与えることで、他人から求められる。
恋愛は、他人に求めることで、他人から与えられる。

via: おとなの小論文教室。

 
シゴト=天命を全うするということは、
「自分のため」であり「他者のため」でもあり、
自他に一体感を持った心境の中で行われている。

「他者のため」だけに偏り、自分を犠牲にしたり、
「自分のため」だけに偏り、他者を無視したりするのは、
一体感を得ようとして出す行動だと思うのだけれど、
これでは本来の一体感は獲得し難い。

自他の一体感を得ようとすればするほど、
明確に自他を切り分け、
自己と非自己を同時に意識することが必要になる。

宇宙の暗闇に漂うような心もとなさと
自他一如の一体感は、同時に存在する裏腹なもの。

つながりたい時こそ、
自他を明確に区別し、
自分自身の内面と向き合い、
他者のために できることをする...
そういう姿勢が大切なのだろう。

つながるためには、
自分自身と、自分以外の誰かが必要なのだ。

 
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

つながるためには、 自分自身と、自分以外の誰かが必要なのだ。

 

●1年前の今日:認め合い 信じ合い 分かち合う

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  天命 一体 一如  

ページTOPへ↑

EDIT

一緒に感じ合えること

Q. 好きな人に告白する言葉を教えて (小6・女の子)

A. 永先生:言葉は一番大切です。でも、好きな人に「あ、この子好きだな」とか「いい人だな」と思われるには、「おなべをいっしょに食べて同じものをおいしいと思う」、「夕やけを見て、両方が美しいなと思う」というような同じ感動を同じ時点で受け止めるのが一番効果があります。
例えば、「いただきます」とか元気な声で言っていると、それだけで「あの子いただきますって言ってるな。きっといい子なんだろうな」と思うじゃないですか。「あなたがすき」ですとか、「キミを僕のものにしたい」とか、「世界のどこかで待ってる」とか、そういうのはあんまり効果がありません。
「きれいだな、おいしいな、うれしいな」ということが同時に感じあえる環境が一番大事。だから、「好きです、嫌いです」という言葉ではなく、いい言葉を使っている子は好きになれる。「あの人ならこの言葉は好きだろうな」と思った言葉を何気なく使っているときの方がドキンとします。「あなたが好きです」というのは最悪な言葉です。
だから、いっしょの環境にいるときに同じ感動をする場面に出来るだけいっしょにいる。スポーツの応援でもいいです。そうすると、使いあっている同じ言葉にドキンとすることがあって、それが愛なんです。
自分でいうのもおかしいけど、ひとりでご飯を食べてておいしいことないです。ひとりで野菜を食べているときは本当にさみしい。やっぱり家族、好きな人といっしょのほうがいい。二人っきり、まずはふたりになること。きれいな言葉を使いあうこと、きれいなことに感動すること、ふたりで声をそろえて感動してください。

via: 全国こども電話相談室

 
あぁ もっと若いうちに、こんな技を習得していたら…
なんて、思ったり... 思わなかったり...(^^ゞ

でも、そう言えば、
知らないうちに、やっていたかも知れないなぁ。コレ。

いや、ただ単に...
ストレートに告白するなんてことができなかったから、
テレ隠しに そうしていただけなんだろうけれど、
こういう風に、一緒に喜べたらイイなぁって、いつも思ってた。

相手が喜ぶことや感動することに
自分も一緒になって触れてみてみると、
今まで興味がなかったことなんかでも
なんだか楽しかったり、感動したりすることは
意外に少なくないもの。

だから、迎合するっていうのとは違って
けっこう素直に 一緒に感動できたりしたし、
そうすることが 嬉しかったりもした。

あるいは、相手も今まで興味のなかったことなのに
こちらが好きな分野のことに首をつっこんできたり
一緒に楽しもうとしてくれたりした時には
当然、悪い気はしないし、
少しずつ共通の話題が増えていくことが嬉しかった。

今になって振り返ってみれば、
これって、「和み的」な「聴く」姿勢なんだなって思う。

相手が考えていること、興味のあること、信じていること、
そういう相手のキモチに焦点を当てて全面的に受けてみる。

それに対して良し悪しとか好き嫌いの評価をせず
とにかく、ただただ受けてみる。

すると、
意外にも共感を感じることが多い。

100%そうだとは言えないのだろうけれど、
たとえ趣向や意見が違っていたとしても
意外にその立場も理解できることは多い。

そして、また
こちらが共感を持った時には、
相手も 共感を感じることが多い。

それぞれの表層部分が違っていても
根っこのところでは共通点があるものだ...とか、
深いところでは一体なんだ...ということを
無意識に感じているからなのかも知れない。

やっぱり、「聴く」ことは、受身ではないよ。

一体感や繋がりを確認する積極的な行動だと思う。

 

●1年前の今日:冬枯れの靱公園

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  一如 一体 和の心  聴く コミュニケーション お気楽 

ページTOPへ↑

EDIT

お気楽な勇気

なにかためしてみようってときには、
どうしたって、きけんがともなうんだ

(スナフキン)

 
うん そう!

勇気を振り絞って危険に立ち向うからこそ
チャンスを手に入れることができる。

さらに...
冒険を楽しむココロがあれば もっとイイ!

でも...
危険を感じない というのはマズイと思う。

ネガティヴなだけじゃ楽しくないし、
ポジティヴ一辺倒も うまくいかないね。

 

●1年前の今日:リアル植木等

コメント:0 | TB:0 【ちょっとイイことば】  一如 一体 和の心 お気楽 

ページTOPへ↑

EDIT

表裏一体

時間を割くのは愛かなと考えてる。
どういう行為だとしても。

via: Twitter / ぼんちゃん

 
ハッとした。

 
忙しいのに時間をつくるとか
何ヶ月も前から予定をとっておくとか
どんなに急でもスッ飛んでいくとか

もちろん そういう意味でもあるのだけれど...

一晩中、どう仕返ししてやろうと考えてるとか
何日も何週間もハラワタが煮えくり返えっているとか
思い出したくないのに いつまでも忘れられないとか

そういうのも 時間を割いてるってこと。

どういう行為だとしても時間を割くのが愛なのなら...
これも 愛だということか?

 
うん   たぶん...
そうなんだと思う。

 
愛はいつも美しいとは限らない。

気になって 忘れられなくて
気になって 頭からはなれなくて
一日の大方の時間を割いている

それは 確かに 愛だと思う。

真っ直ぐであろうと 歪んでいようと…
前向きであろうと なかろうと…
損得にも喜怒哀楽にも関係なく…

純粋な行動の原理が そこにある。

表も裏も ホンモノもニセモノも ない。

 
などと、
思ったり... 思わなかったり...

では、お気楽に..(^^)/~~~

表裏一体

via: 「人生の地図」 高橋歩

 

●1年前の今日:誰もが持っている

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】   時間 一如 一体 

ページTOPへ↑

EDIT

「一音一会」 成尾亜矢子ピアノリサイタル

成尾亜矢子ピアノリサイタル「一音一会」

 
Ayakoさん...

いろんなことがありましたね。

それも 辛い事が多かった。

でも、こうして
元気な勇姿を目にすることができて
本当によかったと思います。

とっても素敵なコンサートでした。

大胆さと繊細さ、前向きな強さと哀しさが
想いのままに溢れ出したような演奏に触れて
思わず熱いものが込み上げてきました。

演者と聴衆の一体感も並外れた高さでした。

 
クラシックが クラシックと呼ばれていなかった頃、
きっと こういう演奏が多かったのだろうと思う。

そして...
これまでに起こってきた出来事、
これから目の当たりにする出来事、
それらには 全て 大切な意味がある...
きっと そうなんだと思う。

 
それにしても...

コンサートの2日前に恩人に逝かれ
コンサート当日が告別式になるなんて...

どこまでも哀しく やるせない物語。

大いなる悲哀を満喫しきっている貴方だから
こんな空間を創り出すことができるのだと思います。

感動しました。

嬉しかったよ。 本当に ありがとう。

では、お気楽に..(^^)/~~~

 

●1年前の今日:秋晴れの水都大阪2009

コメント:0 | TB:0 【しあわせメモ♪】  音楽 ライブ 天命 一如 一体 感謝 

ページTOPへ↑

EDIT

「するどい」 と 「にぶい」

「するどい」と言われると人はよろこんだりするし、
「にぶい」と言われると、怒ったりするものだ。

もう、世の中はするどい人だらけで、
われこそがするどい、いや、われこそが、と、
するどい人どうしが、さかんに争ったり、
見上げたり見下げたりしている。

はたして「するどい」というのは、
いいことなのだろうか。
そんな疑問すら抱いたことのない人が
多いような気もする。
「いやぁ、彼はにぶいねぇ」なんて
ほめられている場面が、どこかにあったろうか。
あんまり知らないよなぁ。

via: ほぼ日刊イトイ新聞
「するどい」って、たいしたものじゃない。

 
うん そう言えば…
「するどい」というのは褒めコトバで
「にぶい」というのは そうじゃない。

それは、疑ったこともない常識と化している。
 

先見力があったり、推理力があったり、洞察力があったり、
気遣いがあったり、発見力があったりすると、
「するどい」と言われるのかもしれない。
そして、その「するどい」ところは、
きっと、何かや誰かの役に立つのだろう。

「するどい」がもてはやされる歴史が、
どれくらい続いているのかは知らないけれど、
ほんとのところ、その、
「するどい」の価値って、高くなり過ぎてないかねぇ。

 
たしかに!
なぜ そうなのか?
その理由は よくわからないまま、
「するどい」ことは良いことで
「にぶい」ことは そうじゃない
って、思い込んでいた。
 

逆に、ぼくのなかにある
人並み以上に「にぶい」部分は、
ずいぶんじぶんを助けてくれたように思える。
もっと細かく考えるのが常識でしょう、とか、
そんなことにも気づいてなかったの、とか、
え、ほんとに知らなかったの、とか、
ひぇー怖くなかったのか、とか、
あとでそう言われるようなこと、
つまりはぼくの「にぶい」部分というのは、
実はけっこうな体積があるのだ。

もうちょっと「するどい」考えを持っていたら、
できなかったろうなぁと思うことや、
あの場面で「するどい」じぶんになっていたら、
もっといやな衝突をしていたかもしれないなんてことが、
いっぱいありそうなのだ。

 
あるある。
自分の中にある「にぶい」部分も
ずいぶん助けてくれていると思う。

「するどい」と、やってられな~い(>_<)
ってことになりそうなことは よくあるな。
 

でも、どうもぼくは
「するどい」観点から言ってるものかもしれないけれど、
人間の大事な資源は「にぶい」のほうだと思うのだ。
「にぶい」をしっかりたっぷり抱えてないと、
ボディで言えば「体幹がしっかりしてない」ように、
ほんとのちからを発揮できないんじゃないかなぁ。

 
たぶん その通り、そういう指摘は
「するどい」観点から出てきていると思う。

やっぱり!「するどい」んやな。

でも、ちゃ~んと「にぶい」。

 
ここまで書いて 気づいた。。。

 
「するどい」と「にぶい」は
相反することじゃ ない ってこと。

 
また、何を訳の解らないことを・・・
と、言われるのを承知の上で(^^ゞ

でも、
「するどい」と「にぶい」は
表裏一体なんだと思う。  うん。

 
昨日の亀山ゼミでの闘戦経の解説にも
|組織を上手く活かしていくためには
|上に立つ者は部下の力を認めて発揮させながら、
|同じに、最低限の制御を執行していく必要がある。
という件があったけれど、
東洋思想とか、日本の感覚で観れば、
一見して相反することが表裏一体であることは
特に 珍しいことではない。

一体のこととして同時に成り立つのであって、
二極として捉えてバランスをとるのとは違う。

 
単に「するどい」というだけでは
そういう感覚を持っている人かどうかは判らないし、
「にぶい」と言われている人は、
するどさの度合いが低いだけであって
「にぶい」部分を発揮している人だとは言えない。

 
本当に「するどい」人というのは
同時に、すごく「にぶい」部分を持っている。

その「にぶい」部分の発揮のしかたが
とてつもなく「するどい」んやなぁ~

 
たぶん
そういうことなんだろうな~
とか、思ったり... 思わなかったり...(^^ゞ

コアラの眼差しは意外と鋭い
コアラの眼差しは意外と鋭い…

 

●1年前の今日:流れのままに…

コメント:2 | TB:0 【しあわせメモ♪】  お気楽 一体 一如 価値 

ページTOPへ↑

| PAGE-SELECT |